「痛み」と生きること
「猫を棄てる」
寂しげなタイトルだけれど、ある父と息子のささやかな思い出の話だ。
息子はあの小説家の村上春樹さんと、そしてそのお父さんの話。
ある日2人が海辺に猫を棄てに行くところから話がはじまる。1匹の猫を棄てて家に帰ると、なんと棄てたはずの猫が家で出迎えてくれる。
あっけにとられる2人。でも父はどこかほっとしたような顔をしていた。
そんなエピソードから始まる「猫を棄てる」。
「棄てる」という言葉は、「捨てる」より意味が強く、「まだ使えるものを捨てる」という意味がある。
「棄て」られることを軽やかにかわしていく猫に思わずほっとしてしまった父には、言葉にできないある「想い」があったと春樹さんは言う。
この本では2人のそんな「共有」体験から、父の「共有できない」想いをさぐっていく。
痛み
2人の共有できない最も深い経験は、あの「戦争」だ。
春樹さんは自分の父が生きた時代を克明に追っていく。そして事実から丁寧に父の姿を取り出し、父の人生の影を与えたものを探る。
それはつまり父の人生の「痛み」を見つめることだ。
春樹さんの作品では、人の避けられない「痛み」が非常に印象的に描かれる。
「痛み」は避けられないものであり、人はその「痛み」から学び続けることしかできない。
村上春樹さんは、父の「痛み」を見つめることで何を学んだのだろう。
祖父の痛み
私の祖父はとてもやさしい人だった。
祖父がせっかく収穫したトマトを私がこっそりつまみ食いしていてもただ穏やかに笑っていたし、戦争の話を聞いても、自分は学がなかったから軍隊でたくさん勉強をさせてもらえてよかったとだけ話す人だった。
お嬢様育ちで少し神経質な祖母は時に苛立ちを祖父にぶつけていたけれど、祖父は亡くなる前に祖母の手をにぎり、「私の人生の宝だよ」と笑った。
そんな祖父は戦時中、空軍の補充兵としてアジアを飛び回り、東南アジアの小さな街で終戦を迎えた。
なんとか生き延び帰国した後は、操縦経験を買われての好条件の就職あっせんも断り、まっすぐに故郷に帰り、そこで祖母と結婚し農家の仕事に戻った。
青春を戦争に奪われ、ただ畑を耕し続け、死んでいった祖父。
そんな祖父が終戦を迎えたアジアの小さな街に、一度だけ訪れたことがある。
そこは運河沿いのしずかな街だった。日本人の慰霊碑があると知り、少ない情報を頼りに郊外の墓地に向かった。
喧騒から離れた静かな墓地にたたずむ慰霊碑はあまりにも小さく古びていて、多くの人がなくなったことを悼む場としてはあまりにも寂しすぎる感じがした。暑さから吹き出た汗を拭きながら、祖父の戦友たちにそっと手を合わせた時、ふと思った。
祖父もきっとこんなふうにこの地で祈った日があっただろう。亡くなった戦友や、懐かしい故郷を想って。
祖父はただ家に帰りたかったはずだ。そしてただ穏やかに暮らしたかったはずだ。
祖父が迷わず故郷に帰った理由が分かった気がした。
それは私が祖父の人生の痛みをわずかに共有した瞬間だった。
痛みの継承
この本では共有できないはずの経験から、「痛み」を共有すること、そしてその「痛み」を継承していくことが描かれている。
父の「痛み」を見つめつづけた村上春樹さんの言葉は非常に印象的だ。
あの日小さなアジアの街で私が感じた痛みもまた、祖父から父へ、父から私へ、そしていつかは私から娘へ伝えられていくんだろうか。
小さな小さな雨粒になって。
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