米国時代のおもひで、を少々失礼します。
あるとき、教授氏は変わったアサイメントを告知したことがあった。
週末の午後、皆で最寄りのステートパークに出向き、ちょっとした屋外実験をしようと言い出したのだ。
さて当日、ゲート前に集合したのは、教授氏の受講者、40人ほどの学生だった。
そこで教授氏が学生に出した指示は、今日、このステートパークを訪れている人たちといろいろな話をして、その内容をレポートにまとめて提出して欲しいというものだった。レポートにまとめるにあたっての条件や制限は一切ない。それぞれの考えの赴くままに、好きにやって欲しいというものだった。
レポートの切り口は問わない、評価にも関係しない。ただし、今回はグループ行動ではなく、あくまでも単独行動でと、こういうものだった。
自由にやれ、自由に書け、自由にまとめろと言われることには慣れている米国の教育で育った学生にとっては決して苦ではない課題である。
条件はないとはいうものの、ただ一つ、時間の制限だけはあった。日が暮れる前の夕刻4時に今一度、パーキングに集合することを申し合わせて、一堂はトレッキングの装いで、広大なステートパークを、トレッキングのルートが記された地図を持ち、それぞれの気の向くままに散っていった。
秋の色付きを楽しむトレッキング客がその日は州内外から数多く訪れていた。それぞれ、そんな彼らを道中でつかまえて、「お話をしてこい」と、こういうことだった。
夕刻、戻ってきた彼らはそれぞれ黄色いリーガルパッド(当時はまだiPadなる便利なものは米国にさえまだなかった)に走り書きやメモを溢れさせていた。
教授氏は再び集合したパーキングでそれぞれのメモを軽く点検すると、それを元に、1週間後までにレポートにまとめて提出して欲しいと、こう告げた。
その後は、大学そばの馴染みのピザハウスで楽しく夕食会となった。そこでそれぞれ、その日に出会った人々にこんな人がいた、自分は不運でいい人と出会えなかったなどなどと盛り上がったのだった。
1週間ほどでそれぞれがレポートを提出し、無事に評価を得たのだが、その後、1人の学生が教授氏から呼び出されるに至った。
再び週末の午後、教授氏の自宅に招かれることになったのだ。学生は、教授氏の奥方にと、気に入っているアップルサイダーとパンプキンパイを携えて向かった。
と、到着するといるはずの奥方はおらず、教授氏一人が出迎え、二人でのひとときとなった。
若い頃、欧州の在外公館にいた経験のあるその米国人の教授氏は、赴任先での話を聞かせる中で、招いた学生にこんなことを訊ねたのである。
在外公館で働く現地の人間を雇う時の苦労譚に絡めて、君ならばこんな時、誰を採用するかな、と。
選択肢は3つだった。
①訊いたことには、なんでも素直に答える人間
②訊いたこと以上のことを的確に答えてくれる人間
③訊いたことにさえ答えない人間
学生はコーヒーを一口のみ、笑いながら明確にこう返した。
③番の人間です。訊いたことに答えない人間を僕ならば部下に採用すると思いますと。
教授氏は訊ねた。
それはなぜ?と。
学生はこう答えた。
訊いたことに素直に答える人間は、その場にあっては心地よいかもしれません。しかしきっと、僕以外の他人の前でも同じように、誰に対しても素直になんでも答えるのではないでしょうか。
訊いたこと以上のことを教えてくれる人間は、誰に対してもやはり親切すぎるほどに訊かれていないことも喋るのではないでしょうか。
訊いたことにさえ容易には答えない人間は、誰に対しても慎重に振るまえるのではないでしょうか。そういう人間とこそ、信頼関係を築くべきではないでしょうか。
教授氏はいたく満足そうだった。
その学生が提出したステートパークでのレポートは最高評価だった。
参加した学生のなかでもっとも多くの人間のインタビューの採取に成功し、それぞれの人間のプライベートな背景や信条までもが記されていたと、教授氏はそう褒めちぎったのだった。そして、と付け加えた。
インタビュー対象者の過去まで聴き出していたのは君だけだったと。
教授氏は言ったのだった。
僕がこれまで教えてきた学生のなかで、この問いかけに対して君と同じように(③を選んだ理由として)答えた学生は君が二人目だよ。そう答えるのが悪いという意味じゃない。たった二人しかいなかったんだよ。
今日、君とゆっくりと話すことができて、どうして君が、初めて会った人間たちからあの時間であれだけの話を聞き出せたのかがよくわかったよ、と。
それから数ヶ月が経った頃だった。セメスターが終わろうかという頃である。
再び教授氏から自宅に招かれることになった。
今度は、教授氏の旧く長い友人だという、二人の男性と食卓を囲むことになった。
なごやかな食卓だったが、学生はそこで二人の男性からこんなことを教えられた。
情報の流通をいかにトレースするかという話になった。
話に嘘を加えれば、必ずバレる。
バレれば、情報を発した本人自身が信頼を失う。
信頼を失えば、あらゆる組織でその後はない。
立ち位置を失うことこそは何にも優先して避けるべきことである。
だから、情報は、必ず引く。
手元の情報から「引いて」段階化したものを、誰に、何を、どこまで、どう、渡したかを記憶・記録しておく。
そして、情報の流れを追跡する。
不思議なことだった。教授氏や男性らは学生の両親の職業や職責もよく知っているようだった。
学生と彼らはその後、教授氏の自宅で定期的に会うようになる。
しかし、その二人との別れはあるときに訪れた。
二人の彼らが最後に教えたのは次のことだった。
決して、他人に自分の経歴をしゃべってはいけない。
決して、本当の経歴を教えてはいけない。
決して、足跡を辿れる情報を与えてはいけない。
のち、「二人の彼ら」との別れがあり、彼は欧州へ展開していくことになった。
教授氏との別れの時の言葉を学生は忘れてはいなかった。
すべての局面がstatus maneuveringだよ。それが他でもない、自分自身を守る、最後の手段だよ。
もしもである。
怪文書を送りつけてしまったのが、上記を理解して生きてきた人間に対してであったとしたら、それは少し、不用意すぎるいたずらになりはしまいだろうか。
人間とは、自分自身が知った気になっている以上に、じっと観ている者がいるということを、やはり忘れてはならないと思うのである。
ましてや、わかったつもりになって“未知の相手”に対して脅迫状を送りつけてくるなどは、末恐ろしい行為に他ならないということになりはしまいか。
不必要に、いたずらに相手を本気にさせてはいけないと、これは自戒とともにあらためて思うのである。
相手の笑顔をそのまま鵜呑みにしてはいけない。笑顔で応答される時が一番、怖い時である。そう思って生きてきた。その笑顔の意味がわからない者が、不用意に怪文書など送りつけてはいけないのではないかと、そんなことも思うのである。
使う場所と生活する場所とは常に別である。免許証の登録地が生活地であるという先入観はあなたにとって常識でも、米国で生きてきた人間にはどうでしょうか。あなたが怪文書を送ってきたその「住所」は紛れもない、特定の目的のために設定した住所だから。
情報とは必ず、トレースできるように設定するべきもの、なのではないでしょうか。
そして、怪文書を送る者は、封書に指紋など残してはならないのではないでしょうか。相手が笑顔でいる時ほど、用心が必要なものかもしれません。採証活動こそは、常に、平時にこそ展開されているもの。それが米国という教えなのかもしれません。