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ドキュメント「報道責任」 山梨県の県政記者会が「伝えなかったこと」


 あらかじめ告白するならば、私は山梨県と富士急行株式会社における県有地のあり方について、その是非は「多角的に論じられるべき」と考える立場である。同時に、県有地のあり方をめぐる2020年から23年までの直近3年余りの県内世論では、その論点が多角化されず、論点を県民自身が判断するに資するだけの材料も視座も、他ならない県民そのものに提供され尽くしたとは言えないと受け止める立場でもある。

 以下は、筆者のそうした心理的境地を前提としてのものであることをご了解いただければ幸甚である。


 2020年、コロナ禍が先行きの不透明さを増していた最中、山梨県庁に長崎幸太郎知事を訪ねたことがある。

 知事本人が、山梨県が富士急行株式会社に貸し付ける山中湖畔の県有地に対する取り組みへの決意を明かした時、心中、「当然の展開だろう」と納得できた。

 前年、19年の知事選で当選した知事が発散する「意欲」は、当時の公約を読み解けば、次の二点であると理解していた。

 県内のあらゆる魅力を…

―掘り起こすこと

 そして

―磨き上げること

 さらに、施策メニューや各論を含め、施政を貫く構えは、こう解釈できた。

―新しい価値の創出には妥協しない―

 それこそが2019年、「長崎県政」がスタートする段階での、知事本人の覚悟であると、そう思えた。

 だからこそ、知事がコロナ禍において感染と経済社会の両立に奮闘する中で、のちに巷間にあって「県有地問題」と呼ばれることになる、新しい対処方針を仄聞した際は、「当然の展開である」と納得できた。

 新しい価値を創り出すことに一切の妥協も躊躇もない知事の覚悟は、就任前の公約起案時から今日まで一貫しているように映る。

 だとすれば、1927年から今日までの山梨県と富士急行株式会社との間での「これまでの合意内容」にいかなる歴史的意義と経緯が反映されていたとしても、漫然と看過しない姿勢は当然の展開であると思われた。

 すなわち、新たな決断は、県内メディアがひたすらに繰り返すように、決して「突然」ではなく、「連綿」とした繋がりの上に理解できた。

 知事の意欲を聞いたのち、当時、局長だった一人に直後、知事の新たな方針を踏まえての心境を尋ねたことがある。

「ああ、やっぱりやりたいんだなと思った」と、彼はそれだけを告げた。その言葉を受け止めた私は、「なるほど、やっぱり解らないんだな」と、質の伴わないやり取りに苦笑して局長室を退室したことを覚えている。

 その時の某局長の心象は、ごく素直なものであったのだろう。それ自体は不必要に揶揄されるべき内容ではない。

ただ同時に某局長の素直なまでの心象表現は、その後、それこそ東京高裁での控訴審判決を迎えた2023年8月4日に至るまで、山梨県内のメディアを含めた、あらゆる「矛」に通底し続けた、揺るがし難い心理的基底のようにも見えた。

「心理的基底」とはつまり、この県有地を巡る流れをすべて、知事による、富士急行株式会社への「私怨」と「私戦」であるかのごとく捉え、収斂させようとせんばかりの、一本調子にさえ映る精神性と重なったのだ。

 知事就任に先んじて県内での衆議院議員選を戦ってきた長崎による、富士急行株式会社の創業家である堀内家との激しい選挙戦の延長に「県有地」問題を捉えようとする視点ばかりが、最初から最後まで、県内のメディア、あるいは支局を含めた県外メディアの県内拠点では支配的だった。

 支配的であったと、そう思えるのは、それ以外の視点や視座からの論調や記事が出稿されたことが、ほとんど記憶にないからである。

2020年時点での某局長の「やっぱりやりたいんだな」という受け止めかたこそは、この問題が、日本の地方自治史上の「特異点」でありうるという状況から思慮を逸らさせるに十分な意識のあり方であるように思えた。

 知事の課題意識を覚知した私は、山梨県をのぞく、46都道府県の財務当局者への取材とヒアリングを開始した。

 問いかけたのは、山梨県と富士急行との長年に亘る契約内容について、財務行政に携わる当事者としてどう感じるか、どう考えるかという、まずは自由心証、次いで、妥当性への見解である。

 匿名であることと、決して活字にしないことを条件にこう語ってくれる者もいた。

「公租公課(課税の価値)を下回る条件での貸し付けは行政としてあり得ないものです。つまり、貸せば貸すほど行政からの持ち出しになりかねない内容での貸し付け状況になっている。これと同じ貸し付けをうちがやれば、まず議会から追及されます。議会を通せません。山梨県ではこの契約で議会が納得するのでしょうか」

 私が山梨では議会が率先してこの契約を主導し、形成してきたのです、と説くと、驚かない者はいなかった。

「議会が?でも、県民が納得しないでしょう、これでは」

 県民も納得の上で、というのが山梨県内の経緯であったというのが論調のようなのですが…さらにそう言葉を重ねると、自治体幹部らは一様に言葉を失うのだった。

「だって、貸し付け価格の算定根拠が、山林原野の素地価格か開発を経ての時価・現況かという食い違い以前に、公租公課を下回る貸し付けは、それは行政としては絶対にやってはいけないものだと、私どもは入庁して一番最初に教えられるものですが…」

 世界都市を抱え、日本でも有数の公有地の貸し付け実績をもつある自治体の幹部らも、そう言って驚きを隠さないことがあった。

 どの自治体でも、土地の処理と、公有地の管理は第二次大戦後から高度経済成長期にかけて多くの特殊事情や個別事情を抱え、苦心しながら対処してきた。土地を巡る扱いは、行政処分の判例や実績と共に、各自治体では時に行政訴訟に巻き込まれながら、その実例と研究を重ねていた。

 戦中の混乱を踏まえた公有地の扱いと貸し付け契約は、高度経済成長期に向かう駅前整備や、あるいは東京オリンピックなどの都市開発を契機として、実務を蓄積してきたのだ。

 ただ、いかなる実務においても、財務当局者が貸し付けにあたって守るべき一点は次の点であった。

 公租公課(課税すべき価値)を下回る貸し付けは絶対に許されないー。

 それは、税徴収の公平性という役所特有の、いわゆる徴税権力の側による特殊な論理ゆえではない。

 「課税の価値」を下回る貸し付けは、「公共財産に損失を与えていることになる」という意識からである。

 公の財産を預かる立場の行政としては、現実価値よりも低廉で貸し付けることはタブーであると、そうした認識が、山梨県以外の自治体では徹底していた。それは抗う余地のない、ごく常識的な意識であるように、受け止められている。

 山梨県と富士急行株式会社との山中湖別荘地を巡る貸し付け契約は1927年以来96年間、まもなく1世紀にもなんなんとする間、根本的な見直しや評価が行われた気配はなく、戦中、戦後をまたぎ、今を迎えていた。

 そして状況は、貸し続けるほどに県の「実質的な逸失利益」が指摘されかねない契約内容となっていたことに、他の自治体は驚きを隠さなかったのだ。

 知事がメディアの取材に答えた言葉を借りれば、具体的には次のようなものになる。

「県有地は固定資産税がかかりません。その代わり、県有地が所在する市町村、今回の場合は山中湖村に対して県は固定資産税相当分の交付金を支払うことになっています。これは『固有資産等所在市町村交付金』と言って法律で定められており、その際の不動産価値は“現況”で評価すべきだとされているんです。しかし、これまで山梨県はこの交付金をしっかり払ってきませんでした。開発された後の状態で評価すべきところ、原野の状態で評価していたからです。これは違法状態であり、本来ならもっと多くの交付金を払わなければなりません。この歪みを正したいのです」(週刊新潮 2020年12月10日号)

 永い年月の間にこの「構造的歪み」が発生し、是正されないまま今日を迎えていた。

「こんな契約をしたら、我々はクビが飛びますよ」

 そう率直に笑う自治体幹部もいた。

 大阪市で起きた、国有地の廉価での払い下げを巡る「森友学園疑惑」も記憶に新しかった。

「個別企業・事業者への利益誘導や厚遇」がほの見えただけでも、世論は鋭く反応するものだ。

 だが、山梨県内のメディアを含めた“世論”は、契約そのものの妥当性についての多角的な観点を提供する以前の段階として、契約に疑問を呈した知事の認識と作法への非難に終始し続けてた。それはそれ、これはこれ、という複眼的な視座が提供されない事態は、現在もなお継続しているように窺える。

県民にとってはそれもまた、不幸な状況である。

 県有地をめぐる件の契約は、行政当局者の目から見ても「致命的となりうる構造課題」を孕んでいたということはいえよう。

 さらに、彼らは異口同音にほぼ次のように口を揃えた。

 これが民間企業の民―民の契約だったら、経営者は背信・背任行為だと指摘されるはず、と。

 しかし、山梨県では違った。

 議会はこれまでもその契約内容を是とし、さらに、知事の見直し方針を当初、否として扱おうとした。

 あるメディアは今なお、「県民を二分した」と舌鋒を隠さない。だが、そもそも言論は多様であるべきを謳った上に成り立つのがメディアという存在でもある。県民として得たかったのは、多様な価値観からの多様な判断材料であった。そうした多彩な視座を得た上にこそ、世論はそもそも多様性が確保され、健全性が担保されるのでは、と思いあぐねたことは、一度ならずである。

 一部の特定企業に対する優遇的とも見える貸し付け契約は、自治体運営上、他の行政当局者にとっては「あり得ない」ものであっても、山梨県ではそれは許容されてきた。

 それは、日本の地方自治史上の「特異点」であったようにも映る。自治体による地方自治の独自性とは、また異なる観点であろう。

 知事の対処方針や行政処置に対するメディアや世論による指弾があり得ても、しかし、およそ1世紀もの永きに亘る「契約内容の妥当性」そのものを検証した記事そのものは、ここに至るまで、まだ一度として納得のいくものを見受けない。

 少なくとも、他の自治体における類似例や、対応・対処事例、その比較を含めて、である。

 知事が取り組みへの意向を固めた時、知事室でこう語った響きは未だ耳朶から離れない。

「最大の問題は、貸し付けの公正なルールがないということ」

 肚を括った当初から、「公正なルールがないことが問題」そして「県有地という県民の財産の収益化、高度化利用に当たってはそこを構築しなければいけない」と明言していた。

 それから3年後、東京高裁判決を受けての臨時会見に臨み、知事はあらためてこう締め括った。

「透明性があり、県民の利益を最大化させる新たな貸し付けのルールをつくっていく必要性をあらためて強く認識した」

 それは3年前、着手当初から変わらない信念であった。そして、一貫して言い続けてきた言葉であった。

 しかし、ここであえて言及する以外に、その「方針の経緯」そのものも活字として県民に伝えられたことはあっただろうか。

 訴訟の過程と、東京高裁までの判決の内容についての評価を示す資格が私にあるのかはわからない。

 ただ、この3年間の知事室、山梨県議会、そして県庁の現場へ、時に踏み込み、観た体験から感じるのは次のことである。

 それは、10年間、山梨県民として過ごした県内での生活実感を踏まえた上での、いち県民として感じた率直な想いとも言える。

 法的正義は必ずしも社会正義、あるいは社会的公正さと、その射程を一にはしない場合があるということ。

 山梨県内の議会、そしてメディア共に、ここを混同したまま今に至っているように感じる。

 つまり、本件を考える上で、その状況把握への臨みかたの基点でありながら、8月4日の東京高裁判決の瞬間まで議論の俎上に登った形跡が見えない点がある。

 本件は、勝訴か敗訴かという法的正義の判断・確定とは別に、社会的公正さが図られるべき山梨県史における「特異点」であったのではなかったか。

 繰り返しになるが、法的正義と社会正義とは必ずしも一致を前提としないものである。

 もちろん、一致することが社会統治の上では望ましい。しかし、一致を見ない場合に、社会正義をどう捉え、どう構成していくのか。その責務を負うのが、山梨県議会議員やメディアが頻々と言葉に出すことを憚らない、「二元代表制」の一つの役割でもあろう。

 そして、両者が一致を見なかった時にこそ、行政や議会が創造性を発揮する余地が生まれるとも言えまいか。

 その点でも、時代と状況に鑑みた「社会正義」と「社会的公正」の構成と実現に、議会も知事同様、決定的な使命を負っているはずである。

 追及の先に、正義と公正の「構成」「構築」を育み、それを執行機関たる行政に提言すべきが、議員やメディアの言葉をあえて借りれば「二元代表制」の本義でもあるべきではないだろうか。

 本件は、専らに法的正義によるプロセスのみが耳目を集めたが、もちろんその意味の絶対価値を是認した上でなおも、社会正義の追求という観点から、是正と修正が検討されるべき課題であったのではなかったか。

 私は、ひとりの県民として、本件訴訟を取り巻く当事者や利害関係者らの生々しい動きを見届けた今、思う。

 あえて誤解を恐れずに申し上げたい。

 民意とは「誤る」のではなく、「葛藤する」場面を抱えうるという点を、本件訴訟は内示してはいなかっただろうか。

 これは、民主主義社会における一つの不可避な内在的ドグマ、つまり「葛藤」と呼びうるのではないだろうか。

 すなわち、過去の経緯において民主的手続きを経た「決定」が、民意・合意と呼ぶに足り得ても、それは永劫に有効なのかという点を、この3年間の軌跡は示唆してはいなかっただろうか。

 そして同時に、時代の変遷、状況の変化と共に社会的公正さを欠くに及んだという指摘を受けた場合に、それはどこまで許容されうるのか(世論醸成)、また寛容されるべきなのか(社会理念)、そしてどのように(明示されたルール)、というそれぞれの観点からも示唆に富む流れであった。

 一連の作業を、知事と企業との「私戦」に収斂させて終わるには、示唆する内容は豊富すぎるように感じる。

 この3年間の流れ、そしてそこに長い前段があったとしても、今回の判決に至る「意味」は、山梨県の長い惰性に一石を投げたという程度では表現は甘かろう。

 民意創出と民意効力の、現実社会における意味と意義の両面を問いかけたものであったと感じる。

 つまり、勝訴か敗訴かというテクニカルな論点と解釈をあえて措いたとしても、それは「一石」ではなく、「旧弊への鉄鎚」であったのではないだろうか。

 判決を待たずに、すでに旧体制は打破されたものと、私は県民目線でそう解釈したのである。

 それゆえに、ここから、創造が始められるべきであろう。

 そのプロセスにおいて損を被る者はないはずだ。

 新しい価値の創造にあっては妥協しない―。

 知事が、その覚悟を放擲しない限りは。

 その上で、なおも判決の意味は何かと私に対して問う者が現れれば、躊躇なくこう答えたい。

 判決の意味―。それは、県民にとって是か非かではなく、どう活かすか、活かすべきかという議論と文脈において捉えられるべきではないかと。

 もとより本件訴訟が問いかけた法的正義が「契約の有効性」であったとすれば、そこに併存しうる「社会正義」「社会的公正」からの論点のひとつは「社会環境や地域環境の発展や向上に、ある企業が多大な貢献を果たしたことを是認したとしても、それを理由としての優遇・厚遇は時間的際限なく特定企業のみが享受しうるものなのか」という点ではなかったか。

 そこにおいて判決はこう明示してもいた。

「土地の造成による本件各不動産の価値の増加については、最終的にはこの価値の増加分は本件各不動産の所有者である控訴人に帰属する」

 本件判決は、法的正義の判示において、社会正義の並立をも企図したものではなかったかと、そこに判事の苦心と、そして創意を理解した。

 知事本人はコロナ禍にあって、本件をめぐる自身の判断と対処の意味を、本人なりに時に強く呻吟していた。

 コロナ禍、時と状況が許す限り、知事は全国紙の元主筆を訪ね、有識者を訪ね、時に、自身に厳しい評価や異論にも耳を傾けていた。認識の修正にもためらいはなかった。

 時にその場を眺め、その姿をこの目で見てきた者として、最後にこう「証言」することをお許しいただきたい。

 新しい価値を創造するために、彼は汗をかいてきた。率先して。

 その一点は、私がこの目で確かめた、紛れもない真実であると思える。

 だから私はこう信じることができる。

 今回の一連の軌跡は必ず、山梨県民のすべてにとって新しい価値につながるはず、と。

 本文を通読された上で、こう思われる方もいらっしゃるだろう。

 知事擁護の提灯だな。

 徹頭徹尾、敵か味方かに分かれての感情論でしか議論が展開されえないのだとすれば、ただただ、失望の先に絶望があるのみである。 (敬称略)


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