ポンコツな私のウツ歴史⑤四十にして惑う
思えば、人間は年齢を重ねるごとにしがらみを抱えるように社会が要請していて、その社会の期待を必死で叶えようとしていたのが20〜30代の自分でした。
大学受験は苦労しました。就職は、超氷河期を勝ち抜きました。結婚もそうです。あちこち転勤しながらも結婚相手を見つけ、結婚して、子供をつくり、仕事も両立して、と、100点満点の人生を求めていました。
■持ち家は、資産か負債か
マイホームもそうです。
今の金利では、住宅は買った方が有利だと思います。ただ、家は買うと、お得ではあるのですが、精神的負担も大きいのです。それはローンや管理費だけではありません。それは管理と財産の維持。湯沸かし器が壊れたかもしれないとか(壊れたら数十万円の出費になります)、暖房機が壊れたかもしれないとか(同)、あるいはマンションの理事会だとか、結構負担です。高級なだけに何かと特別製が使われており、壊れたものを修繕するのにもコストがかかります。敷き込みカーペットが飼い犬にボロボロにされた時は、実に25万円の修繕費用がかかりました。
買ったのがよりによって高級なヴィンテージマンションだったから、いろいろ気を遣うところもありました。古い建物ですし、そもそも家が広すぎて不便な部分もありました。お風呂は追い焚きができませんし、なんといっても広すぎてインターフォンのチャイムが聞こえない。チャイムの人が帰らない前にオートロックを外そうとすると、家の中を走らなくてはなりません。
ただ、ものすごく背伸びをしていましたが、背伸びをした分だけ成長があったとは思います。
■苦労して維持した家を売る時
私がマンションを買ったのは、2012年。リーマンショック後、日経平均が8000円台だった時でした。私は株は買わないくせに日経平均をなんとなく毎日チェックしていました。金利も最低水準になっていたため、管理費が高いながらもギリギリ買えた物件でした。購入後、離婚し、その次の年、アベノミクスが始まり、東京五輪が決まりました。これは「ラッキー」でした。
■がんばって維持はしていたが
手塩にかけてリフォームした家ですから、3年ほどは手放す気になれませんでした。離婚後は、「もしかして次の誰かと一緒に住めれば」という気持ちが少しはありました。
それで、一応1人とお付き合いしてみました。相手は好いてくれていて、元夫とはちがって非常なタフガイ。呼べばピザの宅配のように来てくれます。優しくて、面白い人生を歩んでいて、、、
ですが、これがまた負担に感じはじめました。なぜなら、デートをしなくてはなりません。デートは外出です。外出は、疲れます。
家に来てもらって、くつろぎの時間も、ゴロゴロはしていられません。自分の家に呼ぶと、何かとご飯の支度など自分の手を動かすことが増え、最初はいいのですが、何度かやっているうちに「なんで疲れた体に鞭打ってこんなことしてるんだろう」と思うにようになってしまいました。
結局、デートも楽しめないし、新しいデートスポットなどないし。人間40年も生きていると、パークハイアットのラウンジに連れて行ってもらっても、「なるほどね」としか思わない。可愛げないことこの上ない。「すてきー!」と言えない自分が悲しい。
と、いうわけで、その方とはお別れし、次は犬を迎え入れました。
子犬が家にいる、ということがまるで夢のようでしたが、これもまあ、心配事を増幅させるものではあります。一度家に帰ったらトイレシートをほとんど食べていて、「死ぬんじゃないか」と心配しました。
それでも、「持つ」のが大変な家を売る決心しました。リフォーム代入れればトントンでしたが、大きなお金が手元に入ってくることは確かです。
■会社をポイっと辞めた時
それを考えたら、急に「起業」に興味が湧きました。
ジャーナリストとかマスコミというのは、学者のようなものです。一般常識とか時事問題には一般の人よりおそらく広く浅く詳しいのですが、どこかのスペシャリストになることは、ほぼありません。
貨幣経済は、お金をやりとりすることで価値が生まれますが、それはやったことがないのです。世の中は「お金」が「血液」として流れています。売り買いという、生活では基本行動を日々しているわけなのですが、それがどうやって社会を回しているか、ちっともわからないのです。
また、30代まで、みっちり社会についての勉強をさせてもらい、社会の半分はだいたい知ることができました。世の中の相場、というものも見えて来ました。だからこそ、
結局今のところ、歩みは遅々として進まず、アートギャラリーのお手伝いをさせていただく中で、人の輪が広がっています。アートギャラリー自体も立ち上げたばかりの組織なので、経営たるもの、というものを教えてもらいつつ、ぼおっと生きている感じです。
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