Xを辞めてわかったこと
Xのアプリを消して早一カ月。
以前は主に利用するSNSはX(Twitter)とYouTubeでした。
以前から見ないようにしていたけれど、YouTubeも Xもアプリを消してしばらく経ったので現在わかることを綴ります。
①現在使用しているSNSと利用目的
まずX(Twitter)を辞めたものの、SNS自体は利用しています。
現在主に利用しているSNSはInstagramとThreesです。
あと家でテレビつけません。
X、YouTubeを頻繁に利用していたときは、それらを【見ること、様々な情報を得ることが目的】でした。
現在は【作品を発信すること、主に制作やアートに関与する情報等を得ることが目的】です。
②X(Twitter)とYouTubeを辞めた理由
辞めた理由はいくつかあります。
現実的な目標があるから。
永遠と見てしまうから。
頭がごちゃごちゃして、制作に影響するから。
無意識的に不要な情報に好奇心を振り回されてしまうから。
今現在は、社会情勢や事件などの大きなトピックスに関心を持ちすぎることが大切だと思えないから。
(事件も社会情勢も毎日何か起きる。新聞記者ではないのでそれを追いかけることに意味はない。今やりたいことがある事を忘れたくない)
SNS上に歪んだ感情やヘイト(Hate)極端な表現等が多すぎるから。
知っとかなきゃみたいな不安を煽られがちだけど、別に社会の今も、人の日常や自己啓発とかトヤカクもを知らなくても生きていけるよねって思ったから。
③利用を辞めて変化したこと
⚫︎社会情勢も事件も、殆ど知らないのでなんかそんな事で焦らなくなった。
焦らせることで、SNS利用を加速させることが売り上げにつながり、企業的な目的ってそれなんだなぁと改めて実感した。
⚫︎日常がすこし楽になった。
関心を持たないといけないという強迫観念がいろんなところから押し寄せてくることが苦痛だったんだなと気がついた。
ジェンダー、SDGS、人権、戦争、金融、政治、芸能、倫理観、ありとあらゆる問題提起が毎日転がってきて、そんなことを全部考えても、
私ができることは今日気持ちよく誰かに挨拶したり、ポジティブな行動をすることだけ。
そして、Xをみたとしてもそんな行動をしたくなるような幸せな気分は訪れず、誰かを疑心暗鬼になることに拍車をかけることしかできなかった。
⚫︎人は人、私は私。
他人の問題を全て自分のことにして考えるには、何億人と登録者がいるSNSだと人生が何周しても足りない。
でも、Xを見ていると気が付けば当事者のような気分にさせられてしまう(洗脳のようなシステム)
私の人生と目の前のことをやる他、何かを変えることはできないと改めて実感する。
頭が整理されて、自他の区別がつきやすくなった。
⚫︎本来の目的に回帰する。楽しさは自分で生み出すもの。
SNS利用が増えると受動的な楽しみが必要以上に増える。
しかし、その利用方法が変わると、能動的な目的を持った楽しみに変わる。
SNSを見て楽しむ、のではなく、自分が楽しかったことや学んだことを共有したり、自分の作品(現実的な行動)を発信するという、本来の目的に回帰した。
ネットを閉じれば何をしたのかわからなかった時間だったところから、リアルを充実させることが人生を生きるということだと、実感する。
人生の目標や目的に意欲的になることができる。
⚫︎他人への憧れ(いろんなパターンの成功を求める)が減る。
SNSは過剰なほど自分をよく見せるプロモーションに長けた人の集まりだ。
だからこそ、比較し、どうすれば自分が何かになれるのかと、無意識的に探している人には毒のように感じる。
見るだけで自分も上手く行った気分になるし、その割に現実は何も変わっておらず、同じようにやってみても上手くはいかない。
まずは他人の真似をする前に、自分が何がしたいのか、どうなりたいのかを見つめる方がずっと大切だから。
SNS洗脳(比較意識)が解けることで、自分を眺める事が以前よりできるようになる。
⚫︎集中力と制作時間
自分が一つのものにかけられる時間と集中力が上がった。
インプットのしすぎは、頭の中のノイズになる。
④変わらないこと
⚫︎読み物や見ることが好きな人は結局読めるものや見ることを辞めるわけではない。
私は電子書籍に移行し、作品にもいい影響を与えてくれるとはいえ結局読むことも、映画など制作物を見るのもまた好きなので、この日課みたいなものを辞められれない。
そしてやっぱり好きな時間なので辞められない。
が、それでいいかなと思っている。
人の作品も好きだから、物語の中で心が動く瞬間を感じるのが好きだから絵を描くのだ。
好きなものは子供の頃は親が止めても、大人になっても転職して収入が減っても、人生の転機が訪れて日常が少しずつ変化しても、、、辞められないよねと思う。
好きだから。
⚫︎自分らしさと最低限の情報
社会情勢を見ていなくても、知らなくても、事件が起きていてもいなくても、そんなことを知らなくても自分らしさは変わらない。
必要な情報は、自ずと勝手に入ってくる。
誰かが教えてくれるし、iPhoneニュースみたいなものが最低限のレベルで教えてくれる。
だから、絶対知っておきたいことや知っておいた方がいいニュースなんて、1日にそんなに多くない。
鳥山明さんが亡くなったことだって、Xをみていなくても何故か私は知っていた。
翌月から何かが値上がりするとしても、そんなにたくさん家の中にストックを置いておくこともできない。
ある程度の時代の流れには身を任せる他ないのだ。
ただ、目の前に現れる大切なことには、きちんと目を向けないと、浮世離れしただけの空っぽになってしまうから。
目の前のことを大切にすればいいかなと思う。
以上の感想を経て言えることは、辞めて良かったなぁということ。
ThreadsはXと違い、フォローしているひとと似た内容におすすめ表示されるので、私には殆どアート関係者の投稿しか表示されない。
そしてInstagramは写真や動画のみ。
アクの強い投稿はあまりない。
一度ははなれてみることをおすすめする。
特に困らないというのが私の実感だ。
そして、心をリセットして、本当に楽しく過ごす自分がどういう自分なのか、ぜひ見つめてみてほしい。
もちろん、社会の一員として知るべきことや考えることは山ほどあるんだと思う。
でも、暗いニュースや知るべきことに圧迫されて、お皿を洗うのも鬱な気分になって、知りも知らないことに不安を抱いて未来に絶望する日々を送るより、今を大切に行きたい。
そうすれば少なくとも、今日の今の私を幸せにしてあげられる。
明日の子供たちを守ることを叫ぶなら、目の前の子供を無視して携帯電話に夢中になるのを辞めた方が健全だと思う。
来るべく危機が未来に訪れる覚悟があるなら尚のこと、
変えられるのは今だけだから。