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「夢と知りせば」1-14大いなる哉「建仁寺」



――今しかできないことを、たくさんするんだよ。

別れ際に聞いた間崎教授の言葉が、切れかけの電球のように、頭の中でちかちかと点滅していた。

どうしてだろう。指導者らしい言葉を聞くのは初めてではないのに。恵文社で出会った時にも、同じようなことを言われたはずなのに。そう、そうよ。「今しかできないことをしなさい」なんて、大人がよく使う常套句のはずなのに。

その声はとても力強くて、だけどどこか切なくて、過ぎていく時間を惜しむ気持ちや、どうにもならない過去への後悔が、ほんの少しだけ紛れ込んでいるような気がした。どうしてそんなことを感じたのかは分からない。出会ったばかりの頃だったら、気づかなかったかもしれない。友人のように1日を過ごしたからだろうか。普段とは違う教授の一面を見て、なんとなく、いつもと違う何かを感じ取ってしまったのだろうか。





身支度を整えて、最後に首からカメラを下げると、こん様と名づけた子ぎつねが、はしゃぐようにゆらゆらと揺れた。

(どこに行くんですか、琴子さん)

「今日は、宿題を片づけにいくんですよ」

ひとりごとをつぶやきながら、カメラにぶら下がったこん様のぬいぐるみをそっと撫でる。ぴょこんと飛び出た二つの耳と愛くるしい表情を見ていると、意思なんてないはずなのに、無性に話しかけたくなってしまうのだ。一度、夢でこん様と会話をしたせいかしら。頭の中に声が聞こえるような。動かせないはずの口で、必死に何かをわたしに伝えようとしているような気がしてしかたがない。

部屋を出る前に携帯電話を開いて、1枚の画像を目に焼きつけた。屋根瓦の上に並んでいる、「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿。この三猿を見つけることが、教授から与えられた宿題だ。場所を特定するようなものは何も写り込んでいない上に、教授から与えられたヒントは「祇園周辺」。たったそれだけ。

祇園には何度か足を運んだことがあるけれど、こんな三猿いただろうか。よく考えたらわたしが知っているのは四条通くらいだし、祇園というエリアにどんな店や寺社があるのかは、いまいちよく分かっていない。祇園「周辺」と言うくらいだから、わたしが行ったことのないような場所にあるのかも。そんなことを考えながら、こん様と一緒に部屋を飛び出した。





大学生にとっては夏休みだけれど、他の人にはただの平日。それなのに、着物で歩く人々の姿や、都路里の抹茶パフェを求める行列が見られるのは、ここが特別な場所だからだろう。

祇園といえば、京都の代表的な繁華街、そして日本の和の象徴。八坂神社を東に、鴨川へと続く道にはおうすの里、都路里、よーじや。その他にも南座や祇園花月、おばんざいの店など、体がいくつあっても足りないくらい、魅力的な建物がずらりと並んでいる。

久しぶりに祇園の雰囲気を味わおうと、宿題のことを忘れて四条通をぶらりと歩くことにした。カランコロン京都で和雑貨を選んだり、永楽屋でかわいらしい手ぬぐいを眺めたりしながら、時折屋根の上に視線を向ける。さすがに、この通りにはなさそうだ。

四条通を往復してから、南北に伸びる花見小路通に足を踏み入れた。石畳が敷かれていて、京都風の町家がずらりと立ち並んでいるこの通りは、時折舞妓さんがはんなりと歩く、祇園の中でも特に情緒溢れる空間だ。

ピークは超えたといえども、まだまだ暑い京都の夏。容赦なく照りつける太陽に目を細めながら南に下っていくと、5分ほど歩いたところで、大きな門につきあたった。

『臨済宗大本山 建仁寺』

建仁寺がここにあることは薄ぼんやりと知っていたけれど、そういえば中に入ったことは一度もない。三猿がいるかどうかは分からないけれど、せっかくなら立ち寄ってみるのも悪くないかも。

立ちどまっているわたしを追い越して、たくさんの人がどんどん門の中に吸い込まれていく。そうよ、何をためらう必要があるの。わたしは両手でカメラを包み込み、意を決して中に入った。





「写真撮影は、ご自由にしていただいてかまいませんよ」

参拝料を納めると、わたしの持っているカメラに気づいたのか、受付の方がにっこりと笑いかけてくれた。ありがとうございます、と軽く会釈して、わたしはパンフレットを受け取った。すべて撮影可能なんてめずらしい。確か、宇治にある興聖寺もそうだった。写真を撮りたいわたしにとって、とてもありがたいことである。

人の動線に従って進んでいくと、金色の光がぼうっと浮かび上がっていることに気がついた。近づいて見てみると、それは俵屋宗達の風神雷神図屏風だった。パンフレットの表紙にもなっている風神様と雷神様が、迫力満点に描かれている。貼りつけられた金箔が二神の威厳さを一層際立たせていて、本当にこの場に存在しているみたい。教科書やテレビで何度か目にしたことはあるけれど、実際にこうして見てみないと、本当のすばらしさは分からないものだ。

あたりを見ると、一眼レフを持っている人たちが、わたしと同じように風神雷神図屏風を撮っていた。若者から年配の方まで、年齢層はさまざまだ。写真撮影が許可されているからだろうか。弾けるようなシャッター音が、あちらこちらから聞こえてくる。

隣にいる男性の首にかかっている、カメラのストラップが目に留まった。「Canon EOS 6D」と書かれている。手元を見ると、案の定、わたしと同じ機種のカメラを持っていた。何歳くらいだろう、わたしの父と同じくらいか、それより若いくらい。わたしの視線に気づくことなく、何度も、何度も。少しずつ角度を変えて、シャッターを切っている。

この人に負けないように、たくさん写真を撮らなきゃ。そう奮起して、わたしはカメラのファインダーをのぞき込んだ。





「京都最古の禅寺、建仁寺」。パンフレットの表紙には、そう書かれていた。

(臨済宗建仁寺派の大本山で、開山は栄西禅師。創建当時は天台・密教・禅の三宗兼学でしたが、十一世住職として蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺した時から、純粋な臨済禅の道場となったのですよ)

小さな体を揺らしながら、こん様が物知り顔でそんな解説をしてくる。まるでどこかの誰かさんみたい。

(「大いなる哉心や」という、栄西禅師のお言葉の意味が分かりますか)

「心は大きいなぁ、ということですか?」

首を傾げると、こん様はあきれたようにぶんぶんと尻尾を振った。

(「大いなる哉心や、天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ」……心はなんと大いなるものか。天の高さは極めることができないほど高い。けれど心はその上に出ることもできる)

「……素敵な言葉ですねぇ」

心に思った言葉が、そのままぽろりと口から漏れた。そうでしょう、琴子さん。こん様が満足そうにうなずく。

天ははるかに高く、わたしたちの力の及ぶところではないけれど、心というものはもっと計り知れないのだ。心は、人間という器以上に大きなもの。喜んだり、悲しんだり、怒ったり。なんと尊いものでしょう。そんな意味が、この言葉には込められているのだ。

ああ、確かにそうね。空の高さも海の広さもわたしには分からないけれど、それらに負けないものを、わたしたちは持っているのね。天気のようにころころと変わる、この心。自分の心も他人の心も、自然と同じように、すべてを把握することはできない。世界の果てにある絶景を見て美しいと言う人は多いけれど、それと同じくらい美しくて壮大なものが、わたしたちの中に宿っている。心って、まるで奇跡ね。

こん様と一緒に写真を撮りながら、堂内をぐるりとまわった。海北友松の手によって描かれた雲龍図、花鳥図などの襖絵も、潮音庭(ちょうおんてい)と呼ばれる枯淡な庭も、ありがたいことにすべて撮影が可能だ。堂内が広いため、他に参拝者がいてもさほど気にならず、ゆっくりと写真を撮ることができる。

カメラを持って歩き回っていたら、ふと、「○△□乃庭」と書かれた板が目に留まった。

「……これ、何て書いてあるんですか」

(まる、さんかく、しかくの庭、と読むんですよ)

パンフレットをめくったら、こん様の小さな声が頭の中に響いた。

(丸、三角、四角。これは宇宙の根源的形態を示していると言われているんです。禅宗の四大思想である地水火風を、地は四角、水は丸、火は三角で象徴したものとされていて……)

「ということは、あの砂の模様が丸で、井戸が四角で、端にある盛り土が三角……」

(こら、ちゃんと最後まで聞きなさい。琴子さん、こら)

一つ一つ指差しながら、その形を確認する。なるほど、確かに、○、△、□の庭だ。何かのパズルかと思ったけれど、ちゃんとした意味があるようだ。こういうところが、奥深くておもしろい!





方丈を一周したあとは、拈華堂(ねんげどう)と呼ばれる法堂へ。どきどきしながら中に入ると、先に来ていた人たちが、そろって天井を見上げている。つられて顔を上げると、巨大な2体の龍が大きな天井を悠々と泳いでいた。あまりの迫力に、思わず体が縮こまる。阿吽の龍が、雲の合間を縫うように絡み合って描かれていて、今にもこちらに向かって飛び出してきそうだ。

(これは双龍図。小泉淳作氏によって描かれたもので、大きさは畳108枚分にもなるんですよ)

「108枚分!」

こんなに大きな龍、一体どうやって描いたのだろう。大スクリーンの映画館でも敵わないほどの迫力だ。これはなんとしても写真におさめなければ。そう思ったところで、わたしは重大な過ちに気づいた。

しまった。三猿を撮るだけだと思っていたから、広角ズームを部屋に置いてきてしまった。苦し紛れにファインダーをのぞき込んでみるけれど、やっぱりこの標準ズームでは双龍図全体がおさまりきらない。ああ、悔しい。なんという失態!

肩を落として隣を見ると、風神雷神図屏風の前で見かけた、同じ機種のカメラを持った男性が、ちゃっかり広角ズームを装備して双龍図を撮っていた。まわりにいるカメラマンたちは、これを撮るためにやってきた! とでも言うように、ここぞとばかりにシャッターを切っている。

わたしだって、初めからここに来るつもりでいたら広角ズームを持ってきたのに。自分自身に言い訳して、悔しさを噛み締めながら隣にいる男性を見つめた。きっと彼のカメラには、巨大な龍が頭から尾まですっぽりとおさまっているのだろう。いいなぁ。ずるいなぁ。うらやましいなぁ!

ぎりぎりと歯を食い縛っていると、よほど物欲しそうな顔をしていたのだろうか。視線に気づいた男性が、わたしのカメラをちらりと見て、

「……使いますか?」

「えっ?」

「広角ズーム。持ってないんやろ?」

ほら、と、自分のカメラから広角ズームを外してわたしに差し出す。見知らぬ人に貸してもらうなんて、図々しくないかしら。一応わたしにも遠慮という気持ちはあるので、手を伸ばすのを少しためらう。だけど好奇心には逆らえなくて、結局お言葉に甘えて受け取ってしまった。

「ありがとうございます」

広角ズームをカメラにセットして、もう一度双龍図を見上げた。先ほどと違い、迫力ある龍がすっぽりと視界におさまっている。ああ、よかった! 撮りたいものが思うように撮れるって、なんて気持ちいいのだろう。他人のレンズだということも忘れて何枚もシャッターを切っていると、男性が声を出して笑った。

「やっぱり広角ズームだと全部入るやろ?」

「ほんとですね。よかった、持ってこなかったことを後悔していたところなんです」

「まぁ普通は持ってないやろねぇ。本願寺の御影堂とか、でかいもん撮る時には必要になるから、お寺さん巡る時は持ってた方がええかも」

なるほど、今までそれほど広角ズームを使う機会がなかったけれど、やはり常備しておいた方がいいのかも。教授に出会う前だったら、広角ズームを持っていなかったことを、こんなに後悔しただろうか。まぁいいや、で済ませられないのはきっと、写真を見せたい人ができたから。

シャッターを切る手をとめ、親切な男性を見た。標準ズームをカメラにセットして、釈迦如来座像を熱心に撮っている様子は真剣そのものだ。この人はいつも広角ズームを持ち歩いているのかしら。いつも、どんな写真を撮っているんだろう。通りすがりのカメラマンのことが、ほんの少し気になった。

「あの……」

「ん?」

「普段からお寺巡りをされているんですか?」

「お寺というか、まぁ、京都をぶらっとしてる感じやね。写真撮るのが昔からすきで、暇さえあれば出かけてるかなぁ。……あなたは?」

「わたしもカメラが趣味で、最近はよくいろいろなところをまわっているんです。大学にいるうちにたくさん知識をつけたいなって……」

「へぇ、えらいなぁ。ひとりでそんなにまわっているなんてめずらしいね」

「あ、いえ。今日はひとりなんですけど、普段は大学の教授と一緒に」

「えっ、教授と!?」

ファインダーをのぞき込んでいた瞳が、ものすごい勢いでこちらに向いた。まるで芸能人でも見るかのような、驚愕と、羨望を含んだ眼差しだ。わたし、変なことを言ったかしら、と、ほんのちょっぴり不安になった。

「はい、文学部の教授と……あの、どうかしましたか?」

「いや……教えてくれる人がいるなんてうらやましいなぁ、と思って」

「うらやましい?」

「そう。ぼくは昔からひとりでまわってたから。知識が深い人とまわれるなんて、ありがたいことやね」

わたしは星のまたたきのように、何度も目をぱちくりさせた。

ありがたい、なんて。そんなこと、考えたこともなかった。呼吸をするように解説をしてくれるから、あたりまえすぎて気づかなかった。確かに、教授がいつも隣にいてくれるからこそ、その場所の歴史や見どころを十分に理解できるのだ。他の学生なら、あの人の話を聞けるのは講義中だけなのに、わたしはいつも、講義よりはるかに深い話を隣で聞かせてもらっている。それってもしかして、ものすごく貴重なことなのかも。一言多いのが玉にキズだけれど。

そうだ、だからこそわたしは、あの人が喜ぶような写真をたくさん撮らなくちゃ。わたし、それくらいしかお返しができないもの。

気が済むまで双龍図を写真におさめてから、わたしは広角ズームを男性に返した。

「ありがとうございました。おかげで、いいものが撮れました」

「それはよかった。ちょっと見せて」

広角ズームを受け取ると同時に、わたしのカメラをのぞき込んでくる。フレームいっぱいに写った2体の龍。雲の合間を縫って悠々と飛んでいるその様子を見て、にっこりと満足そうな笑顔を見せた。

「ええの撮れてるやん。そのきつねさんも、嬉しそうな顔してるわ」

ストラップのこん様が、ぎくりとしたようにぶらぶら揺れる。何か言いたげな、でも必死にそれを悟られまいと、口をきゅっと閉ざしているような、そんな表情だ。男性はリュックに広角ズームをしまうと、じゃあ、と軽く右手を上げた。

「これからもいい写真いっぱい撮ってな。教授さんによろしく」

「……ありがとうございます!」

わたしは大きくお礼を言って男性を見送った。こん様とともに法堂に残り、今度は肉眼で、もう一度双龍図を見上げた。わたしを飲み込んでしまいそうなほど大きく、気品のある2体の龍。この光景を写真におさめられたのは、幸運としか言いようがない。

京都の風景を撮影している人って多いんだなぁ。特にこういった、好奇心をくすぐられるような場所では、シャッター音が絶え間なく鼓膜を震わせてくる。

あの人は、わたしが京都に来るはるか昔から、わたしの何倍もの時間をかけて、数え切れないくらい京都の写真を撮っているのだろう。わたしの知っていることなんて、わたしが撮った写真なんて、京都のほんの一部でしかないのだ。……今は、まだ。

京都を巡っていたのなら、またどこかで出会うかもしれない。会えたらいいな。すっぽりと写真におさまった双龍図を見て、そんな淡い期待を抱いた。

そういえば、肝心の三猿をまだ見つけていなかった。屋根瓦を注意深く見ていたけれど、やっぱりここでも見当たらない。

(次はどこへ行きますか、琴子さん)

期待と好奇心を抱いたように、こん様がわたしの顔をのぞき込んでくる。わたしはうーんと首を傾げた。インターネットで調べれば、きっとすぐに分かってしまうのでしょう。けれどそれでは意味がない。自分で探さなければ価値がない。

「次は……」

さあ、このカメラを持ってどこへ行こう。



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