私が街を作る
放浪の末にオレゴン州ポートランドにたどり着き、住み始めて3年目に突入。映画AKIRAのように荒れるアメリカの情勢の中、日々生きる希望をポートランドでコツコツ集めている。住む街のいいところを見つけることは、わたしの人生のいいところを見つけること。1988年生まれ、鎌倉育ち。
ポートランドにやってきたのは2021年の夏。2023年の今年でここに住んで3年目に入る。でも今年の春、私は気づいてしまったのだ。2年以上住んでるのに、地域とのつながりが全然ないことを…!
ポートランドの治安がピークで悪くなっていたこと(銃、窃盗、放火、ドラッグなど)、ワクチンやマスクや政治について、人々の意見が割れまくっていたことが重なって、1人で出かけたり、人と交流するのが怖くなり、意識的に避けていた。
そして、在宅でできるお仕事をしていたために、ほとんど外に行かなくても住む生活をしていた。他人との交流は、ほぼすべてオンラインで、リアルではパートナーのマックス以外誰とも話さないという日々が続いていた。
それでも生きていけるけれど、その状態では、時折自分の中から湧き上がってくる、「なぜポートランドに住んでいるの?」という問いに答えられなかった。他人との交流が全部インターネットなのも、ヤバいと感じ始めた。
ポートランドという街、ポートランドに住んでいる人たちに、積極的に関わらなかったら、いつまでも自分がふわふわ浮いたままで、ポートランドとのつながりができない気がする。もっといえば、ポートランドという街を知って、愛する機会を逃す気がする。
というわけで、この春から、私は少しずつ「改革」を始めた。具体的には、ポートランドでボランティア活動を始めたのである。
通っている場所は2か所あって、それぞれなるべく月に2回は行くようにしているので、合計月4回、週に1回は外に出て、知らない人たちと共同作業をする。自分の中でルールがあって、無理はしない、興味のあることしかしない、でも、挑戦はする。そんな感じで、燃え尽きず、でもさぼらず続けることができている。
最初は外に出るのも人に関わるのも怖かったから、心の中で葛藤がすごかったけれど、ボランティア活動は今現在5か月くらい続いている。何回も同じ場所に通ううちに、顔見知りが増え、私とポートランドの距離も近づいてきた気がする。外出したら叫んでいる人がいたり、ドラッグでぐでんぐでんになっている人がいたり、ストリートの糞尿の匂いがキツかったりして、怖いな、嫌だなーって思うときもある。でもまあ、だいたいの人が、ただ今日も生きているだけなのだ。そんなことにも、気がつくことができた。
ボランティアを始める前は、ポートランドという街が提供してくれるものを、ただ消費していただけだった。それに飽きたり、気に入らなかったりしたら、文句を言う。でも、そんな私が私自身好きになれなかった。自分では何も作り出さないくせに、上から目線で厳しいコメントを繰り出す批評家のようだったから。
今の私は、ポートランドで見つけた私が好きだと思える場所を、ただ訪れるだけではなく、手を動かして支えている。微力は微力でも、私だって街に参加して、街を作っている。そんな実感が生まれつつある。いつだって、批評家よりも、ただ生きる人間でありたい、そして、できるならば、何かを生み出す力になりたい。自分が思うそんな生き方を少しずつ実現できている気がする。
具体的なボランティア内容についてはまた書いていきたいと思います。
ボランティアを通じて、ポートランドになじみ始めたかもしれない度
★★★★★(★5つ中5つ)