「正解の人生と幸福な奴隷」ショートショート
人生の半分は、不幸でもう半分は幸福。
そういう言葉を聞いたことがあるが、私の人生はそれを体現していた。
人生の半ばまでは、不幸だった。
いや、物質的には充実し、不足はなかっただろう。
生活に困ることはない。
これは別に自分が裕福というわけではなく、国のーーいや、技術革新のおかげだろう。
生活維持コストが激減し、ベーシックインカムも導入され、ある程度の、20世紀末のこの国の平均的な生活水準はクリアしていた。
娯楽もほとんどタダで代用できる。
不幸な要素がないとおもえるだろう。
昔の人にとっては。
しかし、現代に生きる人々にとって、最低限の生活保障はありがたいが、苦悩のもとでもある。
ありあまる時間をどう使ったらいいのか、自分が何をしたらいいのか、それに日々悩むのだ。
この保護生活を抜け出し、ひとりで生きるということも選択肢の一つだろう。けれども、それを実行するのは難しい。
それを実行し、ほとんどのものは失敗し、なにもなし得ない自分を突きつけられて、帰ってくるのだ。
あらゆることがほぼ実現し、AIがさらなる技術革新を産み続ける世界で、人間が活躍できる場所などないのだ。
少し前までは「人間にしかできないこと」があったらしいが、ブレイクスルー以後は、そんなものはなくなった。
人間にしかできないことがないのに、じぶんにしかできないことなどあるはずがないのだ。
そのため、人生の意味を見出せずに自堕落になったり、自棄になるものさえ出ていた。
自分もそこまでいかなくても、なにか充実感のない日々を過ごしていた。
しかし、人生の半ばを過ぎた頃に、新しいサービスが始まった。
それは AI が自分にとっての幸福 を決めてくれるサービスだった。
自分にとっての幸福がなにか? という解はみなが悩むことだろうが、AIは過去データと未来予測からその人にあった生き方を決めてくれる。
そして、目標を与えられ、そのための実行項目を与えてくれる。
これだ! こういうものが欲しかったのだ。
これで社会貢献する意味や生きる意義が生まれる。
自分はそのAIサービスから送られてくる目標と、実行項目を着実にクリアしていく、適度に選択肢を与えてくれて、自分がよりいいだろう、というものを選ぶ。
ああ、充実感に満ち溢れた人生だ。
これがきっと、目的への情熱で、生きる価値なのだろう。
あと半分の人生は、幸福に生きられそうだ。
ーーーーー目的:〇〇才まで生きる
本日の実行項目
・●時に起床
・●時にA地区へ移動
・与えられた作業を実行
・●時に終了。帰路
・●時に就寝
明日やることがメッセージで届く。
ーーああ、為すべきコトが決まっている人生は、幸福だ。