なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな
「見立て」の手法で七福神を描いた。
「娘七福神」の方がいい表現かも。
「見立て」とは描かれたものを連想ゲームのように読み解いて楽しむ趣向の絵。
本当だったら見立に隠された意味や関係性を読み解いて楽しむ知的なものなので、私の「見立て七福神」はやや単純ではあるのかもしれない。
最近、古典絵画や有名作品をベースに適当な社会性をぶち込んだような安い引用はしらけるという意見を見かけるけど、浮世絵や江戸絵画に見られる「見立て」や「やつし」とそういった「引用」は何か違うんだろうか?とかぼんやり考えている。
民族性でいくと見立てや引用を好みがちとも言えるのだろうか?
「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」
絵のタイトルにもしたこの回文歌がなんとも言えず好きだ。
長き夜の 遠の睡りの 皆目醒めざめ 波乗り船の 音の良きかな
冬のような長い夜、深い眠りの夢の中であっても、皆良い朝を迎え目を覚ます
宝船が、波を乗り越える音はなんとも心地良く響いている
みたいな解釈がこの絵には合っていそう。
色々読み解いても面白い。