勝負師にはなりきれない私が普及を考える
このnoteは「②観る将歴2年の女が指す将を始めてみたら泣きながら帰った件 https://note.com/renimatu/n/n98b29ccc8f96 こちらのnoteを拝読して書きたいと思って書いたnoteです。
自分はねこまど将棋教室という将棋を普及する会社に属し、2022年には普及指導員の資格を取った人間であるため、たぶん「将棋ガチ勢」と思われているのかと思います。
そんな私は、自分で言ってはあれですが、勝ち負けを気にしすぎたり、自分へベクトルが向きやすいこともあり、勝負師には向いていない性格のため、将棋を指すには向いていないな~と思うことが多々あります。
私の知人はこの状態を「繊細」という言葉を使われましたが、じゃあそうでない人は繊細ではないという訳ではありません。
繊細であっても「うまく鈍感になれる」「運の要素が現れない将棋の勝ち負けに慣れる」ということを習得できているか、そもそも持ち合わせていた方は居るのでは?と思います。
私はまだそれが出来ていないだけのことです。
将棋をはじめたきっかけ
さて私は将棋を見始めたのは大人になってからです。32歳の年だったかな。今から6年前くらいです。
どうして興味をもったかというと、たまたまYouTubeのおすすめ動画に、
第57回NHK杯戦2回戦第11局(2007年)の羽生善治 王座・王将 対 中川大輔 七段、解説加藤一二三九段の動画があがっていて、それを観たら「あまりにもプロ棋士がかっこよくて、そして加藤先生の解説が面白くて」という理由でまず観る将になりました。
そこからのめりこむようにいろいろな将棋の動画を観て、いつの間にか「ルールわかったら将棋もっと楽しくみられるのかしら?」と思い、なんと、ねこまど将棋教室が主催しているルールから学べる初心者向けの将棋教室へ行きました。
この時の講師の先生が瀬川先生で、瀬川先生のすごさも知らないまま行くという私でしたが、とてもやさしく教えてくださり、銀の動きを間違えた私に「銀って横行けないんですよ、すみません」って謝っちゃうくらい優しい先生がスタートだったのは幸運だったと思います。
ただ、この教室が終了し、いざルールを覚えたら今後どうする?問題に直面しました。
その時にふと初心者教室が終わったあとの打ち上げ会で「〇〇先生という普及指導員の方がいて、その方はとてもやさしく教えてくださる方教えてもらうといいよ」という話を思い出したのです。
ただコンタクトの取り方は全くわかりません。
なので、2か月くらい初心者クラスで教えてもらった浦野先生の1手詰ハンドブックを1日5問くらい解くような生活をしていました。
正直平手の指し方が全然わからなくて、初心者教室でも駒落ちだったので、ネット将棋が怖くてできなかったんです。
しかも平手って突然駒増えるじゃないですか(当たり前なんだけども)。
その情報量の多さに参ってしまったところもあって、自分は駒落ちを好んで指していましたから、余計平手が指せずにいました。
これは今も言えることで、たぶん私の平手歴はトータル時間は2年くらいです。前に3年くらいと友人に伝えたことがありましたが、3年は盛った。2年でも盛ってるかもしれない。たぶんもっと少ないかもしれません。
そのため級段認定の際も、駒落ちで先生に対局していただいて実力を見ていただく認定をしていただいています。
こんな感じなので、将棋道場にも数回しか行っていません。しかも手合いをつけてもらったのではなく、指導していただいてる先生と一緒に道場へいき、そこで先生と指してもらったというだけ。
話がそれましたが、「〇〇先生」へのコンタクトが取れないまま2か月すぎ、見事な難民生活を送っていたので、たぶんこのままいけば将棋からはなれてしまったかと思います。
ただ私は非常に運がよくて、たまたま足を運んだところに〇〇先生がいらっしゃったんですよ。そこから、〇〇先生にご指導いただける機会が得られて難民生活から脱出できたというだけの話です。
本当に運がよかったです。
当時のわたしの将棋の楽しみ方と今の私の思い
将棋のルールを学びいざ習得したけれど、次に進むための道筋がわからない。
オンラインもリアルも怖い。
このような私が将棋を続けられたのは、本当に運がよかったとしか言いようがないです。
というか、当時の将棋のモチベーションというのは、「あの憧れのプロ棋士の先生の指導対局を受けたい」だったので、オンライン将棋やリアルでやり合うという方向性に向かなかったというのも理由のひとつ。
だから駒落ちの練習ばっかりしていたんですよね。
「あの先生の指導対局を受けたいから頑張る!」みたいな楽しみ方も、将棋の楽しみ方の一つだと思うんです。
もっと言えば、「頑張る」って思わなくてもいいとも思っていて、
将棋やらなくても将棋と出会った仲間と集まって楽しむ・・・でも立派な楽しみ方のような気がするのです。
「今は将棋してないんだ。ごめんね」がどうしても悲しい。
コロナウィルスの感染拡大にともなって、リアルで会う機会が減りました。
社会全体大きな変革がおき、それ以前に会っていた友人も生活に大きな変化があった方もたくさんいます。
そしてつい先日久しぶりに会えた時に、友人から「今は将棋指していないんだ。ごめんね」と謝られたことがありました。
たぶん、私の今の立ち位置を思って言ってくれた言葉だと感じました。
が、そう友人に言わせてしまったことが、私は悲しかったんです。
私は、将棋はひとつの趣味であり、生活の変化、気持ちの変化でやめることだって自然だと思っています。
だけど、やめたことに対して罪悪感を感じることは非常に悲しいなと思いました。
むしろ将棋辞めても、当時一緒の時間を過ごした大事な仲間であることにはかわりなくて、これからも将棋無くても一緒に過ごしたい。
将棋があってもなくても、あなたが大好きであるということを伝えたいのに、「将棋してないわたしでごめんね」を言わせてしまったのがとても悲しかったのです。
将棋の楽しみ方について
私自身、運が良くて将棋がつづけられています。
駒落ちのみの将棋の楽しみ方を受け入れてくださる方が周りにたくさんいるからというもの大きいです。
そんな私でも「将棋は楽しい」と思っていて、いろんな人にこの楽しさを伝えたいと思って今の生活を送っているのだと感じます。
そもそもねこまど将棋教室は「楽しく将棋と過ごす」というのがあって、そこに私が惹かれたのが事実です。
「いろんな楽しみ方あって、その楽しい方でいい」
という思いを伝えたい。
観る将でも
駒落ち将でも
平手将でも
オンライン将でも
リアル将でも
推しの先生将でも
将棋で知り合った仲間とたのしくすごす将でも
楽しくあってほしい。
その人の「楽しい時間」であってほしい。
と願ってしまう。
だからこそというか、私の将棋の生い立ち?からも、
いろんな人が楽しめる場をいつか作りたいと思っていて、
それで普及指導員を取ったというのが理由だったりします。
たまたま運がよかった私が、これから将棋に興味をもってくださる方や今持っていても続けることが難しいと感じている方の橋渡しに成れるように、運で終わらせないために、自分ができることを一生懸命考えたいと思います。
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