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2023年の映画とわたしージュリア(s)

もしあの時パスポートを忘れずにベルリンに行くことができていたら、もしあの時少しタイミングがずれてあの人に出会えていなかったら、もしあの時のコイントスの表裏が逆であったなら……。本作は、主人公ジュリアの意志とか選択以前の、“偶然”に他ならないものによって、4つに分岐していったそれぞれのジュリアの半生を並行して描いている。

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あの大学に行きたいから合格するために努力する、短期留学してみたいから学内のプログラムに応募する、就職するか博士課程に進学するか悩むけれど研究を続けたいから進学する(、ある人と付き合いたいから、LINEの返信速度を調節したり相手の好みに合うような身なりにしたりする)……。私はある時まで、自分の目標に向かい、自分の意志や選択によって自分の人生を前に進めてきたかのように思っていた。そしてそうすることが良いことだと考えていた。

では、目標に回収されない行動はすべて無駄なのだろうか。自分の意志や選択で突き詰めていったと思って疑わない人生が、自分の実感から遠ざかっていっているような気がするのはなんなのであろうか。

この数年、自分の心が躍る出会いはどこにあっただろう。
中学から部活で続けてきたスポーツを大学でも続けるぞと意気込んで入部した部活を1年で辞め、これからどうやって学生生活を送っていけばいいかわからなかった大学2年の春。キャンパス内である学生団体のポスターがふと目に入り、活動場所に一度行ってみるかと足を運ぶ。結果、その団体の運営に携わるまでになる。最初の出会いからもう7年も経つが、いまでもそこで出会った人たちとの交流は続いている。
修士課程の頃、研究室での研究活動とは全く別に、仲間とある学園祭のイベントを企画した。そのイベントで知り合った人たちで飲み会を開いた際、偶然居合わせたある同世代の女の子が、今ではお互いの人生を語り合うかけがえのない友人になっている。

どうやら心躍る出会いは、明確な目標に向けて努力を重ね続けた結果にあるものとは限らないらしい。むしろ、自分がその時目標と信じて疑わないものから少し気を逸らしてみた先にあったりする。そしてそれらは、もし当時に戻って人生をやり直したら何かの掛け違いでなかったことになってしまうだろう、全く再現性のない出会いでもある。

「自分の意志や選択で自分の人生を前に進めてきた」という言葉がなんと実情に合っていないことか。人生は自分の意志とか選択とか、そういうものを超えたところで動いている。今の自分は偶然の積み重ねに過ぎなくて、あの時の自分が少しでも違えば、今とは違う今がある。

人生がこうであるからこそ、渦中にいるときは辛くてたまらなかったことも人は抱えて生きていける。ジュリア(s)を鑑賞して、こんなことを思ったのであった。

…なんて思えるのは、今の自分が今を悪くないと思えているからなのかもしれないが。

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