依存って本当によくないこと?
付き合っていた彼女に、依存していたことがありました。
留学中だった当時のぼくは、日本にいた時に築いてきたプライドがどんどん打ち砕かれて、周りに頼れる人もいなくて、日本の友達や家族に相談する勇気も出なくて。
当時付き合っていた彼女だけを頼りにしたり、マウンティングをしたりすることで、自分のつまらないプライドや承認欲求を満たしていました。
それによってたくさん迷惑をかけてしまいました。ぼくにとっても、どうしたら頑張れるかわからない気持ちがずっとあり、とても苦しい時期でした。申し訳なかったなあと、心から思います。
この時ぼくは彼女に、依存をしていました。
でも、依存ってなんなんだろう。依存にはネガティブなイメージがあるけど、本当に悪いことなんだろうか。
あの時のぼくは、誰かに依存しないとどうにもならない状況だったなあとは思っていて。もし依存がよくないことなのだとしたら、どうすべきだったのだろう。
昔の自分を救うために、そしてもし昔の自分と同じように苦しんでいる人にとっての何かのきっかけになればと思いながら、今回のnoteを書いてみます。
自立の対義語としての依存
辞書的な依存の意味は、「他に頼って存在、または生活すること」と出てきます。
依存の対義語でググると、「自立」が出てきます。
自立って、なんかいいことっぽいですよね。
「社会人になってようやく自立できた」
「もっと早く自立しなさい!!」
「自立した学習者を育てる」
自立はポジティブなニュアンスを伴って使われます。三つ目は、ぼくがインターンしていた教育系のNPOで、大事にしていたゴールです。ここでも、自立は目指すべきものとして使われています。
ここでは、依存をしなくなった状態が自立だと捉えられています。
みんな誰かに依存している
でも、依存ってそんなに悪いものなのでしょうか。実はみんな何かに依存しているのではないでしょうか。
そんな観点から社会を捉え直したのが、キテイという哲学者です。最近知って、めちゃくちゃハッとしたので、紹介させてください。
キテイが依存をどう捉えているかがわかる、象徴的なキーワードがあります。
「みな誰かお母さんの子ども」
ここで言うお母さんは、必ずしも血縁関係を持った母親を意味しません。生みの親でも育ての親でも、病院の先生でも保育士さんでも誰でもいいのですが、少なくとも子どもの時期は、みんな誰かに依存して生きていました。依存しなければ、生きてはいけませんでした。
依存しないと生きていけない時期は、誰しもに必ず存在します。
依存は否定すべきものではなく、みんなに必要なもの、なくてはならないものです。
自立とは依存先を増やすこと
さて、仮に依存が悪いものではないとしたら、あの時彼女だけに依存していたぼくや彼女はどうして苦しくなってしまったのでしょう。
ここで注目すべきなのは、ぼくが彼女に「依存」していたことではなく、ぼくが彼女「だけ」に依存していた、ということです。
脳性麻痺の当事者で、東京大学の准教授である熊谷晋一郎は、自立と依存の関係について、こう述べています。
「自立とは依存先を増やすこと」
振り返ってみたら、留学する前にも彼女にはたくさん依存していました。でも、それと同時に、ぼくにはたくさんの依存先がありました。家族、大学の友達、気仙沼の仲間。
留学によってそれらとの繋がりが切断されて、依存先が一つになってしまったことが、お互いに苦しくなっていった原因でした。
依存先の増やし方
じゃあ依存先は、どうしたら増やせるのでしょうか。あの時のぼくは、どうしたらよかったのでしょう。
一つに、「そもそも依存は別に悪いことじゃない」と意識することがあると思います。
これまで述べてきたように、依存は誰しもにとって必要なこと。悪いことでも未熟なことでもありません。
幸運なことに、ぼくの周りには素敵な友達がたくさんいるので、「誰かに頼ること、弱みを見せることって別に悪いことでも恥ずかしいことでもない」と思えていたら、自然に依存先は増やせていただろうと思います。
もう一つは、「SNSに吐き出す」ことです。
当時のぼくはすごく誰かに頼りたかったけど、1対1でぼくの悩みを相手にぶつけてしまうことに対して、申し訳ない気持ちがありました。自分の重荷を相手に背負わせるように感じていました。
でも、対不特定多数で発信できるSNSなら、しんどい気持ちを少しずつ吐き出せました。みんながタイムライン見ていない時間なら、非公開アカウントなら。条件付きでも、1対1で吐き出すより、ずっとやりやすかったです。
辛い時期くらい誰にでもあるので、多少しんどいみたいなこと呟いたとしても、誰もメンヘラだとか思わないから、大丈夫です。
実際に、上記の彼女と別れて依存先がゼロになってしまったぼくも、この二つの方法で少しずつ救われていきました。
知恵を貸してください!
さて、こんな経験があったからこそ、今は依存先を増やすことを意識しているぼくですが、また何かのきっかけで依存先が失われ、苦しくなる可能性はあると思っています。
その時のためにも、読んでくださったみなさんの中に「こんな風に依存先増やしました!」みたいな知見があったら、ぜひ教えてほしいなあと思います。
生きるのって難しいので、たくさんの人と、助け合って生きていきたいなあと思います。
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写真は苦しかった時期を過ごした留学先、オランダのライデン。街並みの美しさにも、たくさん救われました。
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cotree advent note、もう25日目になりました。すごい。
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