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自分勝手に生きてきたのに、自分の心に正直じゃなかった
結構な親不孝者かもしれない。
自分も親になった今、過去の行動を振り返ってみるとあまりに自由すぎて親に申し訳ない気持ちになってきた。
ま、過去に戻っても同じくやりたいようにやらせてもらうけども。
1. 決断力があるって事で良い?
合格してたら合格発表のあと、事務所においで。入所式やるから。
お蕎麦をご馳走になった夜、所長から電話でそう言われていたから、合格を確認したらすぐに大阪に向かった。
入所式を終えると、裏口入所みたいな私だけ面接のために別室に呼ばれる。京都から通うの大変だね〜ひとり暮らしするならクライアントの不動産屋さん紹介するよ、てな話になり、あ、じゃぁ。とお願いすることにした。
合格祝いをしようと家で待つ母の気持ちを微塵も考えることなく、その足で紹介された不動産屋に立ち寄る。
新大阪にある重い緑色の扉がついた、古い北向きの2LDK。適当に出された紙を見て適当に決めちゃったのだ。
とりあえず決断力があるって事で良いかな?
絶対違う。
なかなか帰宅してこない事を心配した母から電話があり、家を決めた事を話すと母は何だか不機嫌そうだった。
一発合格を果たし、母の筋書き通り大阪に就職することが決まったというのに、帰宅しても、おめでとうすら言ってもらえなかった。たぶん。
お祝いディナーなんてものも、なかった。
それでも母が寂しがっていることに気がつかない、何とも親不孝な娘だと思う。
母のことを、わたしはよく知っているはずなのに。
自分のことだけ考えてたんだなぁきっと。
家を出ることにしたのは、もちろん京都から大阪まで毎日1時間以上かけて通勤するのが嫌だったから。でも、早く起きなさいと言ってくる口うるさい母から飛び立ちたい気持ちがあった。
ようやく自由を手に入れた。そう思っていた。
2. 味のしないカレー
現役大学生最後の冬。たまに大学に行きながら、ほぼ毎日出勤するというハイブリッド社会人生活がひと足早く始まった。
朝出社したら夜10時頃まで仕事に行く毎日。
思い描いていた自由なんてどこにもなかった。自由な事をする時間と余裕がないのだ。
週末は家事を自分でやらなきゃならない。スーパーに自転車で買い物に行き、掃除をして、セーターを手洗いする。
北向きのベランダに夕方干しても、洗濯物はよく乾かないし。
母がやってくれていた事のありがたみに、ようやく少しだけ気づき始めた。
少し余裕の出た休日の夕方に、生まれて初めて1人だけでカレーを作った。カレーなんてものは飯ごう炊さんでも作るくらい簡単な料理で、そもそもバーモントカレーが全てやってくれるのだからと、甘くみていた。
母から貰ってきた新品の琺瑯鍋を温めて、油を注ぐ。比較的安かったとりもも肉を小さく切って油を敷いた鍋に入れると、なぜか油がはじけ飛ぶ。
「なんで、はねんの?!」
へっぴり腰で、他の具材を大急ぎでぶち込み、とり肉と油を押さえ込んだ。
ホッとしたのも束の間、具材は琺瑯鍋にビッタリとこびりついた。
「もうあかんわ」丸焦げカレーを確信したわたしは、最後の手段に。大量の水を投入してことなきを得た。
「思ってたんと、ちがう。」
脳内のカレーは、鶏もも肉はこんがりと焼き色をつけ、玉ねぎは飴色になるまでじっくりと火を通し甘味を出す。
目の前のものは、明らかにイメージとは違った。
でも大丈夫。私にはバーモント中辛がいる。大丈夫。これさえあれば。
あとはハウス食品に命運を託した。
味を見て、ルーを足す。
うーん、味が足りない。ルーを足す。
味がしない。
これ以上は溶けられませんよ。というところまで来ているのに味がしない、信じられないカレーを作ってしまった。
料理には根拠のない自信があったのに。
ちいさい時から母の横で料理の手伝いをしていたから。カレーなんてちょちょいのちょいだと思っていた。
でも、母のいない場所でひとり作る料理は全然違っていた。
もう、実家に戻ろっかな。
そんな思いが頭をよぎる。
やっぱりごはんが美味しくないのは私にとって致命的なのだ。
3. そして実家に舞い戻る
社会人生活がスタートしたと言っても、中身は大学生。そして周りの友人も、最後の大学生ライフを満喫しまくっている時期だった。
車出してもらえるし、スノボ行かへん?
友人が声をかけてくれて、週末に雪山に出かけた。
そして、日曜日の夜遅く、遊び倒した心地よい疲れとともに帰宅した。
父がくれた爆音目覚まし時計をしっかりとセットして、深い眠りについた。
深い良い眠りだった。
目を覚まし、時計を見ると、集合時間の9時を過ぎていた。
どゆこと?
クライアント先の最寄駅で上司と待ち合わせしていたのに、その時刻を過ぎているってどういうこと?目覚まし時計は鳴ったのか?
爆音で何度もしつこく鳴らす、にっくきこの目覚まし時計は。
飛び起きてから事態を理解するまでに少し時間がかかった。大遅刻なのだ。
集合時間に起きてどうする。
あの日ほどマスカラを持つ手が震えたことはない。
その日の夜、上司にプロントに呼び出され、遅刻について注意を受けた。ピザを出してくれたけど味なんてしない。
散々やってきたアルバイトでも遅刻だけは絶対にしないようにしていたから、かなりショックでへこんだ。
そして、落ち込む私を社会人経験ありのアラサー同期2人が励ましてくれて、なんとか立ち直った。同期に社会人経験のある優秀で優しいアラサーがいてくれて、本当によかった。
「遅刻なんて全然大した事じゃないよ。
仕事をしていると本当に辛いことめちゃくちゃあるから、こんなこと比にならないくらい辛いことあるから。遅刻なんかでへこんでたらサラリーマンやっていけないよ。大丈夫。」
今日より辛いこと、この先いっぱいあるってどういうこと。とも思ったが、ほんとうに、その通り。
また、ある先輩はこんなことも言っていた。
朝寝坊してしまい、少しでも追い上げるために新幹線に飛び乗ったが、目的地に停車せず通過してしまった。上司に事情を説明すると、今日はもう休んで良いよと言ってもらい、遅刻がバレなかったらしい。「それで遅刻が有耶無耶になったから、よかったよね〜」なんてお気楽な事を言っていたから器が違う。
わたしもそのくらいドンと構えられたら良いんだけどな〜。
こんなこともあって、私は実家に戻ることにした。
母に実家に戻りたいと告げると、引っ越し業者から部屋の解約まで全てを完璧に手配してくれた。
引越しの日。
わたしは引越し準備をひとつもしないまま、朝、いつも通りに家を出た。そして仕事が終わると実家に帰宅した。実家の自分の部屋を開けると、あら不思議。
どうやったんか知らんけど、新大阪の部屋が実家の部屋に再現されていた。
母、すごい。
こうして私の初めての一人暮らしは約4ヶ月で終わった。
勝手なことばかりして親を振り回す娘。
そのわり深い考えはなく、その発端が他人の何気ない発言だったりするから、実に厄介。
それでも、早々に実家に舞い戻ったあの時の決断は、我ながらナイス判断だったなぁ、と思う。この先も何度か、気まぐれな引越しに母を、そして姉までも巻き込むことになるのだけれど、それはまた別のお話で。