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好きのその先はどうなっているのかなぁ
幼い頃、パンが苦手だった。
そもそも食が細くて、食べる前から完食できるかどうかのプレッシャーで食べ物が喉を通らない。その上口の中の水分を持っていかれるパンは特に苦手だった。
昭和の保育園には土曜保育があって、給食を食べた後に園庭に出てお帰りの集会をする。皆がさようならの挨拶をしている時も、わたしは1人お部屋に残されオエってなりながらパンを必死で飲み込んでいた。
そんな私の姿を母は柱の陰から見て泣いていたらしい。
いつからだろうか。食べるのも作るのも、パンが好きになったのは。
1.父の塩パン
初めて手作りパンを焼いたのは、小学生の時。
後にも先にもたった一度、父と2人で台所に立ち、料理をした記憶。
わたしは覚えていないけど、母はケーキやパンをよく手作りしてくれていたらしい。そういえば、姉の誕生日に、母が作ったっぽい巨大なケーキでお祝いしている写真を見たことがある。
わたしの料理好きは、母譲りかもしれない。
子どもの誕生日には手作りケーキを焼き、休日にはパンを焼く。
そんな母に、誕生日を前にした小さな姉が言った。
「誕生日はお店のケーキが食べたい」
それ以来、母は手作りケーキもパンもやめてしまったというのだから、私に母のパンの記憶がないのは姉にも責任がある。
父はザ昭和の父親だったから、台所のことは母任せだった。母でなく父と作るハメになり、お父さんで大丈夫かな、という不安は最初からあった。
「お父さん昔ひとり暮らししてたから料理上手いんやで。」などと言うので、とりあえず信じてみることにして、父と初めての自家製パンを作った。
部屋中に焼きたてパンの香りが広がりだすと、さあ食べるぞと気合満々で手を洗いに行った。
洗面所から戻ってくると、緑色のテーブルクロスがひかれたダイニングテーブルに焼きたてパンが山盛り置かれている。
おいしそう!!
なのに父の表情が冴えない。
「あかんわ。」
え?なにがよ、めっちゃおいしそうやのになんでよ。
「あのねぇ。。砂糖と塩、間違えへんだ?」
ま、じ、か、よ。
確かにしっかり思い出せた。パンってたくさんお砂糖つかうんだな〜と思いながらスプーンにいっぱいのお砂糖を入れたこと。
まじか、あれ塩やったん・・
砂糖の代わりに塩を入れられたパン生地がうまく発酵するはずもなく、歯が立たないほどカッチカチの食品サンプルが焼き上がってしまった。
食品サンプルをせめて部屋にかざりたいと言ったけど、両親にとめられた。
塩パンが流行り始めた時に、それは美味しいのかい?と思ったのは、あの日父と作った塩パンを連想してしまったからに他ならない。
悲しいことに、それから我が家でパン作りに挑戦するものはいなかった。
2. パンがくれた心地よい時間
結婚後、久しぶりに帰省したら、実家に最新家電が追加されていた。
姉が持ち込んだホームベーカリー。
材料を入れるだけで朝焼きたてのパンが食べられるという夢のような技術が、実家に再び焼きたてパンの香りをもたらしてくれた。
おいしい。
ただの食パンなのに、「焼き立て」というだけで手が伸びる。通りがかりに家族がちぎってひと口。お茶飲んだついでに、ひと口。そうやってあっという間に完売するんだから、焼き立てパンの力は凄まじい。
これだ。と思った。
その頃の私はといえば、息子を妊娠してすぐに会社を退職し、子育て中の新米おかあちゃん業に精を出していた。
妊娠前は現実逃避なのかなんなのか。焼き立てフランスパンを自分で作りたい妄想に駆られて、プロ向けみたいな分厚い製パン本を購入しては、帰宅後に眺める虚しいワークライフを送っていた。
横浜に戻った私はパン作りに挑戦した。
そしてようやく、思い描いていた自宅で焼きたてパンを作る暮らしを手に入れる。焼きたてパンに魅せたれた夫も、離乳食が始まった息子も、初心者のへっぽこパンを喜んで食べてくれるのだから、楽しかった。
私はパンを作るのが大好きになった。あの時確かに、私は心地よい時間を過ごしていたなぁ。
3. 好きのその先に広がる世界
辞めてその先どうするよ。
会計士の仕事をしなくなった私は、自分の中の何を頼りに生きていくのか。自分の何を誇り、10年先に子どもたちが手を離れた時は、何をして過ごすのだろうか。
今まで培ってきたことが無駄になってしまう。そんなふうには思っていない。
会計士なんていっても私は大したことはしていないし、会計知識なんてどんどん変わっていくから必要な時に調べて使う甘々ちゃん。
不安に思うのはどうもそこじゃない。
20年着てきた重たい服を脱いだ時、自分がついに何者でもなくなってしまうようで不安なのだ。
育休中はよかった。赤ちゃんを無事に育てるという何より大事な役割を担っていたし。実際大変なことをやっているわけだから、仕事をしないことに対する大義名分があった。だから、育児に右往左往しながらも、おもいっきりパンを焼いたり、新しい料理に挑戦して堂々とゆったりと過ごした。
今、長い間自分に課してきた大きなものを降ろすとなると、その分ぽっかりと大きな穴が開くのだが、そこに好きな料理を入れちまっていいのか?それは趣味だろ?私は何に向かうんだ?という漠然とした不安感がおしよせる。
好きのその先に、私にも、新しい世界が広がっているんだろうか。とりあえず、、やってみる?