今はただ、あの日の希望になりたくて。京都移住、半年間の振り返り
ちょうど1年前、恋人からの「京都移住」という提案を前向きに考えはじめていた頃。
わたしの心にいちばん引っかかっていたのが「今後の仕事や働き方」だった。
当時働いていた職場は学生時代から長くお世話になっていた会社で、人にも仕事内容にも恵まれていた。
だけど制度上リモートで働くことはできなくて、27歳という年齢もあり、この先のキャリアについてちょうど悩んでいた時期でもあった。
結果、わたしは転職することを決意して、波瀾万丈な転職活動を乗り越えて京都に移住をする。
気づくともう、京都で暮らしはじめてから半年が経っていて、ここでの生活はすっかり日常になりつつある。
そんな今、ようやくわたしは「移住」を語るときに切っても切り離せない存在だった「仕事」や「働き方」について、落ち着いて振り返ることができるようになった。
京都移住に伴って変化した、仕事や働き方。そんな切り口で、この半年間の日々を振り返ってみようと思う。
"唯一無二" になりたくて、移住を決意
そもそも移住に対して前向きになったきっかけは、夫 (当時はまだ恋人) のこんな一言だった。
「ななみは京都に住んだ方が、今後のキャリアにとってもプラスになると思うよ」
京都に関わる仕事がしたい、唯一無二の価値がある自分になりたい。
それは社会人になりたての頃から漠然と心の中で渦巻いていた感情で、それを知っていた彼は、移住の提案に対して戸惑うわたしにそんな助言をくれた。
たしかに、京都に関わる仕事がしたいのなら、東京から「仕事がしたい!」と叫んでいるよりも声が届きやすいだろうし、仕事をもらえる機会もきっと増える。
それに、東京でマーケティングの仕事をしている20代はたくさんいるけれど、その中で上位数人になれる自信はなかったし、そもそもその領域で上を目指したいのか?と聞かれると、それは違うかもしれないなあと思いはじめた時期でもあった。
新卒の頃、仕事で疲弊したときにはじめて京都にひとり旅をしてから、京都はわたしにとって、今まで住んだことのあるどの町よりも「自分が自分に戻れる場所」だった。
その土地に足を踏み入れるだけで、京都駅に降り立って町の空気を吸うだけで、神宮丸太町のバス停を降りて鴨川沿いを歩いているだけで、自分の心がゆるゆると解き放たれてゆく。
そんな感覚はわたしの中にずっとあったから、もし京都で暮らすことになったら、わたしは毎日自分の心の声を聴き、本当にやりたいことがみつかるかもしれない。
だからわたしは、リモートの環境でも働くことができて、その上で将来やりたいと思っているブランドづくりや、その魅力や物語を伝えられるような力が身につきそうな会社に転職をした。
転職先は、東京の会社。そしてわたしはほぼひとり、リモートで働くことになった。
「京都移住」の理想と「転職」の現実
京都に住んだら、毎朝鴨川を散歩して、カフェでパンとコーヒーをテイクアウトして、陽が差し込む明るいリビングでゆっくりその日の計画を立てて……
そんな風にわくわく未来を想像していた3月から一転、新しい職場での仕事は転職前よりも忙しく、わたしが思い描いていた生活とは程遠い、そんな現実が待っていた。
日々、会社で新しいことを学んでいるけれど、これって本当に自分がやりたかったことだっけ……?
目の前の仕事に追われて、インプットが追いつかない。前職ではできていたことも、なかなか結果として現れない。本当は京都に住んだらライターの仕事をたくさんしようと思っていたのに、副業なんてやる余裕がまったくない。
前よりも忙しくなって、新しい環境でゼロから信頼を勝ち取るために、会社での評価や給料を上げるために、必死に努力をして、明るく振る舞っている自分にふと気づいたとき、何のために京都に移住したんだっけ?という疑問に、見て見ぬふりができなかった。
ただでさえ他人の評価が気になってしまうわたしは、ひとりリモートの環境で、不安になってどうしても無理をしてしまうことが多かった。
周りの評価や言動を気にせず、自分の心と向き合って、人生で本当にやりたいことを見つけたい。そしてその道に進めるよう、努力をしたい。そう決めて、京都に移住をしたのに。
これじゃあ東京にいた時と同じだ。何も変わっていないじゃないか……
そんな風に、自分に失望した夜は何度もあった。
入社したばかりのタイミングで、知識やスキルが足りないのは仕方がないと割り切れるけれど、まるっきりはじめての環境で、どのような振る舞いをしたら喜ばれるのか、評価されるのか、その逆は何か……
それを考えながら「正しい」言動や行動を考える日々は、出口の見えないトンネルの中で、ひとり踊り続けているかのような心細さがあった。
28歳「頑張る自分」からの卒業
そんなとき、担当している案件ではじめての繁忙期がきた。入社4ヶ月目、心身ともにキャパを超える日々が3週間ほど続いた。
明日から連休なのに、まったく嬉しくない。週明けの仕事のことが、いまから気がかりで暗い気持ちになってしまう。寝ても覚めても仕事のことばかり考えてしまう……
三連休の初日、朝起きたら涙が止まらなくなり、「もう生きている意味がわからない」と呟いて、夫に心配そうな表情で「もう会社やめたら?」と言われたこともあった。
苦しくて仕方がなかったけれど、こんな中途半端なところでやめたら絶対に後悔する。逃げることよりも乗り越えることの方が慣れていたわたしは、「自分が思う、理想の自分」でい続けることを、諦めることができなかった。
とはいえ実際は身も心も限界がきていて、もう誰かに頼るしかない、自分ができないことを認めて、周りにもそれを伝えて、力を借りるしかない。そうしないと、みんなにも迷惑をかけてしまう……
そう思って割り切った日から、無理せずできないことはできないと言う、助けを求める、ということを少しずつするようになった。
それと同時に、「仕事以外のことは頑張らない」ことを決めた。
料理、掃除、洗濯、勉強、読書、SNSの更新……
移住をする前に思い描いていた「理想の日々」を叶えるために、忙しくても疲れていても、全部頑張らなきゃ。そんな感情に突き動かされて、分かれ道に差し掛かったら必ず「頑張る」ほうを選択し続けてきた。
特に、家事を完璧にこなすことと毎日のSNSの更新はほぼ義務になっていて、「手を抜く」と決めても、最初はそうすることに対して抵抗を感じずにいられなかった。
だけど、「手を抜く」「やらないという選択をする」ことを続けていると少しずつ諦めがつくようになり、やがて心は穏やかになっていった。少しずつ、現状を受け入れられるようになっていったのだ。
今までは少しでも空き時間ができると、「生産性のあることをしよう」という思考になっていた。
けれど、夫に誘われて夜散歩に出かけたり、今までは極力避けていたドラマを観る、というようなことを続けていたら、「いま幸せかも」と思う瞬間が日々の中に少しずつ増えていった。
「仕事以外のことは頑張らない」と決めて、空き時間はなにも生産せず、夫と一緒に、ただそこにある時間をゆっくり味わう。
その積み重ねが、わたしの心をゆるやかに回復させていった。
日常は "あの頃の理想" になって
なんとかその繁忙期を乗り越え、束の間の穏やかな時間が流れていた2週間。あの日々のことを、改めて振り返ってみたことがある。
そのとき、結局は自分のマインドの問題だったのだなあと気づいた。
ぜんぶ自分ひとりでやらないといけない。
信頼や評価を得るために、頑張らないといけない。
愚痴は言わないほうがいい。
せっかく京都に移住したのだから、発信しなきゃ。
早く、京都に関わる仕事をみつけなきゃ……
それらをすべて一旦捨ててみて、ただ毎日やるべき仕事を丁寧にこなし、彼とふたりで食事をして、ドラマを観て24時にはベッドに入る。
朝はのんびり起きてお気に入りのパン屋さんに行き、ゆっくり食べてから仕事をはじめる。
インプットもアウトプットもしない、ただ日々を楽しく過ごすことだけに集中したら、これはこれでいいのかもしれないな、と思えるようになった。
仕事や自己実現という観点では、この数ヶ月間の日々は少し理想から遠のいたように思っていた。けれど、自分の心と向き合うには、感性を解放するためには、穏やかな今のような日々が必要だったんじゃないか。
そう考えたら、京都に移住した本来の目的にも、遠回りしているようで案外近づいているのかもしれないなあ、と思った。
京都生活を安定させるために、8月は東京には戻らず、1か月間京都の行事に足を運びながら、穏やかな日々を過ごした。それによって、京都で暮らしている、という実感も深まった。
そして9月、久しぶりに戻った東京での生活。
家の最寄駅で夫と別れるとき、久々に離れて暮らすのが寂しくて、東京に戻りたくないなあと思ったのだけれど、いざ東京生活がはじまってみると、忙しさもありあっという間で、充実した1週間を過ごすことができた。
そして改めて、人とは違うリモートの環境で存在感を発揮し、成果を出すこと、周りの人、ひいては組織全体によい影響を与えることの難しさと意義を感じた。
難しいからこそやりがいがあるし、わたしが理想の、自分の心から選んだ生き方を全うすることが、誰かの希望や新たな選択につながるかもしれない。
1年前までのわたしや夫のように、今は東京でたくさんの人に揉まれながら、何者かになることを目指して、成長するために走り続けている人も。
住む場所を変えたり、自分とは違う生き方をしている人と出会うことで、新しい生き方がみえてくることもある。
東京にしか住んだことのなかったわたしも、離れることで成長が止まってしまうんじゃないかと怖かったけれど、実際はまったくそんなことはなかった。むしろ成長だけじゃない、人生で大切にしたいものに気づけたりもした。
いま選ばせてもらっているこの環境のありがたみと、実現しようと必死に努力していることの価値を、じんわりと感じた1週間だった。
あの日の自分の希望になれるよう
ここまで書いて、この文章は1ヶ月間下書きに眠っていた。
転職をしてからというもの、日々時間があっという間に流れていって、気づくと1ヶ月なんて平気で過ぎている。
それほどまでにこの半年間は仕事に集中し、新しい環境にとにかく慣れることに精一杯だったなあと思う。
目の前のことに時間も心も注いできたからこそ、周りの人との関係性は少しずつ深まってきているように感じるし、仕事のスピード感にもだいぶ慣れてきた。
忙しさは変わらないし、朝起きて気づいたら夜になっていて、京都暮らしを実感することもあまりない日々ではあるけれど……
今はこの経験の先に自分が思い描く理想の自分がいるのだと信じることができるし、暮らしのほうも、少しずつ理想に近づいているという実感がある。
その実感を握りしめて、これからも焦らず前に進んでいけたらなあと思う。
わたしたちの京都暮らしは、これからが本番だ。
わたしが躓き、悩み、もがきながらも諦めずに、理想の「仕事」と「暮らし」を叶え続けること。
きっとその先には、あのときの自分の希望になれるような、しなやかな自分の姿があるだろうから。
そしてそんなわたしの姿が、誰かの一歩につながるきっかけになれば嬉しいなあと、願ってみたりする。
岡崎菜波 / nanami okazaki
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▼京都暮らしの日々を発信しています。
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