この世で一番無駄なものは満員電車での通勤だ。
私は無駄なものが嫌いだし、苦手。無駄だと思ったらばっさり切り捨てる。
社会人になってそこまで経っていなかった頃、家賃の安いところに住んで50分くらいかけて通勤していた。1時間程度の通勤時間なら社会人なら普通だと思うけど、私にはとても耐えられなかった。例えば、最寄駅が始発駅で必ず座って通勤できるならまだいい。でも、私に座席が巡ってくることはほとんどなくて、終始立ち続けて本を読むかスマホを触るか、酷いとスマホすら見られないくらいに混雑する。しかも、満員電車は痴漢、スリ、ケンカ等々トラブルだらけ。そこまでのトラブルがなくても隣の人が密着してきて不快、誰かのセンスの悪い香水が臭い、吊革を持つ腕が顔に当たってうざいとか、もう不快のかたまり。
そんな不快のかたまりをかき分けて、朝なんとか会社にたどり着きPCを開いた私はもうくたくただ。
朝から全力で仕事をしようと思って意気込んでも通勤にすべてをかき消される。
だから、私は無駄な通勤をやめた。超職住近接、徒歩通勤だ。
徒歩通勤は最高だ。地下鉄で通勤していた頃には雨が降っているかどうかしか気にしていなかった天気も、晴れ晴れとした青空なのか、微かに雲が見える晴れ間なのか、曇天なのか、雪雲なのか、天気を気にかけられるようになった。
気が向いたら道を変えてすぐに通勤経路を変更できるのもいい。無駄な人事部へのお伺いも不要。近くにこんなお店があったんだ、休日に行ってみようかなって思ったり、わざわざGoogleマップで近所は宇宙だとか思わなくて済む。
何より朝からのパフォーマンスが安定するのが最高だ。朝は電車遅延とか電車や駅構内でのトラブルもあり、朝から気分が悪くなる日も珍しくない。自分が巻き込まれなくても、駅でケンカを見るのはやっぱり不快だ。そんなところでケンカして貴重な時間を潰し、周りのコンテンツになれるならまだしも、ただ不快な気持ちだけを蔓延させる無駄な存在達。
でも、きっとケンカしている彼らも、誰かの前では優しい人で、家族に囲まれ、愛されているのかもしれない。
満員電車での通勤は、毎朝自分の視界に何百、何千、もしかしたら万単位の人が目に入っているのかもしれない。それだけの人間を前にしたら、本人にとっては数年か十数年に一度のトラブルを、私たちは毎日起きる誰かのトラブルとして見せられているのかもしれない。だから、満員電車に乗らないで通勤すること、もっと言うと電車通勤は私にとって無駄以外の何物でも無い。
その無駄から解放されるために、私は高い家賃を払うべく激務高給で働くのだ。