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病床の父をメイパトロールした日の後悔

「あ!こんなとこに売ってるやん!」
今日ネギを買いに出かけたら、いつもの激安スーパーの大安売りコーナーで、78円になっているフレーバー付きのいろはすを見つけた。いろはすレモン味。
父が入院した時に探しまくった、フレーバー付きのいろはすを探し求める癖が、いまだに抜けないでいる。
もう、必要ないのに。

「求む!いろはすフレーバー!」
って高らかに挙げたアンテナのおろし方がわからず、いまだにいろはすに反応してしまうのは、あの日の後悔からなのか。

1. 最後のはずの旅行

父が倒れた日の約1年前、わたしは姉と、旅行を計画した。わたしの家族と、両親と、姉家族の総勢10人での大家族旅行。9人なら旅行をしたことがあったけど、娘が生まれてからは一度も行けてなかったから、フルメンバー10人で、どこか思い出になる場所に行きたかった。

姉と相談して、行き先は淡路島に。
わたしたちが巣立ってから、愛犬みるちゃんを連れてよくデートするようになった父と母。淡路島の「花さじき」は、ふたりが大好きな場所だった。

わたしは京都出身のわりに、学生時代を会計士試験の勉強につぎ込んでしまったから京都観光はおろか、淡路島なんて一度も行ったことがない。
清水寺でさえ去年のお正月に初めて行った、エセ京都人。
もう外国人の方が、京都のことをよく知っていると思う。

そんなわたしにとっては初めての淡路島。関西人ならテレビCMでお馴染みの、老舗ホテル、ホテルニュ〜ゥあ〜わ〜ぁじ〜(ホテルニュー淡路)の客室を押さえて、両親を招待した。

両親を喜ばせたいのと、どうも具合が良くなさそうな父とは最後の旅行になるかもしれないというちょっとおセンチな思いから、大奮発して、露天風呂付きのめちゃくちゃ豪華な部屋を予約した。

なのに。
この旅行は不発に終わった。
母が父に対して怒っちゃってて、旅行に賛同してくれなかった。
「お父さん体調悪いのに病院行かへんのに、旅行なんか行けるかいな。」

ひとつ屋根の下に暮らす母には、父が明らかに体調悪いのがわかっていて、何度も病院に行くように頼んでいるのに、がんとして病院に行かないからだ。がんだけに。

「まぁ、お母さんが行かへん言うから、しゃーないわ」
父が連絡してきて、この話はお流れになった。

いやいやお父さん、原因チミだよ。病院行ってよ。
という文句は姉にだけぶちかまし、ホテルニュー淡路は泣く泣くキャンセルした。結局10人で行く家族旅行はできずに終わってしまった。
正直、父も旅行になんて行ける体調じゃなくて、自信がなかったのかな。

不発淡路島計画から約1年間、家族が入れ替わり立ち替わり受診を勧めたのに、懇願したのに、泣いて頼んだのに、そして最後にはキレてやったのに、父は病院に行かなかった。

2. 父、緊急入院ス

2020年のお正月が明けてすぐ、父は深夜に救急車で運ばれて、そのまま緊急入院した。翌日には母と姉が見守る中、緊急の処置を受けた。
処置室に入ってからの状況を、横浜で不安いっぱいで待つわたしに、随時姉が知らせてくれた。

「大丈夫そう」

最初はそう送ってきた姉のLINEが、少ずつ変わっていく。

「時間がかかり過ぎてる」

普段なら、心配をかけないように平気なふりをする姉。姉はそういう人。
そんな姉のLINEの文字から、隠しきれない不安な気持ちがこぼれはじめた。
不穏な空気が横浜まで伝わってくる。
すぐに終わるはずの処置なのに、処置室に入ってから、2時間以上が経っていた。

最悪のケースが頭をよぎった。
「このまま死んじゃうかもしれん。」
自宅のソファの上で固まっていたわたしを、心配なら今から行った方がいいと夫が背中をおしてくれて、ひとり新幹線に飛び乗った。

京都へ向かう新幹線の中で、父生還の知らせが入った。
「お父さんめ。心配させやがって!だから病院行ってって、あれだけみんなでずっと言ってたのに。頑固な偏屈おやじめ。あぁ、よかった。」
生還を聞いて安心すると、次は怒りがこみあげてくるのだ。

3. いろはすフレーバーを探せ

その日は姉の家に泊まらせてもらって、翌日の朝に実家に移動して母と一緒に病院に行くことにした。
父は前日の緊急処置で少し良くなり始めたのか、母に見舞いの品のリクエストをLINEしてきていた。

入院中の人からもらったリクエストには、必ず応えてみせる。それがわたしのポリシー。
入院生活というのは、3度の病院食と3時のおやつしか楽しみがない。
わたしの場合。
だから、お見舞いに来てくれる人が持ってくる差し入れは、最大の喜びで、癒しで、希望になる。
わたしにとっては。

普段クールぶっていた父も、例外ではなかった。
お見舞いと差し入れを楽しみにしていた。

消化器系の処置直後で、癌もまだ健在。何も食べられず、まだ痛みもあるはずの父からのリクエスト。わかるよ。わかる。気持ちわかります。
全力で応えようじゃないの。

父からのリクエストはこうだった。
「たっぷりの氷を魔法瓶に入れて持ってきて。
それと、桃の天然水、買ってきて。」

え、桃の天然水?
桃天?!
まって、ヒューヒューだよ!のあの桃天?!
やばい、それはやばい、
最近めっきり見かけへん。

やばいよやばいよ、の心を落ち着かせて、Google先生に聞いてみる。
「桃の天然水」って打ち込んだだけで、販売中止が検索候補に名乗り出るやん。
よりによってリクエスト品は販売中止していた。

お父さん、いつの記憶よ…
なんて言っても仕方ない。入院中は過去の記憶も洗いざらいして、今欲するものが浮かんでくるもの。

そんなわたしたちに救世主が現れた。
新時代の水、「いろはす」。
なんとフレーバー付きのいろはすを発売してくれていた。ありがたや。

確かに!なんか見たことある気がする。いろはすのフレーバー。
すぐさま母とスーパーへ車をブイブイ走らせて、いろはすみかん味を入手した。
でも、おしい。これじゃない、みかんじゃない。
リクエストは、桃天。
ともちゃんの、ヒューヒューだよ!の桃天。

桃のつもりがみかんだったらガッカリしちゃうやん。桃があってこその、みかんやん。お見舞い差入れ請負人の名において、何としても桃のいろはすを…。
いろはす桃を求めて、母とふたり、スーパーや百均をひととおり回り、ようやくお望みの桃フレーバーいろはすを手に入れた。
欲しい時に限って、すぐに見つからないあるある。

そして、大量の氷を入れた魔法瓶を抱えて、父のいる病室に駆け込んだ。

父は、もう、まる1日半、ほぼ何も口にしていなかった。
「もってきてくれた?」
わたしが病室に到着すると、待ち侘びた子どものように、にこにこしてた。
「これでいいの?」
わたしはとにかく意味もわからず準備してきた氷入り魔法瓶と桃のいろはすを差し出す。
父は焦る手で氷入り魔法瓶の蓋をあけ、いろはす桃をそこに注ぐと、喉を鳴らしながら一気飲みした。砂漠で遭難しているところを助けられて命の水を貰った人みたいに、ゴッキュンゴッキュン、喉を鳴らしながら飲み干した。

「ぷはぁーー、これがしたかってん」

いやいやいや、いいんやけどさ、
「そんなこと、していいの?」
いや、言われるがままに持ってきといてこっちも悪いんやけどさ。

「うん、先生に聞いた。水とお茶はゆっくり飲んでいいって」

無邪気に応えるやん。
あんたそれ、水、お茶、ゆっくり、のどれにも当てはまらんやろ。
ジュース、キンキンに冷やして、ゴッキュゴキュはあかんやろ。
というのは、飲み込んだ。
だってわたしも共犯。

それに、あんまりにも美味しそうやったから、いいことにしておいた。
喉が乾いて、何も口にできなくて、ずっとずっとずーっと、ベットの上でこの瞬間を妄想してたんやなと思うと、さすがのわたしも何も言えなかった。

たくさん買ってきた、いろはすのみかんと桃を冷蔵庫に入れて、また違うフレーバーあったら明日持ってくるよ。と別れを告げて自宅に戻った。
それからまた何店舗か巡った。珍しいフレーバーないかなーって。

父は翌日には普通のジュースも解禁され、ほんのりフレーバーないろはすには見向きもしなくなった。甘いコーヒー牛乳や、フルーツオレに次々と手を伸ばし、母と準備したドリンクバーを随分と楽しんでいた。

結局は、苦労して手に入れた「いろはす」が飲まれたのは1日だけだった。なのに、なぜだかわたしは横浜に戻ってもしばらくずっといろはすフレーバーを探し続けていた。
そして、いまだにいろはすフレーバーを見かけると反応して立ち止まり、確認してしまう。それだけ、わたしはあの日、いろはすフレーバーに命運をかけたのだ。

今日見つけたのははレモン味だったから、あの日、魔法瓶いっぱいの氷に入れて飲ませてあげられたら美味しかったやろうな。あの日の父に、いや、あの日のわたしに届けてあげたい。1本500円でも迷いなく買うよ。

まったくもって大したことのない話。
なのに、いまだにいろはすの呪縛が解かれないのはなぜなのか。
ドリンクバーを楽しむ父の姿を見届けて、わたしは横浜に戻ったのだけど、その前にひと悶着あったからだらうか。
そのせいでいろはすを卒業できないのかもしれない。

こうしてnoteに書き出せば、わたしの いろはすへの想いは成仏してくれるかな。

4.  ガン告知しちゃいました

「で、なんの病気やったん。」
砂漠の喉の渇きから解放されて落ち着いた父が、ベッドに横になり天井を見つめながら、ボソリといった。

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