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人生は長い。だからこそ、立ち止まる日も必要。


会社を休んだ。


途中までいつも通りに行ったのはいいけど、乗り換えの時に降り立った駅のホームで、いつも以上の混雑具合に息が詰まってしまった。

「うっ」と気持ち悪くなってしまった私は、改札付近まで避難したものの、次から次へとなだれこんでくる終わらない人の波を前に、とうとう乗り換えの駅の改札を出てしまった。


息が整うまで待っても、体に残る不快感はなかなか引かない。

それに、脳の後ろ半分にかすかな頭痛と眠っているような感覚が残っていて、いつものように考えられない。


「あぁ、これは . . . 今日は仕事にならないかもしれない」


この週末に起きた出来事の影響が残っていたようだ。



それだけエネルギーを注いでいたということなのかもしれない。

それが急に予想していなかった形で終わりを迎えたことで、反動が一気に来たのだろう。


もう件の相手に対する感情はない。

万が一復縁を迫られたとしても、例の一件で幻想が崩れた今は興味すらなくなったので、今の私なら毅然と断るだろう。


とはいえ、ぽっかりと開いた穴が元に戻るまでには時間がかかる。

問題は、急な変化に対応し切れていない私の体のほうだ。

季節の変わり目なのもあるかもしれない。


反動でエネルギーレベルががくんと急に下がっているのに、一日、あるいは二日程度で立ち直れるはずがなかったのだ。変化の激しさを体は正直に感じていたようだ。


「 . . . 休もうか。体調が悪い時に無理をしないのも仕事のうち。」


そう自分自身に言い聞かせた私は、会社に電話をかけるためにiPhoneを取り出した。


「この時間なら . . . 〇〇さんがいるかな。」


密接に関わることはないものの、責任者の一人で、とても理解のある方だ。


でも、体調不良で休む時の、欠勤の連絡なんていつぶりだろう。

なんて言おう。

久しぶりのことに少し緊張しながらも、シンプルに、正直に伝えることにした。

こういうことはストレートに言えばいいのだ。


電話をかけると、案の定、私が予想していた人が出た。


「すみません、今日体調が優れないので、一日休みをいただいてもよろしいでしょうか。」


駅のすぐ近くだったので、電車の音は聞こえていたかもしれない。途中までは出てきたんだな、とわかってもらえたかどうか。そこまではわからない。


でも、私の申し出はすんなり通って、さらに「お大事にしてくださいね」という一言まで添えてくださった。

休むことに理解のある方でよかった。私は心のなかで感謝しながら、普段降りることのない駅の近くを少し歩いた。


一気に肩の荷が降りたような感覚もつかの間、今度は身を潜めていた疲労感がどっと押し寄せた。まさかここまでとは。


散策もほどほどに、最寄り駅まで一旦帰ることにした。

通勤のための乗り換えで降りてくる人はたくさんいたけど、私と同じ方向に歩いている人はほとんどいなかった。


普段は見ることのないその光景を新鮮に感じつつ、私は帰りの電車に乗った。


ぽつんぽつんと空席のある、空いている車内。

体力を温存するためか、はたまた疲れているからか、目を閉じて寝ている人も散見された。



この人たちにもそれぞれの人生が、それぞれの悩みがあるんだろうな . . . 

. . . 疲れるよね。

どうしてこうもうまくいかないことばっかりなんだろうね。



静かな車内をゆっくり見渡していると、なぜかこんなことを考えてしまった私は、言葉を発することなく、心のなかでそう語りかけた。疲れている時ほど、なぜか同じような状況の人たちの気持ちに普段以上に入ってしまうらしい。


帰りの電車から見る、普段は見ることのできない朝の景色は新鮮だった。

生気のない目で、私はただ静かに、流れゆく景色を眺めていた。



「そうだ、しばらく映画に行けていなかったし、映画でも観に行こうかな。」


「楽しいことをして発散すればいい」と言われるように、私も最近できずにいたことをしにいこうかと、映画館にでも行こうかなと思い立ったのだ。


ところが、最寄り駅に一旦降り立って、その元気すらないことを実感するまでに長くかからなかった。


「いや、今日は . . . 映画を観るだけの元気はないかな。帰ろう。」


うつ病の人に刺激の強い気分転換を安易に勧めてはならないように、元気がない時に無理に気晴らしに行こうとすると逆効果になるのだ。


元気がない時は、エネルギーをさほど必要としない気晴らしをするに限る。

一番は家に帰って寝ること。

それ以外で言うなら、家で映画を観るか、帰る途中に喫茶店に寄るのがいいだろうか。


そうだ、しばらく行けてなかった行きつけの喫茶店に行こう。


まるで今日は休んでいるかのような、ボーッとしている頭の後ろ半分を気にしながらそう決めると、がらんとした駅のホームを後にした。


◇◇


景色をボーッと眺めながらゆるりと歩いていくと、行きつけの喫茶店に着いた。

「平日の朝に行くのは初めてかもな。でも、朝だからこそ喫茶店、ともいえるよね。」


そう思いながら、喫茶店のドアを開ける。

焙煎機から漂う新鮮なコーヒー豆の香りと、温かい喫茶店の雰囲気が私を出迎えてくれた。


頭が割れるような頭痛を一週間以上耐えながらカフェイン中毒から脱却した今となっては、頼むコーヒーはカフェインレス一択になった。それでも、この行きつけのお店のコーヒーはカフェインレスでも遜色ないほどに美味しいのだ。

そして、お店の支援も兼ねたわずかばかりの贅沢に、コーヒーに合わせるケーキも一緒に頼んだ。


この、待っている間の贅沢な時間もまた喫茶店ならではだ。

漂ってくるコーヒーのかぐわしい香りを鼻が捉える。


コーヒーはただ飲むためだけのものではない。

五感を使って、時間をかけて味わうものだ。


それは、食事も然り。ウイスキーも然り。ワインも然りだ。


本を読みながら待つこと15分ほど。

丁寧に淹れられたコーヒーと、手作りのケーキが運ばれてきた。

シルクのようになめらかで、でも酸味も苦みもほどほどに、ちょうどよくしっかりとした味わいのコーヒーを口に含む。


コーヒーなんて久しぶりに飲んだけど、美味しい。


専門店で淹れてもらったコーヒー。

美味しいものはやっぱりシンプルにいただくに限る。


あとを追うようにフォークで切ったケーキのかけらもいただく。

口の中に残る苦みと、ケーキのほんのりとした甘みのハーモニー。

体が欲していたかのような、至福のひととき。


コロナ禍で大変な時期だけど、残っていてくれてありがとうとお店に感謝した。



ふと近くの棚に目を向けると、コーヒーに関する雑誌や専門書が並んでいた。

タイトルを見ていくと、その中の北欧に関する本が目に留まった。私の心の奥底にあった欧州に対する憧れが呼び起こされて、思わず手に取った。


もうだいぶ前の雑誌ではあるけど、その雑誌によると、コーヒーは北欧が熱いらしい。


ヘルシンキ(フィンランド)。コペンハーゲン(デンマーク)。ストックホルム(スウェーデン)。オスロ(ノルウェー)。

一度行ってみたい都市ばかりだ。

雑誌に載っていたホテルも、北欧独特の匠のセンスが光る、美しさと温かみを写真を通しても感じられる場所ばかりだ。


特に、ヒュッゲの本を読んでからデンマークにはずっと行きたいと思っていた。北欧の、あの芸術のような美しさと自然の温かみを兼ね備えた雰囲気にずっと憧れを持っていたことを思い出したのだ。


今の欧州はコロナの影響で日本以上に大変なことになっているけど、いつかまた前のように海外に行ける時が来るだろうか。

その時は、今度こそ欧州に行きたい。


ずっと会いたかった友人に会いに、チェコ、イギリス、ドイツに行きたい。

音楽の歴史を辿りに、オーストリアとイタリアにも行きたい。フラメンコの本場ならスペイン。

オシャレの最先端でいうならフランス、スウェーデンだろうか。

ウイスキーの蒸留所巡りもしたい。となると、スコットランド方面も欠かせない。アイラ島も時間を取って行きたい。


今まさに読んでいる本に書かれているように、北欧へコーヒーショップ巡りの旅に行ってみるのも面白そう。カフェインレスもあるかな。あ、その前に現地の言葉を勉強しないとな。やっぱり片言でも現地の言葉を話してもらうほうが嬉しいだろうし。



. . . なんだ、やりたいことたくさんあるんじゃないか、私。

日常に追われているうちにわからなくなっていたんだ。


生きていくために仕事をする必要はあるけど、仕事がすべてじゃない。

仕事をするために生きるんじゃなくて、あくまでも生きるためだ。長い人生における暇つぶしなのだ。


こうやってひと息ついたっていいんだ。

むしろ、あえて休んでひと息つくからこそ見えるようになることもある。


私の心のなかで眠っていた情熱が少しずつ呼び覚まされていく。

行きつけの小さなお店で出会った北欧に関する雑誌が、私が心の奥底で求めていたことのいくつかを掘り起こしてくれた。

コーヒーとケーキのかけらが織りなすハーモニーを味わいながら雑誌を読んでいるうちに、気が付けば雑誌の終わりに辿り着いて、一時間が経っていた。


行ってみたいところに思いを馳せているうちに少しだけ元気になったようだ。さっきよりも、ほんの少しだけ。


コーヒーとケーキも綺麗になくなったので、お会計を済ませて、「美味しかったです。ごちそうさまでした。」と、いつもよりしっかりと伝えてお店を後にした。


帰りの道でも脳の後ろ半分のしんどさは少し残っていたけど、気持ちはさっきよりも、少しだけ晴れやかだった。


◇◇◇


身を粉にして働き続けて体を壊しても、会社は責任を取ってはくれない。

人生は長い。

いつも全力疾走しようものならいつか必ず転ぶ。

私にとっては、いまがその転んで起き上がろうとしている時なんだろう。


むしろこれまで休まずに、できる限りを尽くして働いてきたんだ。

たまにはこういう休みを取ったっていいはずだ。


休まないことが美徳なのではない。

いざという時に自分自身を大切にできることこそが真の美徳ではないだろうか。


たまには思い切って休んでみるのも、悪くないものだ。


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