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noteを書くのが恥ずかしい

 さも、教師になったかのように「○○はこうするべき!」とnoteを書く。 正直恥ずかしい。というのもnoteも含めて、ブログやSNSサイトなんかで、「素人の若者が粋がって発言をしている、枠がっていないで、新しい事に挑戦をする事が大切だ!」という感じの発言をよく目にするからだ。まあ、一応若者に入る自分も「その通りだな新しい事に挑戦するのは大切だよな」と、そう思う。
 という事で、自分は新しい挑戦として「素人の若者が粋がって発言をする挑戦」をしようと思っている。
 ・・・はい、恥ずかしい発言しました、穴があったら入りたい。

 「素人の若者が粋がって発言をする挑戦」と書いたが、どういう事かと言うと、自分の知っている知識をブログに、説明する形で書こうと思っているのだ。(というかもう書いてる。)
 基本的に発言する内容は「絵の事と絵を含め繋がりや投稿する場所の事」です。
 この内容とした理由は、絵が好きだから話したい。と言うのと、このnoteも含めてSNSでの群衆の考え方つまり「集団心理」や「行動を起こした時に、それに対して反応がある確率」等に興味を持ったからです。

 この「素人の若者が粋がって発言をする挑戦」を行う理由としては
ブログに発言を残す事で、説明の方法や自分の中にある情報の整理を行いたいと思ったからです。
 名言を引用すると、アインシュタインの言った『6歳の子どもに説明できなければ、理解したとは言えない』と明言から、知識は多ければ良いわけではなく、多様性がある方が自分は良いと自分は思うようにしています。いくら知識量が多く難しい言葉を知っていても、6歳の子どもに教えられるくらいの多様性が無いと実際ちゃんと扱えないよ。と、名言の言葉を利用して言うとこんな感じでしょうか?
 情報を整理し説明口調で文を書いて、そして絵描き友達とそんな話題になった時に、そのまとめた言葉をその人に合わせた説明に変えて発言(つまり他人のレベルに合わせた発言)をしたいと思ったからです。

 こう思ったきっかけになるのですが、以前この「他人のレベルに合わせた発言」という事を理解していない人に会った事がありました。その人の特徴を上げると

全ての人に言葉使いを変えずに接する人で
全ての人の作品や行動を褒めて
そして、全ての人に平等に自分の技術や作品を見せて教えてくれる人…
凄く良い人だと思いませんか?

 自分がまだ初心者と言えるくらいの時です、勿論そんな初心者にも分け隔てなく、専門用語と横文字ばかりの言葉使いで発言しまくり、どう考えてもあまり良くないであろう内容に対してもうわべだけの褒め言葉を与える人…。
 皆で作っていた作品なのにに良い良いと言っていたにもかからわず、何か気に食わなかったのか、最終段階で個人で作っていた作品で出すと言い出す。
 自分たちが別の事を話している時にも割り込むように作品を皆に見せ、こちらが別の新しい技術を入れて創作活動を行なっている間も、これをやろう・あれをやろうと、やっている事と違う新しい技術(その人が挑戦していた技術)の話ばかり言い続ける人でした。
 勿論、そんな人なので直ぐに連絡を取らないメンバーが増えて終わりましたが、その人が解散間際に言っていた言葉も結局は「新しい事に挑戦をしないで皆いなくなってしまった」と言っており、ここで初めて「知識量が多いのに一辺倒でその技術以外理解していない、だから他人の新しい挑戦も理解できない浅はかな方なのだ」と考えたわけです。

 そこで、始めて「他人のレベルに合わせた発言」がどれ程大切な事かを思い知らされました。
 少し差別的な言い方になりますが、「人の年齢によって言葉使いを選ぶ」それ以外にも「時や場所・性別・その人の持っている技能等によって言葉使いを選ぶ」これは個人の意見として必要ではないかと思います。

 という事で、言葉使いをTPOに合わせて変える事の出来る。多様性のある知能を得る為に、その前段階の知能をまとめる考える場として「素人の若者が粋がって発言」しているかのように、ノートに書かせて頂こうかと思っています。

PS)ちなみに、途中で話した事は半分作り話みたいなものです。特定の方ではなく悪い面が垣間見える複数人を混ぜて言っていたりしていると思って貰えればいいかな。バラバラに言うと意味分からなくなるので、まとめてみました。 それでも数人なので、そう言う方は自分の周りに少ないのが救いだな。
 何か思いついたら、随時新しいnoteの使い方に挑戦していくとは思いますが、少なからず楽しくやっていく予定なのでよろしくお願いいたします。

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