創作過程を全身で追体験。|特別展「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮」レポート&スタッフインタビュー
こちら、イラストレーターでグラフィックデザイナーの宇野亞喜良さんによる作品「桃源郷」なのですがーー
イラストの下に敷かれているのは、新聞紙??
いいえ、イラストが新聞紙に"印刷"されているのです……!
特別展「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮」
この作品が展示されているのは、現在、市谷の杜 本と活字館で開催中の特別展「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮」。今年の1月にギンザ・グラフィック・ギャラリーにて開催された企画展「宇野亞喜良 万華鏡」の後続企画として賑わっています。
企画展「宇野亞喜良 万華鏡」は、宇野亞喜良さんと、紙や印刷技術に"とても"詳しい知識をもつ津田淳子さん(雑誌『デザインのひきだし』編集長)のスペシャルコラボ!俳句と少女をテーマにした宇野さんの原画を題材に、津田さんが特殊印刷設計に挑戦しました。企画展ではそれらの成果を展示。宇野さんの作品をさらに輝かせる、繊細かつ豊かな津田さんの印刷設計は、大きな話題をよびました。
宇野亞喜良さんは、著名なイラストレーター・グラフィックデザイナーで、劇作家・寺山修司さんによる演劇作品の宣伝美術を手がけたことでも知られています。
現在会期を迎えている「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮」では、これらの作品が生まれる過程に着目!「花絮(かじょ)」=「こぼれ話」と名付け、どのような印刷過程を経てこれらの作品が出来上がったのかを詳しく紹介されています。作品数が多いため、前期(3月4日~06月25日)・後期(6月28日~10月29日)と会期をわけ、長期にわたり開催中です。
先ほどの「桃源郷」は、前期に紹介された作品。「シルクスクリーン印刷」という技法を使用しています。イラストを敢えて新聞紙に印刷することで、様々なものに刷ることができるシルクスクリーン印刷の柔軟性を表現されたそう。
「桃源郷」とは、この世と離れた別世界のこと。一方で新聞紙は、この世の現実(今起きていること)を伝える紙なので、現実世界に別世界が印刷されるという、なんとも奇妙な対比構造が生まれます。新聞紙に印刷された「桃源郷」は、私には現実世界を批判する風刺画のようにみえました。白い紙に印刷されるより、作品に対する解釈の幅がひろがります。まるで演劇作品のようです。
全22に及ぶ作品は、おもしろい印刷実験の数々が並びます。
「美少女」(俳人:藤田湘子)
藤田湘子さんによる俳句をイメージして描かれた「美少女」。こちらも「桃源郷」と同様に、前期に展示された作品です。こちらも白い紙ではなく、ドイツから輸入したホイルペーパーに印刷をされたそう!このホイルペーパーは、既に薔薇のエンボス加工が入っているため、印刷をすると、宇野さんのイラストの下から薔薇柄が透けてみえるのです。
馬の身体に透ける薔薇の花びらは、まるで毛並みが揺れ動いているよう。馬の疾走感を感じさせるとともに、この少女はきっと、ほんの一瞬しか、こちらを見てくれなかったのだろうなぁと……藤田湘子さんの俳句「さむき一瞥」という言葉の寂しさが引き立ちます。
「後の月」(俳人:高橋睦郎)
「後の月」は旧暦で9月13日の夜のことをいいます。十三夜と呼ばれ、満月より数日前の、少し欠けた月を楽しむ日とされています。
作品にも月が描かれていますね。月や女性のドレスの裾は、反射してキラキラしているようにみえます。なにか凹凸のある厚い紙に印刷しているのかな……と思いきや、なんと、平面なのにデコボコしてみえる「レンズフィルム」を使用し、その上からカラー印刷をほどこしているのだそう!
星空を眺めているように美しい……。津田さんの特殊印刷設計と宇野さんの作品が豊かなコラボレーションを遂げ、幻想的な世界が誕生しています……!
こちらも前期展示作品のため、今から実物を見ることは叶いませんが、「市谷の杜 本と活字館」のYouTubeチャンネルでは、前期に開催されたトークイベントのアーカイブが公開中。津田さんと、本展の宣伝ビジュアルを担当された大島依提亜さんが登壇し、「後の月」の印刷過程についてもお話しされています。
2023年の後の月は、10月27日。お月見のお供に、いかがでしょうか。
「虹盗み」(俳人:間村俊一)
「虹盗み」は、現在開催されている後期展示作品のひとつです。ドレス部分に、シルクスクリーン印刷で糊を刷り、その上からビーズを貼り付けているそう。特徴的なのは、このビーズが透明であるということ。色付きのビーズを敷き詰めているようにみえますが、色を印刷した紙に、透明のビーズを並べています。
イラストがビーズの影によって暗くなることを防ぐため、印刷で強い発色が出るよう調整されたそうです。「"印刷で"糊を刷る」「ビーズの色ではなく"印刷技術を使用して"発色を調整する」といった、印刷設計に対する津田さんのこだわりと発想の豊かさに感動します……!
「襤褸市」(俳人:真鍋呉夫)
こちらも「虹盗み」と同じく、後期の展示作品。「襤褸市(ボロ市)」の原画は、使用済の段ボールへ印刷されました。この印刷方法は宇野さんご自身の提案だそうです。
古着を表す「ボロ」。使用済の段ボールに印刷することで、ボロ市のアンティークな雰囲気が際立ちます。また、段ボールは印刷現場で使われるような大きいサイズを選ばれたとのこと。160cmの私の身体を大の字にしても、作品のほうが大きいです!!!
作品の横には、初校から校了まで何段階もの大きな段ボールが並べられ、印刷過程を詳しく紹介しています。その迫力は圧倒的。作品に吸い込まれ、ボロ市の世界にタイムスリップしてしまいそうな気分でした。
後期の展示は、10月29日(日)まで開催中。記事でご紹介した「虹盗み」「襤褸市」に加え、トレーシングペーパーや和紙を印刷に活用した作品なども見ることができます。
これらの印刷実験は、宇野さんの作品の世界観を一層魅力的なものにさせたり、あるいは、新たな世界観を生み出すなど、多様な化学変化をもたらしています。プロのタッグによる創作を"見て楽しむ"のはもちろん、印刷やデザインをお仕事とされる方にとっては、このような技法があったのか!と、自身の活動の幅をひろげるきっかけにもなるかもしれません。
展示室には、印刷中の映像が音声付きで流れていたり、印刷で使用した紙に触れることができたり、特殊印刷設計を手掛けた津田さんの校正メモを近くで見ることができたり――耳からも、手からも、目からも、実験の過程がわかります!ぜひ会場に足を運び、デザインや紙、印刷の世界を全身で楽しんでくださいね。
★チラシの印刷過程にも注目を!「市谷の杜 本と活字館」スタッフインタビュー
特別展「宇野亞喜良 万華鏡印刷花絮」は、約8か月にわたる、大きな展覧会。この企画を会場スタッフとして支える、市谷の杜 本と活字館の須田さんにお話を伺いました。
――会期がまもなく終わりに近づいてきましたが、館内の様子はいかがですか。
須田:宇野さんのイラストファンの方が多くいらっしゃる一方で、常設展を観にきた方が、たまたまこの特別展に出逢い、立ち寄っていただくこともあります。割合としては半々くらいでしょうか。訪れた方は、全身で楽しめる展示にとても感心してくださいます。
――全身で印刷実験の過程を辿ると、まるで自分がその印刷現場にいるような気分になり、楽しい時間でした……!
須田:展示している校正紙には、津田さん手書きの赤字が書かれていましたよね。通常の色校正のやり取りだと「赤・強く」など、修正箇所がシンプルに書かれているだけなのですが、津田さんは「すばらしいです。すごいです。」と丁寧なメッセージを書いていらっしゃるんです。職人さんも、そのあたたかい言葉に呼応するように、素敵な技術を提供してくださる。その相乗効果が素敵ですよね。
――展覧会が魅力的なのはもちろんのこと、本展の案内チラシの美しさにも魅了されました。宇野さんのイラストを中心に、色とフォントが鮮やかにデザインされています。まるで万華鏡をのぞいているよう……前期と後期で色が違うことも、遊び心があっておもしろいです。
須田:実は館内で1枚ずつ刷っているんですよ。
――館内で!?
須田:はい。館内にリソグラフ印刷機があるので、片面のみ、その印刷機を使用しています。
須田:チラシをリソグラフ印刷機で刷ることになったのは、デザインを担当されている大島依提亜さんの提案でした。リソグラフで印刷したものは、ざらっとした仕上がり、版画的な仕上がりになります。宇野さんのイラストは鉛筆画のように柔らかい質感が特徴的なので、この原画を表現するのにとても合う印刷方法だと思います。
――どのくらいのペースで印刷しているのですか。
須田:来場者数を予測しながら、不定期で印刷しています。しかし、リソグラフ印刷は、なかなか乾かないのが難点で……。このチラシは色を4色使用しているのですが、リソグラフ印刷機が1度に印刷できるのは、2色までです。乾燥棚を活用し、2色刷った紙を乾かす。次の日には、その紙に他の2色を印刷して完成させる……という容量で、コツコツと作業しています。乾燥棚には300枚ほど乗せられるので、300枚つくるのに2日間は必要といったイメージでしょうか。
――2日間で300枚、ですか……
須田:また、リソグラフ印刷は擦れが起きやすいので、チラシは1枚ずつ異なる表情を見せます。通常の印刷だと、全く同じ状態で刷れないことはNGとされますが、リソグラフ印刷はその点が版画のようで魅力的。しかし、擦れをどこまでOKとするか基準を設ける必要はあり、イラストの目元の部分など、擦れによって顔の表情が変わるような場合はNGとしています。チラシ1枚を作成するのに、とても多くの時間をかけていますね。
――時間をかけてつくる貴重なチラシ。訪れたお客様にとって、嬉しいお土産になりますね。
須田:館内でチラシを印刷している過程をお話しすることが、お客様とのコミュニケーションツールになっています。今回の特別展は、チラシも含め、「過程」にフォーカスを当てています。作品の「完成形」をみせる一般的な美術展の鑑賞とは異なる、新たな鑑賞の楽しみを味わっていただけるのではないでしょうか。ぜひ多くの方にご覧いただけたら嬉しいです。
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