心を贈るときに、あなたは何を贈りますか
窓を開けると、秋の心地いい風とともに、懐かしい香りが部屋に入ってきた。
甘酸っぱい、キンモクセイの香り。
今年はおそかったねぇ。ようやく訪れた秋を、胸いっぱいに吸い込む。
1. キンモクセイの便り
実家にも昔、大きなキンモクセイの木があった。玄関の正面、庭の角に植えられた大きなキンモクセイ。
あんな特等席に植えるなんて、父もキンモクセイが好きだったんだろうか。
毎年ちょうど母の誕生日の頃に、木にいっぱいの小さなオレンジ色の花をつけて、キンモクセイはその甘い香りをただよわせた。
しばらくするとキンモクセイの花は大量に落ちて、庭にオレンジ色の絨毯をつくりだし、わたしはその落ちた花を拾っては、手に握りしめてずっと嗅いでいた。
4年生くらいの頃、習ったばかりの裁縫を駆使してつくった小さな巾着袋に、庭に落ちたキンモクセイの花を拾って詰め、母の誕生日にプレゼントした。
オーガニックでフレッシュなハンドメイドのにおい袋。
そのせいか、キンモクセイからのお便りは、わたしにとって母の誕生日のリマインドとなった。
高校生の時に実家は建て替えられ、大好きだった大きなキンモクセイもなくなってしまったから今はもうその場所にないけれど、秋になり、キンモクセイの香りがどこからかただよってくると、わたしはいつも、あの木を思い出す。
2. 父と花と
親元を離れて、つくばに住むようになってからは、ちょいちょい父からメールが来るようになった。「つくば地震大丈夫やった?」とか、「つくばは明日寒いみたい。」とか。
実家にいた頃は父とはそんなに会話をすることもなかったし、わたしのことなんて興味がないのだろうと本気でそう思っていたから、こういうメールが来るのが意外だった。
娘のこと、めっちゃ気にかけてるやん。そういう人やったん?
なんて疑いつつも、ようやく気づきだしたのだから「親の心子知らず」とはよく言ったものだ。
関西の天気予報は、基本的につくばの天気なんて映らない。蓬莱さんの天気予報だって近畿地方説明がメインだから、つくばの天気を確認しようと思うとたぶん、全国天気予報を見る必要がある。
スマホもない時代に、父は娘の住む街の天気を、わざわざチェックしていたのだろうか。逃げるように家を出た娘を、心配してくれていたのかな。
父は、花が好きだった。
実家をぐるりと取り囲む庭には、夏にはジャングルになるくらい、たくさんの木や草花が植えられていて、いつの季節も花が咲いていた。
わたしたち娘が生まれた時に、父が植えたという木もあった。
姉の木はしだれ桜で、わたしのはユスラウメ。
お姉ちゃんのは日本を代表する美しい桜で、わたしのはマイナーな実のなる木って。お父さん、なんでなん。
そのせいでわたしは食いしん坊になったんじゃなかろうか。
わたしにもソメイヨシノあたりを植えてくれていたら、一歩下がった日本の奥ゆかしい美女になれていたかもしれんのに。
生まれた時の記念に木を植えるのならば、何を植えるか、よくよく考えて決めた方がいい。
でも、桜の季節が過ぎて、少ししてからわたしの木になる赤い実は、甘酸っぱくて美味しくて特別で、大好きだった。
少食だけれど果物だけは大好きだった息子のためには、実家の庭にさくらんぼを植えてくれた。父は家でとれた佐藤錦を息子に食べさせるのを楽しみにしてくれていた。
父が亡くなってから、さくらんぼの木は虫にやられてダメになり、切り倒すことになったけれど、息子が生まれた時に、父が植えてくれたあじさいは、毎年梅雨になるとわが家の庭を綺麗な花でいろどってくれる。
父は、そういう人だった。なにかを贈る時は、いつも花だった。
姉が妊娠して、つわりでグロッキーになっていたとき、姉の家を訪れるとベランダには父の寄せ植えがあったし、わたしがつくばに住んでいた時も、父の寄せ植えがベランダにちょこんと置かれていた。
つくばの生活に限界を感じて家を飛び出し、実家に帰ったときもそうだった。
傷心のわたしに、何か声をかけることはしなかったし、つくばでの生活を聞いてくるようなこともしなかった。
何も言わず、何も聞かず。
ただ、人生のどん底にいたわたしを、愛犬のみるちゃんと一緒に滋賀県に連れ出し、満開の菜の花畑を見せてくれた。ただただ黙って、みるちゃんと菜の花の写真を撮ってくれた。
美しい景色を見せて励まそうとするなんてね。
そう。父はそういう人だったんだ。
不器用で、気の利いたことは何も言わない。
花を贈ることで、心を贈ってくれていたんだってことに、やっと気がついた。
黄色いちめんのお花畑と、まだ雪が残る山々と、ふわふわの愛犬みるちゃん。
花と犬の脅威的な癒しを得て、わたしは立ち上がった。
3. 父に贈るタルトタタン
2020年、コロナ禍に入る少し前、お正月明けに父は倒れた。
癌が見つかって手術して、病巣が取り切れて喜んでいたのに、春には脳梗塞で倒れた。何ヶ月もひとりで入院し、リハビリを頑張ったのに右半身は動かなくなった。ようやく施設から家に戻れても、満身創痍になった父は、どんどん食欲が落ちていって痩せ細った。
もともと細いのに、ガリガリになってしまった。
離れて住むわたしは、コロナも重なって、何もできなかった。
この腹とお尻の肉を分けてあげたいけど、そうすればわたしも嬉しいのだけど、そんなことできないから。
夫が黒糖くるみにハマったと聞けば、父が昔食べていたことを思い出して送りつけ、いい肉を見つけたら送りつけ、母に父の好物のすき焼きを作ってもらえるように頼んだ。
寒くなって、感染者数が少し落ち着いた隙に帰省することになり、やっと会える日の前日にタルトタタンを焼いた。
父はカラメルが好きだから、甘くてほろ苦いタルトタタンなら少しでも食べてくれるかもしれない。そう思って、旬の紅玉を使って、いつもより真面目に、綺麗な仕上がりになるように真剣につくった。
わたしがいつもつくるタルトタタンは小林かなえさんの「紅玉のタルトタタン風」。タルト部分がタルトじゃなくてケーキになっているやつ。
固いタルトじゃなくて、ふんわりしっとりのケーキが土台だから、父にも食べやすいんじゃないかと思った。
お父さんはあまり食べられへんかも。という母の予想に反して、父はわたしのタルトタタンをおいしいと言ってペロリと食べた。あまりに母が小さく切ったから、確かおわかりをしていたと記憶している。
おいしいと言って食べる痩せ細った父と、横浜から大切に運ばれてきた手作りのタルトタタンをみて、目を丸くした姉が悟ったように言った。
「愛、やな」
愛って。笑うわ。愛なんて、そんな大したもんちゃうわ。ただ食べて欲しくて作って持ってきただけや。
愛とか言われて恥ずかしかった。
でも今ならわかる。それが、愛なのだ。
世界はそれを愛と呼ぶんだぜ、ななよ。
翌日、わたしが帰ってからも、残りのタルトタタンを父と母、2人で食べたらしい。父は「うまい!」と言って、ひとり分をペロリと平らげたと母がLINEをくれた。嬉しかった。
このレシピを公開してくれている小林かなえさんと、タルトタタン風レシピの存在を教えてくれた友達に、心から感謝の気持ちを伝えたい。
わたしは父に何もしてあげられなかったダメな娘だったけど、あの時父にタルトタタンを食べさせてあげることができて、よかったです。
ほんとうに、ありがとうございます。
小林かなえさんに、届きますように。
4. だれかに心を贈るとき
ひとは、だれかに心を贈るとき、愛ってやつを表すとき、自分にとって大切なものを贈るのかもしれない。
父にとっての「花」。
わたしにとっては、それが「おいしいもの」なのだ。
なかなか器用に伝えられない心を、何かにのせて贈る。誰もが、その何かを持っている気がする。
あなたは、大切なだれかに、何を贈りますか?
それこそがあなた自身にとって、一番大切にしているものなのかも。
わたしはこれからも、おいしいものを通して、心を贈ることを続けたいと思う。
そして小林かなえさんのように、だれかが大切な人に心を贈るお手伝いもできたら、素敵やなぁ。
キンモクセイの香りを吸い込んで、今年もようやく、母の誕生日プレゼントは何にしようかと考える。
キンモクセイからのお便りが遅れに遅れたせいで、母の誕生日はもう過ぎてしまったけど、リマインドが遅れたのだからしかたがない。
今年も、母が好きだと言ってくれる、カラメルマーブルのシフォンケーキを焼いて贈ろう。
ひとりで暮らす母には食べ切れない、だれかと一緒に食べられるような、大きなシフォンケーキを。
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