【短歌エッセイ】季節ごと好きな花の名を教えたが自分で買えばよかった花束

季節ごと好きな花の名を教えたが自分で買えばよかった花束


 21歳の誕生日にどうしても花束が欲しくて、お花屋さんの前を通る度に恋人にねだった。百合とかすみ草が好き。デルフィニウムは青が好き。包装紙はこっちよりこっちの方が可愛いと思う。

 恋人とは大学2年生から卒業まで、約3年間付き合った。お互い家が大学の近くだったから、半同棲状態で毎日のように一緒にいた。
 付き合ってすぐにコロナ禍になったのもあり、家で過ごすことが多かった。春は手を繋いで家の前の桜並木を散歩して、夏は近所の公園で花火をし、秋はハロウィンパーティーをして、クリスマスは一緒にケーキを焼いてツリーを飾って映画を見た。六畳間の壁に投影されたハリーポッターの光が恋人の横顔をぼんやり縁どっていた。

 スタバのフラペチーノを飲めずに泣いたことがある。
 新作の桜フラペチーノを恋人とふたりで飲みたかったのだけど、フラペチーノを飲むのに相応しい完璧な気候の日に、完璧な服を探し、完璧なコンディションを整えているうちに、桜フラペチーノの期間が過ぎてしまって、結局飲めなくてひとりで泣いた。大学2年生の春、完璧でなければフラペチーノを飲むことを自分に許せなかった。

 付き合って3年目の夏、誕生日を前に別れ話をした。就職や将来像の違い、日々に積み重なる違和感が膨らんだ結果だった。

「別れないよ!」
「もう決めたことだから」
「でも別れたら、誕生日に淡路島行けないよ!さやちゃんずっと行きたいって言ってたでしょ」
「そりゃ行きたいけど……」

 決して旅行に釣られたわけじゃない。ないんだけども、「好きだから別れたくない」って言われるより、「旅行連れて行って欲しいでしょ」って旅行で釣った方が私が悩むってわかってる、その子どもっぽさや人間くささを受け入れてもらえてる安心感で胸がいっぱいになって、それで別れられなかったのだった。

 誕生日は淡路島の一棟貸しの宿にふたりで泊まった。旅行中に渡すと枯れてしまうからと、花束は帰ってからプレゼントしてくれることになった。
 六月の淡路島は涼しくて、曇った空にぽつぽつと星が光っていた。鈴虫の声が降るベランダでふたつ並んだハンモックに寝そべって、他愛ない話をしながら手を繋いで揺られていた。

 2日目は六甲山に行った。
 1日目に行くはずだったお店を2日目にずらしたり、六甲山のリフト整備の関係でバスの時間が変更になっていたり、色々な不運が重なって旅行の計画はめちゃくちゃだった。
 なんとかレンタカーを探して、六甲山に着く頃にはほとんどの施設の営業時間が終わっていた。唯一遅くまで営業していた六甲山ガーデンテラスで 、神戸の街並みを見下ろしながら神戸牛のハンバーグプレートを食べた。

「これでテラスが閉まってたら、ほんとに僕たち別れるかもしれないと思ったけど、さやちゃんが楽しそうでよかったよ」と夜景にはしゃぐ私を見て彼は言った。

 誕生日旅行から数週間が経ち、大きな喧嘩がきっかけで本当に別れることになった。彼とは少しだけ連絡を取っていたが、卒業と同時にやりとりは途絶え、それ以降連絡していない。結局、誕生日プレゼントの話はうやむやになって、花束を貰えることはなかった。

 花屋の前を通るとたまにその時のことを思い出す。
 レンタカーが借りられなくたって、営業時間に間に合わなくたって、一緒にいられたらそれだけでよかった。なにも足りないものなんてなかったはずだった。なにもかも与えられていたのに、足りなくしていたのは私だった。

***


 初夏の晴れた日、新しい仕事の面接に向かうために髪をセットしていると、昨日髪を乾かさずに寝たせいかハチの部分が膨らんで頭が四角形になっていた。
 ヘアアイロンの側面でなんとかボリュームをおさえようとしながらふと、寝起きに頭が膨らんでハチが張った私を見て大笑いし、愛おしそうに頭を撫でてくれた彼の手の感触が蘇った。
 なんか、もうこれでいいやと思って、適当に梳かした髪で出かけた。


***


 24歳の誕生日、自分へのプレゼントに花束を買った。これからはいつだって私は私に好きな花を買える。



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