【エンタメの中華街 #15】「孤独のグルメ」を見て感じた感想の目的地
音声編集がなかなか終わらないnanashiです。
現在配信を予定しているポッドキャスト「ななしのはなし」のメール募集用のGoogleフォームがやっとできました。
記事を書くたびフォームを乗せるのでしつこいと思いますが、募集しているテーマ内容は時期によって変わりますので度々見ていただけると幸いです。
皆さんのメールだけが本当に頼りですので是非一度送ってみてください。
(本当にお願いします…助けてください…)
ということで第15回は「孤独のグルメ」について語っていこうと思います。
ドラマとの出会い
このドラマの出会いは小学生のころだったと思います。
月9の恋愛ドラマを学校の話題にしていたころ、急に父親からこのドラマを勧められました。
初めのころは単なるドラマだと思っていました。
ただ現在にまでも名ドラマとして続編が作り続けられ、もう少しで映画も公開されるなど最近になってやっと良さをじわじわと感じています。
参考にさせていただいた記事
有識者の方々の方がより深く理解していると思うので参考にさせていただきました。ありがとうございます。
ドラマを見て
まずこのドラマのOPでの言葉を覚えていますか?
この言葉を体現するかのようなキャラクター性と演技が光っていますが、特にドラマで注目してほしいところは五郎さんの感想です。
「自分勝手になり自由になる」を表現するようにご飯に対するコメントや感想を声に発するのではなく、あくまで自分自身に理解させるかのように想像するだけで終わっています。
孤独のグルメの名言ランキングを調べてみると「うん、うまい肉だ いかにも肉って肉だ」や「こういうの好きだなシンプルで ソースの味って男のコだよな」などが入賞しており、それらは自分勝手で自由な表現ばかりです。
そこで気になるのがこの番組がグルメ番組であるということです。
もし皆さんが演者だとしてグルメを紹介する場合、どのような表現を誰に向かってするのかという話です。
例に表すと「この肉から染み出る肉汁が食欲をそそります」であったり「このプチプチとした食感が最高です」などと、この映像を見ている多くの人たちのため伝わりやすくかつ想像しやすいような表現にするのが一般的だと思います。
グルメ番組であるはずの「孤独のグルメ」では全く違い、視聴者たちは目的ではありません。
食した五郎が自分のために納得するような表現を考え、その感想を視聴者である私たちが隠れ見ているような構図になっているのです。
一見この構図が悪いのではと思うかもしれませんがその食事を視聴者に食べてもらうため一般化された言葉をつらつらと並べるのではなく、食事をした張本人が自身のために自分勝手な感想を作るほうがよりリアリティがあると私は思っています。
最後に
「孤独のグルメ」を見させていただきました。
少し前に自分の中で再熱し始めたドラマだったので今回は題材にしました。
何度も何度も書いてしまいますが、Googleフォームでテーマメールとコーナーメールをどしどし募集していますのでよろしくお願いいたします。
頑張って書いていきますのでフォローとスキをよろしくお願いいたします。