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真の自立とはなにか


「早く自立しなさい」


昔に聞いた言葉が頭の片隅に引っかかっている。


『自立』の意味するところは人によって違うし、よく言われている言葉の割には、なにをもって自立とするのかがはっきりしていない。


社会人になることが自立なのか。

定職に就くことが自立なのか。

自分の意志で決められることが自立なのか。

自分の力でどこでも生きていけることが自立なのか。


自立の本当の意味を誰にでもわかるように(納得できるように)説明できる大人も少ないように感じる。


「自立しなさい」と、他人からの収入をあてにしなければ生きられない専業主婦が、自分はあたかも自立しているかのように説教をしている。(家事という無償労働を提供しているとはいえ)


「俺はもう自立してる」と、会社から給料をもらって生きている人が得意な顔をして言っている。


それは単に、依存する先を変えただけではないのだろうか。


実家に依存していたところを、今度は会社のような組織か他人に依存先を変えているだけ。前者を咎めるのはいいのに、組織とか別の人間に依存することはなぜ咎められないのか、前々から疑問に思ってきた。どちらも、他人から首根っこを掴まれていることは変わらないのにだ。


依存をすること自体は悪いことではないと思う。人間、ひとりだけで生活を完結させることはできないし、他人に支えられて生きているもの。そういう意味では「自立は依存先を増やすこと」という言葉は正しいんだと思うし、生きるために他人を頼るのも悪いことではないんだと思う。


でも、自立がどうのと口にする人が多い割には、その自立という言葉が意味するところがはっきりしていないし、この依存は良くてこの依存はダメ、という境界線もよくわからない。各々の正義に基づいて悪を決められているような気がしてならない。


「自立しなさい」と偉そうに言っていたのに、「世話してやったんだからもっとお金を入れろ」「お前にいくら使ってやったと思ってる」「今年はなにをくれるんだ」と、他人をあてにして生きている身近な人間を見ると、その人は本当に『自立』の意味を理解した上で使っているんだろうかと疑問を抱かずにはいられない。

自分(の依存)は悪くないとばかりに無理な主張を通そうとしている様子を見る度に、『自立』『依存』といった言葉の意味について考えざるを得なくなる。


真の自立とは、なにをもって、どんな時にもたらされるものなのだろうか。

私にとっての答えは、まだ見つかっていない。



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ななつき
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