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一目惚れしたのは、寄宿舎の学校でした

さぁ、気を取り直して、家族の紹介の、その続きだ。

家族の次にナナシノユキサンを作り上げたものが、通った学校。そして、こんなに大好きだった家族と離れて育った理由だ。

「絶対にこの学校に行く!」と自分で決めた中学は、寄宿舎の学校だった。

自分で決めたと言っても、学校の特色や教育理念に共感して、なんて話ではもちろんない。私立一覧みたいな分厚い本をペラペラした時に、お城の写真に一目ぼれしてしまったのだ。(後に、それはお城ではなく、お御堂だったことが判明する)

「寄宿舎で一週間おうちに帰れないんですってよ!おうちから遠くよ!ここ、厳しい学校よ!」

"子供らしく"育ってほしいと考えていた両親は、小学校も個性を伸ばして育てるような学校を選んで入れていた。父も母も不安だった。

とことが、ナナシノユキサン、"寄宿舎"なんて聞いた瞬間飛び上がる。願ったり叶ったりだ(正確にはこれから受験だからまだ叶ってはいない)。おちゃめなふたごシリーズが大好きで、寄宿生活を夢みていた。このお城の中で、夜中に起きだして、こっそりケーキを食べる(おちゃめのふたごの中にそんな描写があったような気がする)、そんな自分を妄想して、興奮したナナシノユキサンの耳に「厳しい学校よ」の部分は、まったく届かなかった。

「うん、いい!ここに行く!」

そういうことで、中学・高校の6年間、ナナシノユキサンは山の上にある寄宿舎で過ごした。毎週、日曜日の夕方には寄宿舎に戻り、金曜日の授業が終わったら、新幹線で東京の家に帰る。そんな生活だ。


「厳しい学校よ!」が聞こえていなかったから、最初のうちは、大きくなりすぎてしまった妄想と現実のギャップに苦しんだ。

「絶対ここ!」と、勝手に自分で決めて入学したのに、日曜日の夜、「おかえりなさい」と生徒たちを迎えるシスターに、絶対にただいまなんか言うもんか、と勝手に謎の反抗を決め込んだりしていた。

ルアン先生シリーズ(にはさからうな/はへこたれない)という、荒れた学校で教師を務めた女性の話を読んで、大好きだった小学6年生の担任だった先生に「この学校は、規則ばっかりで、個性を見つけてくれるルアン先生のような先生はいません」と泣き言の手紙も出した。(「厳しい学校よ!」って釘さされたじゃん!もぅ!)

先生からは1週間ほどでお返事が来た。ルアン先生の本も読んでくれいて、8枚の便せんで、ぎっしり励ましてくれた。


その学校は、おちゃめなふたごが通った学校ではなかったが、牧草地があって茶畑があって、山も竹やぶもあって、小川も流れている、というような、本当に絵本に出てきそうな学校だった。

友達と、数えきれないほどのけんかをして、仲間外れをして仲間外れにもされて、先輩に怯えて、先生たちにもたくさん反抗をして、もしかしたら、最初の3年間は、泣きながら寝た夜が半分くらいもあったかもしれない。

でも、放課後には「世の中でこんな純粋な遊びしてる高校生いないよねー」と笑いながら、牧草地や山の中を探検して、体育館でバドミントンして、太ったと言っては、1kmもある校門までの山道をウォーキングしてダイエットに励み、空は澄んでいるから、気持ち悪いぐらいおびただしい数の星が見えて、なんとか流星群は、みんなで毛布にくるまって、寒い校庭に寝っ転がって見た。敷地中、電線はすべて地面に埋め込まれていて、どこも、まるで日本じゃないみたいな風景だった。

2クラスしかなくて、成績なんて貼り出されたことがなくて、塾に行けない寄宿生たちのために、自分の時間を使って、夕食後の食堂に来て、勉強を見てくれる先生なんかいたりして。"宗教"と言う名前の授業は、聖書のことよりも、「この世界で何が起きているか、自分に何ができるのか」ということを考える時間で、お弁当を食べるマリアガーデンというお庭は、本物の天国みたいな景色だった。憧れの先輩もいたし、ナナシノユキサンに憧れてくれる後輩もできた。前半3年間でたくさん傷つけあった後、後半の3年間で育んだ友情は、20年たった今でも、ナナシノユキサンを支えてくれる。


そして「ねぇねぇ、私たちの学校ってさ、本当に最高だったよね。とか言うと、"うちの学校も最高だったよ"とか言う子いるだろうけど、それでも、それより絶対に最高だったよねー」なんて話をよくしている。


余談になるが、この学校の、たくさん遊んだあの牧草地が、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で使われているというから、ナナシノユキサン、もうこれは余計に鼻高々である。


以上、素敵な寄宿舎とナナシノユキサンでした。


あぁ、ナナシノユキサン、家族とこの学校が本当に好きで、この先も、たくさん書いていくだろうなぁ。あ。くろねこのおもちくんのことも書きたい。

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