「人は幸せになるために生まれてきたのです。」
わたし、今、とてもハッピーなんです。
なぜならば、帰りに通ったおにぎり屋さんがセールをしており、いつもなら特別なとき以外は買わない天むすを買えたから。
やったー!!てんむすー!!
買ったのは数時間前なんですけれど、テーブルの上に買ったおにぎりを置いてあって、それを見る度に「明日これを食べるんだ、うふうふ」ってほくそ笑んでしまうので、買ってから時間が経ってなお、おにぎりがくれたハッピーは、今も私の手元にあるのです。
「小さい幸せを『あ、幸せだ』と感じた」ことに気がつけたら、
私の心も捨てた物じゃないな、なんて思ってみて、
それがまた少さな「嬉しい」を呼ぶんだ、と今気づきました。(今?)
この一連の積み重ねが、自己肯定感に繋がっていく気がするので、
私はこういう思いを蔑ろにしないように、
綿の中の火種を育てるように、
そういうふうに生きてみたい。
日々思うことたくさんあって疲れてしまう、そんな日常ですけど、たったひとつのハッピーを手にしたら、大事に大事に取りこぼさないように。
「いや脳内お花畑かーい」ってツッコミをする私もいるんですけれど
いやいや、
脳内はお花畑のほうが絶対いいって。
脳内阿鼻地獄より絶対いいって。
いざというとき逃げ込める手段は、いくらでも確保してていいと思います。
苦しいことは突然ずかずか踏み込んでくるけれど、対して、楽しいことは自分で用意しなくちゃ手に入らない。
人に幸せにしてもらうなんて、人を幸せにするなんて、
ものすごく難しいことだから、それよりも、
自分を幸せにする許可を自分に出したほうが、余程ラクです。
「幸せになる!なんて言ったらワガママだと思われるんじゃないかな」と思う人は、たぶんワガママだなーと思われるようなことは、しない人だと思います。
そんなふうに考えちゃった人は、もう少し自分のことを思い遣ってもいい人だと思います。
鈍感なほうが、世間を泳ぐのはラクですが、敏感なことはすごく素晴らしい能力なので、それはそのまま、時と場合によってアンテナを緩める手段を覚えたら、きっと生きやすくなるんでしょうね。
私は鈍感なほうなので、気の利く人とか、他人をよく見てる人とか、人のきもちに敏感な人とか、すごいなと思って尊敬しています。
なんならもう少し周りを見る目を養いたいんだけど、養い方わかんないんですけどどうしたら身につきますか話それた
ここまで長々と何が言いたいかというと
私はあなたの幸せを心から願っている
ということでした。
みんな幸せでいいんです。
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