実験室#21 SNS断ちの効果
*個人の体験記です。
自営業として必須のSNSを断ってみる
SNSといえば、わたしはmixiあたりから始めたような気がしますが、現在は、フェイスブック、ツイッター、インスタグラム、クラブハウス、あとなんだろう、なんか色々とアカウントは持っています。
それ以外にも、よくわかんないけど紹介されたものだったり、一過性でなくなっていったものだったり、アカウントだけ作っているものもたくさんあったように思います。たまにメールがきて、こんなのあったっけ?と思ったりもしますが、削除の仕方がわかんなかったりして、そのままになっているのです。
わたしは自営業をしているので、自分の活動の広報的にSNSは必須だと言われていたりもします。そういった側面があることも事実だと思いますし、活用している人を見ると、「大切だよなぁ」とも思います。
なんだけど、現状、思うところあって、ほとんどのSNSを休止状態にしています。
これはつまり、営業をしていないということにも繋がるので、ちゃんと仕事しろ!と自分でも思わないことはないのですが、自分の幸せと健康のために仕事をするんだから、それを害する方法は改める方がいいと思ったのです。(言い訳)
SNSを見てしまう理由
例えばフェイスブックを開いたりツイッターを開いたりすると、別に何かを見ているわけでもないのに、なんとなく見てしまうのですが、これは、SNS自体が、そしてスマホ自体が「そうなるように作られている」から、だというのを聞いて、なるほどと思いました。
そばにスマホがあるだけで、ドーパミンがバンバン放出されて、なにか面白い情報があるかもしれない、見逃せない情報があるかもしれないという風に思うように作られているというのだから、作った人たちはさすがだと思いますし、なんか理由もなくフェイスブックを開いてしまうにも納得しました。
なんかいいことがあるかもしれない、と思って見ているはずなのに、まぁいいことは別段なくて、どちらかというとみることでマイナスの影響の方が多い、なのに次こそはいいことがあるかもしれないとドーパミンを出すのだから、脳は賢いんだかアホなんだか複雑です。
また、投稿に反応があるというのも一つのポイントだと思うのですが、例えばいいねの数についつい一喜一憂してみたり、他の人と比較してしまったり、「自分ではどうしようもないこと」からの影響が、非常に強いように思います。
もちろん、楽しんで使えているうちはいいと思うのですが、現状、わたしの生活の中では、微妙な存在としかいえなくなっていたのです。
それがわかっているので、とりあえず年に何回か、1週間〜2週間程度ずつ、SNSを全く使わない日を作っています。
SNSを見なくなって思うこと
一切SNSを見ない時期ですが、正直かなり快適です。
わたしがあまりSNSを得意としていないという部分を除いても、快適だと思います。
だらだらSNSを見ている時間がなくなりますし、誰かはこうしている、わたしもがんばらないととか、こんなにみんなたのしそうにしているのにわたしときたら・・・とか、謎に感じる焦りや劣等感を感じることなく過ごせるのも、非常に快適です。
一方で、この写真撮ったけどどうしようかなとか、せっかく撮ったのにななど、思うこともあります。
そして、これを投稿して営業をした方がいいんだけどなぁとも思います。一応。
しかし、だからと言って禁断症状的に思うわけではなく、ちょっとだけどうしようかなと思う程度なので、わたしにとってはさほど重要ではありません。
正直なところ、もうこれは必要ないなと思ってはいるのですが、でもここまで繋がってきた人がいるし、ここでしか繋がっていない人がいるし、などもそもそ考えて、削除には至っていません。
負担に感じ始めたらしばらくやめる、そしてまた始める、そんな繰り返しをしています。
まだアカウントを消していないのは、わたしの中にまだSNSに対する「持っていたらいいことあるかもしれない」という麻薬的な期待が残っているからというのもあるでしょう。
わたしも、現在はこうですが、一応交流を楽しんでいた時期もありました。だからこその期待が残っているのかもしれませんが、もしかしたら、今あるものを手放して、新たな活動をすることで、わたしの理想とする、楽しくそして実りのあるSNSにであるのかもしれないなーと、思ってはいます。
SNSを断ってみて、最大に効果があったなと思うのは、人とのつながりについて再度考えることになったことだと思います。
こんなことを考えるなんて、風の時代に真剣に取り組んでいるなと、ひっそり思っているのであります。
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