「憧れの冬」を求めて。年末年始、心やすらぐ岐阜の旅。
「あれ、岐阜出身だったっけ?」
この年末年始、何度もそんな質問をされた。
2021年と2022年の境目を、わたしは岐阜で過ごすことにした。けれど岐阜には、友人の出身地であるという以外、縁もゆかりもない。
行き先を岐阜にしたのは、どうしても「日本の冬」を感じたかったから。
わたしは物心ついたときから「日本らしいものや場所」に強い憧れがあって、今回もそれが発動して旅先が決まった。
特に、冬の白川郷を見るのは幼い頃からの夢で、それを叶えるためにも岐阜を選ばせてもらった。
人生ではじめての、旅先での年越し。
なんだか夢の中にいたような、不思議な感覚だった4日間。
そこで出会った風景や感情を、写真と言葉で残しておきたい。
飽きるまで眺めていたい、雪景色。
生まれは水戸、育ちは東京(ちょっとブラジル)のわたしは、生まれてから雪という雪をほとんど見たことがなかった。
雪国生まれの友人たちには「雪なんて、3日で飽きるよ」と言われるけれど、「飽きるくらい、積もった雪を見てみたい」というのは、幼い頃からの夢だった。
今回は「飽きるまで」とはいかなかったけれど、4日間、岐阜では朝から晩まで牡丹雪が降り続いていた。
辺りはしんと静まりかえって、延々とさらさらした雪が目の前に積もっていく様子は、自然の魔法を見せられているような気持ちだった。なんだか異世界にいるみたいで、どきどきした。
道を歩いている途中、両脇にこんもりと積もった雪を見ると、いてもたってもいられなくなり、何度も足跡をつけに行ったり、両手ですくったり、雪と戯れながら歩く。
暗闇の中でふわふわと落ちてくる雪を窓から眺めたり、露天風呂で上を向いて、その冷たさを感じたりして憧れの雪を存分に味わう。
雪の中を歩くのはとても体力が消耗されたし、バスの運転手さんは通常の2倍以上の時間をかけて走ってくれて、「雪国の大変さ」もたしかに実感した。
だけど、それでもやっぱり雪への神聖な気持ちは変わらなくて、わたしは4日間、最後まで飽きずに雪と戯れていた。
「前世は、雪国生まれだったのかもしれない」と思いながら、まっさらな雪とふれあっては、「雪は子どもの心に戻してくれるなあ」と、心が洗われる気持になった。
心も身体もあたたまる、ほっこりごはん。
訪れるまで、岐阜といえば日本酒、というイメージを持っていた。
けれど実際は、それに加えてお肉もお魚もおいしくて、「岐阜ってなんでもあるんだね……!」と、ひたすら感動。
特に、1泊目に泊まったお宿のご飯はどれも本当においしくて、心も身体もあたたまった。
3日目は、高山にある「古い町並み」をお散歩。
名物の肉寿司に夢見心地になったり、酒蔵で白酒や甘酒を飲んで年末年始を感じたり、古民家をリノベーションしたカフェでまったり甘味を味わったり。
旅に出ると、その土地のものをすべて食べてみないと気が済まないので、今回もしっかり食べ尽くした4日間。
愛と歴史が詰まった、ぬくもりのお宿。
1泊目に泊まったのは、奥飛騨温泉郷にある「いろりの宿 かつら木の郷」。訪れてみると、想像以上に心を掴まれて。
初日は迷子になってしまうくらい、宿を歩き回って空間を堪能していた。
木のぬくもりが感じられる閑静な空間、あたたかくて親しみやすいお宿の方々、お部屋や廊下に散りばめられた可憐なお正月飾り、お部屋の窓から眺める雪景色、貸切の露天風呂……
挙げたらキリがないくらい、ぐっとくる要素が詰まっているのだ。
お風呂の帰り道、ふと廊下に目をやると、「150年の歴史の中で、何度も苦しいことがあったけれど、守り続けたくてここまできた」というようなことが書かれていて。
ここが好きで、何度も訪れてくれる都会の人のために、これからもこの宿を続けていきます、というメッセージを読んで、ここを守ってきてくださった人たちに想いを馳せて、感謝の気持ちを伝えたくなった。
いつかまた、もう少し大人になったら、ここへ来たいなあ。
憧れの日本を探し求めて向かった先で、そんな風に思える場所ができたことが、何よりも嬉しかった。
***
地図上で見ると、東京からこんなにも近い、岐阜。
実際に行ってみると、今まで訪れたどんな場所よりも、時間がかかって驚いた。
だけど、だからこそ岐阜は異国のようで、東京に住むわたしにとっては、なんだか少し特別に感じられる場所なのかもしれない。
ひっそりと静かで、それでいてあたたみのある冬の岐阜には、わたしがずっと憧れていた「日本の冬」が、そこかしこに詰まっていた。
旅の様子はInstagramにまとめています𓂃𓂂𓏸
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