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新婚生活で自分を見失っていた私は、旅先でもらった言葉に救われた


「こんなはずじゃなかったのにな……」



新婚生活が始まって1週間が経った、ある夜のこと。

真っ暗な寝室のドアを開け、ひとり静かにベッドに潜り込む。

隣ですうすうと寝息を立てている彼の気配を感じながら、わたしの心は水を含んだ布団のように重く、濁っていた。




いまのわたし、全然自由じゃない。




新しい仕事も、生活も、彼との関係性も。何もかもがうまくいかなかった。

正確に言うとうまくいかないのは一部で、ちゃんと生活の中で大事にしたい瞬間や、前進していることもいくつかあった。

だけど、それらも全部ひっくるめて「何もかも」うまくいかない、と悲観的に世界を捉えてしまうほうが、楽だったのだ。

この1週間で自分の身に起きたことを目の前に並べ、良いことと悪いこと、それぞれをきっちり分けて、課題をみつけて改善していこう……なんて冷静に考えられる心の余裕がもう、わたしには残っていなかった。





1ヶ月ぶりに京都に帰ってきて、彼との新婚生活がスタートした4月末。

ふたりで過ごせるこの日々を、数日前まではあんなにも心待ちにしていたのに、いまでは彼への理不尽な不満や苛立ちばかりが心の中を占拠している。

「毎日、一緒にいられるだけで幸せだろうなあ」と思い描いていた水彩画のような柔らかな日々は、いざ生活を始めてみると「うまくいかない」ことで灰色に埋め尽くされていく。




新しい仕事と、そのための勉強が楽しくて仕方がない彼。

慣れない環境で、大量の情報や目まぐるしいスピードに付いていくのに必死なわたし。


一人暮らし8年目、家事を軽々とこなしてしまう彼。

人生ではじめて実家を出て、何をするにも倍以上の時間がかかるわたし。


朝6時半に起きて、始業前に散歩や勉強をする計画的な彼。

慣れない仕事や家事に疲れ果て、自分の時間がほとんどつくれないわたし…




何事もうまくいっている彼と一緒に過ごしていると、自分の容量の悪さが至る所で目立ち、羨ましさと焦りが募る。

それと同時に、わたしは自分の時間が取れないことによりストレスを発散することができず、日に日に心に疲れが溜まっていった。

だけど、平日は毎日彼が料理をしてくれていたから、これ以上わがままを言えない。



せめて早く仕事を終わらせて、ふたりの時間をつくらなければ……



頭ではそう考えていても、心はその正しさや理想について行けない。彼との時間は大事にしたい。だけどこのままじゃ、わたしの心は壊れてしまう。

そのことを、いまの彼に伝える勇気も、うまく伝える方法を探す気力もない。

彼との関係性と、自分のあり方。どちらも理想と実際の行動がどんどん離れていって、自分でも自分の感情をコントロールできなくなっていた。

そうして気づくと彼との会話はすれ違い、お互いに些細なことで苛立ち、わたしは毎日彼の前で涙を流す始末。

こんなにも自分に対して苛立ちやもどかしさを感じ、彼にも素直に頼れず、ひとりで暗闇に置き去りにされるのは、出会ってからはじめての出来事だった。

暗く冷たい寂しさと、どうしようもなく心細い気持ちを両手でなんとか抱えながら、わたしたちの新婚生活は、早速ひとつ目の大きな壁に突き当たっていた。






そんなわたしの心を救ってくれたのは、旅先で会ったひとりの友人だった。

もともとは彼の友人であるその人は、わたしよりも3つ歳上のお姉さん。SNSを介してお互いに存在は知っていたけれど、直接会うのは今回がはじめてだった。



「せっかく京都に来たし、会わせたい人もいるから、ゴールデンウィークは京丹後に行ってみようよ」



京都に移住をしてから、はじめての連休。

この1ヶ月は新しい職場での仕事や生活でいっぱいいっぱいになっていたから、久しぶりに自然の中で羽を伸ばせることや、美味しいごはんが食べられること、温泉でくつろげることを、わたしも楽しみにしていた。

わたしたちを引き合わせたいと言ったのは、彼にとって彼女が、京都を好きになり、移住をすることになったきっかけをくれた恩人だから。

「彼女に会いに行く」という目的も兼ねて、京都の北のほうを旅してみよう、というのが今回の旅の趣旨だった。

もし、SNSでの繋がりや事前情報がなかったとしても、すぐに打ち解けていたのだろうなと思えるほど、彼女は底抜けの明るさと懐の深さで、わたしたちを歓迎してくれた。

その優しさに触れ、はじめの緊張もだんだんと和らいでいく。

彼女の運転で連れて行ってもらった場所はどこも美しく、やさしく吹く風が心地よくて、疲れた心をゆるやかにほぐしてくれた。




その夜は、彼女が予約をしてくれていた居酒屋さんに3人で訪れた。

聞いたことのない名前の食材が並ぶメニューに心を躍らせ、地のものをふんだんに使ったお料理と京丹後の日本酒にひとしきり感動しているうちに、時間はするすると流れてゆく。

生き生きとした鮮魚のお造りをアテに、2種類目の日本酒を飲みはじめたところで、話題はわたしと彼の関係性の話になった。

これまでにふたりのことを話す機会はほとんどなかったのに、彼女はまるで占い師のように、ここ数日わたしの心の中を埋め尽くしていた負の感情をきれいに言葉にして、わたしたちの前に並べていく。




ひとりの時間は、第一優先にしたほうがいいよ。『できたらつくろう』と思っていたら、その時間はなくなってしまうから。」


物理的に距離を置いて、自分の時間を生きるのが何よりも大事。一緒にいたら、ななみちゃんはきっと相手に合わせてしまうでしょう。」


「できれば自分から、『今日はひとりで過ごしたいから、よろしく』って彼に言えるといいね。言われても、この人はたぶん気にしないから。ななみちゃんにとっても、それが自信になると思う。」




まるで、「今のわたしに必要な言葉10選」というタイトルの本を読んでいるかのような話の数々。

わたしが今まで何度か感じていたけれど言葉にできなかったことや、心の中にあったのだけど外に出していいのか分からなかった感情たちが、形となって次から次へと現れる。

わりと頑固なわたしは普段、人の話を聴いて素直に「その通りだな」「やってみようかな」と思うことが少ない。だけど彼女の言葉は、なぜか心にすうっと染み込んでくるから不思議だった。




今、わたしは彼女にすごく大切なことを教えてもらっている気がする。




気づくとわたしは、一言ひとことを聞き逃すまいとして、彼女の口から出てくる言葉を前のめりになって聴いていた。






相手のペースに合わせる必要なんてないの。だって、この人もそれを望んでいないでしょう?」


そう言う彼女の言葉に、隣で大きくうなずく彼。


「うんうん、俺はななみにもっと自分の時間を過ごしてほしいと思ってたよ。」


わたしも頭では、彼ならそう言ってくれるだろうなと分かっていた。

だけど、自分の要領が悪いせいで家事のほとんどを彼に任せてしまっていることや、ふたりの時間をなかなか過ごせていないことにより募る後ろめたさが邪魔をして、冷静に彼の気持ちを想像することができていなかった。



「『申し訳ない』なんて思わずに、やってもらえばいいのよ。どっちも大変な状況だったら、どちらかに負担が寄るのは良くないけど……できるほう、時間があるほうがやる分には、何も悪いことはないんだから。」



カラッとした笑顔でそう言い切る彼女の言葉は力強くて、説得力があった。

たしかにわたしも今まで、彼が大変そうなときや悩んでいるとき、何よりも優先して支えてきたなあ。今回は、立場が逆になったと思えばいいのか……。

時間をかけたら、きっと自分でこの結論に至ることもできただろう。

けれど、彼女がわたしの代わりにこうして言語化してくれたことで、改めて自分の感情や状況を客観的に整理することができた。

それに、彼のこともよく知っている人にそう言ってもらえたからこそ、どちらが悪いという話でもないんだな、と安心することができた。



彼女の話にすっかり心を奪われ、また同時に救われていると、さらに驚くような話があった。



「愛情がなくなったんじゃなくて、スイッチの切り替えができるだけ」。



どういうことかと言うと……

彼はふたりで過ごしていても、瞬時に仕事や勉強モードに切り替えられるタイプ。そのことを頭では理解していても、実際にその速さを目の当たりにすると、



「あれ、わたし今なにか彼の機嫌を悪くするようなこと言っちゃったかな……?」


「最近仕事モードみたいだけど、わたしへの愛情は薄れてしまったのかな……」




なんて不安になってしまうことが多かった。

特に一緒に暮らしてからはこういった瞬間が増え、自分の心が不安定だったことも相まって、どうしても過敏に反応してしまうことが多かった。



だけど、彼には「モードを切り替えられるスイッチ」があり、わたしにはない。ただそれだけの話だったのだ。





わたしは、一緒にいる相手の感情を人一倍感じ取ってしまうタイプで、誰かと一緒にいると、どうしても相手の感情やリズムに流されてしまう。

それは相手が親友でも、家族でも同じ。脳内には、「ひとりでいる時のモード」か「誰かと一緒にいる時のモード」の2択しかない。

物理的に一緒にいる間、気持ちを切り替えることはそもそもできず、離れてからも、切り替えるまでには時間がかかる。



だけど、彼の場合は違う。



ふたりで過ごしている時にたとえば仕事の連絡が来たとして、それを返すとまたわたしに意識を戻す、そういう「切り替え」が電気をスイッチひとつで灯せるように、パッとできてしまう。

相手の「生きるペース」に合わせてしまう性格のわたしにとって、相手が簡単にモードを切り替えるのを見ると、慌ててしまって疲れたり、置いてけぼりにされたような、心もとない気持ちになったりする。

自分が不安症で、気にしすぎるのがいけないんだ……と自分を責めかけていたわたしは、「ただ、それぞれ異なる性格をしているだけ」という事実を知って、目の前が途端に明るくなった。






「彼がスイッチを切り替えてくれたら、むしろ『よし!ボーナスタイムができた!ラッキー』と思うくらいがいいのかもしれないね。」


彼女のその言葉を聴きながら、わたしもこれからは「自分の生きる、時間の流れ」を大切にしながら、彼とふたりで過ごす時間とのバランスをとっていきたいなあと思った。

彼女の話があまりにもわたしたちの現状を言い当てていることに圧倒され、感動とともに感謝の言葉を伝えると、



「まあ、わたしも昔、似たようなことがあったからね。なんとなく分かったのかも。」



そんな返事がかえってきて、ああ、だからわたしは彼女の言葉をすんなりと受け入れることができたのかなあと思った。

上から目線のアドバイスでも、どこかで聞いたことのあるような正論でもなく、彼女の人生から生まれた言葉たち。

わたしたちに変化を強制しているのでもなく、正解を押し付けるのでもなく、彼女自身に言い聞かせるように、噛み締めるように語ってくれたこと。

そんな彼女の姿を見ていると、3年後、自分も誰かにそんな言葉を伝えられるような人であれたらいいなあと思うのだった。





この夜を経て、わたしはまた彼と一緒に「自由に生きる」人生に一歩近づけたような気がした。

すぐには変われないけれど、少しずつ。お互いのことを言葉で伝えて、理解して、「ひとり」としても「ふたり」としても、幸せに生きる術を身につけていきたい。



岡崎菜波 / Nanami Okazaki
Instagram: @nanami_okazaki_


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