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今年こそ、いい1年にしたいから。結婚生活2年目の「ひとり時間」宣言。


結婚しても、家族がいても、ひとりの時間は死守したい……!

28年間そう思っていたわたしも、昨年結婚して京都でのふたり暮らしがはじまった途端、ひとりの時間が激減した。

ふたり暮らし当初は、「ひとりの時間がないと心が死んでしまう……」と言って週末のどちらかはひとりでカフェに通っていた。

だけどふたりで過ごす時間が増え、むしろ一緒にいた方が気楽だし寂しくないかも、と感じるようになってからは、「ひとりの時間、寂しくて死んでしまう……」という思考に完全に切り替わってしまった。(環境に左右されすぎなわたし)

年末に夫と「今年、なんでこんなに時間が足りなかったんだろうね?」「デートが多かったんじゃない?」「じゃあ、デートしていた日数を数えてみようか」という話になり、数えてみると1年間の週末のうち、3分の1をデートが占めていた。

はじめてのふたり暮らし、かつ憧れの京都暮らし1年生ということもあって、日々イベントが目白押しだった2023年。それはそれでよかったと思うし、実際どの日を思い返してみても楽しい思い出ばかりだから、後悔はしていない。

むしろ1年目、思う存分行ってみたい場所へ足を運び、見たい景色を見て、会いたい人に会いに行くことができたのは、いい時間の過ごし方だったなと思う。

とはいえ、昨年やりたいと思っていたことが全てやり切れなかったことに対しては、心の中で少し引っかかっていた。

だから今年は、お互いに「ひとり時間」を過ごす頻度を増やそう、とふたりで決めた。

毎週のようにいろいろな場所へ出かけていた昨年のことを思い返すと、ふと寂しくなることや物足りなく感じる瞬間もあるけれど、正直心の片隅では「いまの自分に足りないのは、きっと"孤独"なんだろうなあ」ということに薄々気づいていた。

だから今年は、ひとりの時間をあえてつくることで「自分の心と向き合い、本来の自分を取り戻す」ことを習慣化したい。そう思っている。



新しい1年がはじまるこのタイミングだからこそ、あえてひとりの時間を過ごす。


どんな空間で過ごすとよいのか?
どんな過ごし方をするとよいのか?



この1ヶ月間実際にやってみて感じたことを、自分のための備忘録も兼ねて、書き残しておこうと思う。



1. タイミング:後ろに予定がない日を選ぶ

わたしも彼もお休みが土日なので、どちらか1日をひとりで過ごすことが多い。

特に事前に申告することはないけれど、ふたりで食事に出かけたい夜や行きたいイベントがある日など、ふたりで何かしたい日は、ちゃんと前もって約束する。それ以外は、夜ご飯の時間まで、基本的に自由行動。

わたしは1日予定のない日をつくったら、朝から夜までの時間、理想のスケジュールを組み立てて動くようにしている。

計画を立てるのは、優柔不断な性格だから。何時に家を出るのか、何を着て行くのか、どこへ行くのか……そんな些細なことでさえ、時間を決めておかないと延々と悩み続けてしまう。だから、ざっくりその日の予定を決めておく。

とはいえ、休みの日まで時間に追われるのは嫌だ。それに、あまり細かく決めてしまうと予定通りにならなかったとき後ろ向きな気持ちになってしまう。だから1時間単位くらいで、余裕を持って決めるようにする。





あとは、後ろにタスクや気持ちが重くなるような用事のない日を選ぶことも気をつけている。

わたしの場合だと、料理当番の日曜日はどうしても、その買い出しや下ごしらえの時間を考えて動かないといけないので、どうしても時間が気になって、ゆっくり過ごせないことがある。

だからできるだけ、時間を気にせず、気兼ねなく過ごせる時間を確保しておくことが大事だなあと思っている。


2. 場所:お気に入りの空間の選択肢を持っておく

ひとり時間を最大限有効に使うために、いちばん大事なのが場所だ。

どんな環境に身を置くかで、心も身体も状態は変わってくる。選んだ場所で、その日のひとり時間の充実度が決まると言っても過言ではないと思う。

だから、選択肢はいくつか持っておきたい。

わたしの場合は、常にひとり時間に最適な空間を求めて、ひとりカフェの情報収集をしている。

特にやりたいことが明確に決まっていないときや、単純にひとりでのんびり過ごせればいい日は、ストックしておいたリストの中から、そのときの気分にぴったりなお店を選んで足を運んでみる。そして、はじめて訪れる場所を味わうこと自体を楽しむ。

反対に、「今日は確実に、〇〇がしたい」「静かな空間で、集中したい」と思っているときは、おしゃべりを控えて過ごすことが推奨されている、もしくは一度訪れたことがあって、確実にひとりで過ごせるとわかっているカフェを選ぶ。

音楽はかかっているほうがいいか、無音がいいか。
明るい光が差し込む空間がいいか、照明が落ち着いた空間がいいか。



朝起きて、心から満たされている自分を想像したとき、どんな場所にいるのか?



想像して、目の前に浮かんだ情景に近い場所を、保存しているひとりカフェリストの中から探す。

そんな時間も楽しいし、その日自分が選んだ場所で「あ、いまのわたしはこういうものを求めているんだな」と心や身体の状態に気づくことができるのも、場所選びの醍醐味だなあと思っている。


3. 過ごし方:その空間で、心が動いたことをする

最後に、ひとりの時間ではどんな風に過ごすとよいのか?

答えを求めている人には申し訳ないのだけれど、いろいろな過ごし方をしてみて、最終的には「なんでもいい」という結論に至った。

厳密には「なんでもあり」と言ったほうが近くて、「毎回これをする」と決めないことに意味がある、というのが今のわたしの答え。

この1ヶ月間、毎回決まったルーティーンをつくらず、その日の気分、もっと言えばカフェに入り椅子に座ってひと息ついたときの心の状態で、何をするかを決めるようにしていた。(朝の時点で明確にやりたいことがあった日は除く。)

朝、自分が何をしたいのかわからない日。そういうときは、無理に何かをしないほうがいい。なぜなら、自分の心の声が聞こえない状態というのは、心が理性や外部の声で埋め尽くされていて、感情の蓋が閉まっているということだから。

そういう状態のときはついつい「やるべきこと」に目が行きがちになる。そして、やるべきことばかりしていた結果、せっかくの休みなのに、心がますます疲れてしまう…‥というのはよくある。

あるいは、疲れて何もやる気が出ない。それ自体に焦る……ということも、しょっちゅうある。

だけど、無理に感情の蓋をこじ開けようとしたり、閉まったままにしておくと、ほんとうに自分の心が奥底に沈み込んで、手が届かなくなってしまう。

そういうことも今までたくさんあったから、今年は定期的に、感情の蓋が自然と開くように、ひとり時間をつくっていきたい。



じゃあ、感情の蓋は、どうしたら開くのか?



人によって異なるだろうけど、わたしの場合は読書や映画など、「作品に触れること」が他者向けの自分モードと本来の自分モードの切替えスイッチになる。

だから、朝起きて自分の心の声が聴こえない日は、とりあえず小説を鞄に入れて家を出る。あとは、手帳とペンも。

小説のページをめくるにつれて、凝り固まっていた感情は徐々にやわらかく溶けてゆく。そしてゆるやかに流れ出してきたら、そのとき感じていることを手帳に書き留める。

そうやって感情や思考の整理をしていると、少しずつ、自分がやりたかったことや心地よいと感じるものを思い出す。

それを定期的に行うことで、心の状態がリセットされて、平日の疲れや緊張もゆるゆると萎んでゆく。そして、マイナスがゼロに戻ってからは、客観的に自分を観察することができる状態になる。

そうなってからようやく、本来進みたい方向へちゃんと歩けているのか、夢を叶えるための時間の使い方ができているのか、自分をみつめ直すことができる。

心穏やかに、健やかに暮らしていくためにはもちろん、自分が心から叶えたいと思っていることを諦めないためには、自分が自分に戻ること、そのうえで前向きな心を持っておくことが、大切なんじゃないかなと思っている。


「ひとり時間」の今までと、これから。

結婚をするまで、わたしは色々な意味でひとりだった。孤独だった、と言ってもいい。

ひとりの期間、苦しいことも、悲しいことも、悔しいこともたくさんあった。だけど、その分わたしは自分と向き合うことができたし、自分で考えて、人生をより心地よいほうへ、好きな自分に近づけるように、選択と行動を積み重ねてきた。

だから、彼とも出逢えた。





彼と結婚をして、ひとりでなくなってからは、孤独な時間がぐんと減った。

昨年からはじまった、ふたり暮らし。夫もわたしもリモートワークだから、朝から晩までずっと同じ空間で一緒に過ごしている。

京都に移住をして1年目ということもあって、どこへ行くのも、なにをするのも彼と一緒だった。

目の前の穏やかな幸せを噛みしめていると、



「いまのわたし、幸せ者だなあ」

「このままで充分かもしれないなあ」


と、ぼんやり思う。

それ自体はとてもいいこと。だけど、ふとした瞬間「あれ?わたし、このままでいいんだっけ」と不安がちらつくこともあった。

いまは幸せだけど、来年は?5年後は?

家族の形も、働き方も。
この状態が、永遠に続くわけではない。

そう考えたとき、わたしはこのままでいいのだろうか?

20代のうちに叶えたかったことを、わたしはまだ、片手に収まるほどしか叶えていない。年始に立てた目標も、新しい日々に精一杯で、曖昧になっている。

目の前にある一時的な幸せで目の前が霞んで、ほんとうに成し遂げたいこと、克服したいと思っていたことに対しても、見て見ぬふりをしているのではないか…?





そんな風に思いはじめていたことを知ってか知らぬか、彼が今年はお互いひとりの時間を増やそう、と言ってくれたのには心から感謝している。

自分の弱いところや人には言えない悩み、実は直してほしいこと……彼にはだいぶ言いづらいことも伝えられるようになってきたのに、わたしはずっと、その提案を自分からすることを躊躇っていた。

そんな性格だから、社会性が求められる場では、自然と自分の感情を押し殺し、相手に合わせて生きてしまうのだろう。

どれほど意識していても、変えようと思っても、28年間ですっかり染みついたこの価値観は、なかなか変えられるものではないという現実を突きつけられている。

だけど自分以外の基準に心や行動を合わせる時間が続くと、自分がわからなくなり、次第に自分が自分ではなくなっていく。あまりにも色々な自分を演じすぎて、本来の自分がどこにいるのか、見失ってしまう。

誰かのために頑張るのももちろん大事だけれど、そればかり続けていたら、自分の人生は、あっという間に終わってしまう。

わたしはそろそろ、自分のための人生を、ちゃんと生きたい。







20代も、残りあと1年。

性格は変わらないけれど、夢は諦めたくない。
いまは幸せだけど、この先もっと自分が好きな自分になりたい。

だからわたしは、あえて孤独をつくることをここに宣言する。ひとり時間を過ごすことで、誰かが求める自分から、ほんとうの自分に定期的に戻る。

きっとその積み重ねが、ほんとうに望む未来を叶えるための、力強く前向きな一歩につながると思うから。




岡崎菜波 / nanami okazaki

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