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ずっと気になっていた人に会いに行く

朝、いつものように自分で焙煎した珈琲を飲んでいた。

「今日、あの方に会いに行こう。どうしてもあの方の珈琲が飲みたい」

お店を検索するも情報が少ない。交通手段は電車で1時間少々。
お店の前に自転車が停まっていれば営業中とのこと。
 
ハードルが高い…
しかし、直接問い合わせる気にはならない。運に任せる。営業していても、していなくてもそれは何かのお導き。
 
とにかく行ってみた。
隠れ家すぎる隠れ家の前に自転車が停まっている。第一関門突破。
しかし、看板や表札らしいものが見当たらない。店舗なのか民家なのか迷いながらドアを開けた。
 
気難しそうな頑固オヤジだったらどうしよう…と少し緊張しながら店内に入った。
 
しかし、やっとお会いできたその方はとても物腰の柔らかいジェントルマンだった。想像の真逆過ぎて違った緊張感に襲われる。
 
お店では深煎りをオーダー。そっと一口飲んでみる。
「美しい…」この言葉がしっくりくる。語尾力なくてこれ以上語れない。
いや、語る必要はない。最後の一滴まで美味しかった。
 
珈琲に興味を持って以来、その方のブログのファンだった私はそこからたくさんの学びを得ていた。やがて自分も焙煎をするようになって、このブログに書かれている焙煎理論の奥深さ、珈琲業界への真摯な思いがとてつもなく深く熱いものだと確信した。
 
翌日のイベントの準備中にも関わらず、膝を交えて頂き焙煎に関する貴重なお話しが聞けてとても至福の時間だった。

話しの途中で「売るものがなくなりますよね~」とお互い笑い合った。これは自分の珈琲へのジャッジが厳し過ぎると、商品として提供できるものがなくなるってこと。

焙煎後の味見で「もう少しここが…」となってしまう。
これは仕方ない。課題を見つけるクセがついてしまっている。
なぜならもっと美味しい珈琲を作り上げたいから。この一心。
きっとゴールはない。

お店を出た後、もしかするとその方はなぜ私がここに来たのか分かっていたのではないかと思った。焙煎談義の中で貴重なアドバイスを幾つか渡してくれた。
 
それはその方が何年もかけて、何度も焙煎を繰り返して…それでも投げ出さずに積み重ねて得たもの。
 
この"渡されたもの"をしっかりと自分のものにする。
そして自分の珈琲を飲んだ皆さんが「自然と笑顔が溢れる」そんな珈琲を世に出すことが、その方への恩返し。

お店でモカブレンド(深め)とエチオピア・シダモ(浅め)を購入。
自宅に戻りその大切な珈琲を静かに淹れた。
まず、焙煎豆そのものがキレイだった。これは重要なポイントだと思っている。

そしてひと口。
「美味しい…」と自然に言葉がでる。珈琲自体の美味しさはもちろん、その方の人間性も風味となり豊かな気持ちになった。

目指したい珈琲(味)がある。
そう思わせてくれる珈琲に出会えたことはとても幸運なのだ、と心底思った一日だった。


 

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