あの静寂をもう一度。Twitterのフォロー数を0にする実験、はじめます。
フォロー数0。
SNSのアカウントを立ち上げた瞬間は誰でも0からスタートしますが、途中からあえてこの状態に戻ろうとした人を私はほとんど知りません。
『1ヶ月でフォロワーを5000人に増やしたTwitter運用術!』
『フォロワー数を増やすためにたくさんフォローして相互フォローを増やせ!』
最近のTwitterやnoteには、この類のTwitter運用ノウハウが出回っています。
ですが、フォロワーのことばかり言われているのに、フォロー数を軽く見ている人があまりにも多すぎないかと、常々疑問に思ってきました。
『フォロー数多くなっても、リスト機能使えばいいからどんどん情報を取りにいきましょう!』
こう声を大にするツイッタラーは時折見かけますが、
『身の丈に合ったフォロー数に抑えましょう』
このように戒める人を今まで見たことがありません。
『フォロワー数を増やす方法』だとか「仕事楽しい!」「こうあるべきだ!」といった意識高い系ツイートの裏で、SNSに疲れを感じて離れていく人たちが後を絶たないにも関わらずです。
じゃあ、SNS疲れを感じる人たちのために、私が『身の丈に合ったフォロー数に抑えましょう』と提唱する一人になるのはどうか。そう思ったのが今回。
ということで、やってみます。(正しくは、"今まさにやっています")
正直な話、いろいろ思うところがあって、そろそろ関係を見直したいと思っていたところだったので、来るべくして来たタイミングなのかもしれません。
今回のフォロー数0の実験をやるにあたって伝えたいこと(概要)
・フォロワー数を増やす方法ばかり溢れているこの時代に、あえて違う方法を取ってみたかった。
・フォロー数0に近付けていくことでどうなるのかを試してみたかった。やっぱり恋しくなるのか。逆に私に合っていて、落ち着くのか。
・本当の理由は、SNSに疲れたから。つながりを見直す機会を設けたかった。
・「つながりたい」が「ほどきたい」に変わったこと。一番疲れない方法はそもそもたくさんフォローしないこと。
・数を絞ることで、丁寧に情報を取っていきたい。
・一応ここでも告知しますが、「お前のツイートなんてもう見たくなかったし、ちょうどいいわ」という方は、この機会にフォローを外してくださっても問題ありません。今までありがとうございました。
・少ないフォロー数、あるいは0の状態が落ち着きすぎて戻さない可能性もあります。ですが、特に良くしてくださっていた方々は代わりに非公開のリストに追加していきます。
・私にとっての嫌いは『ブロック』なので、『フォローしていない=嫌い』ではありません。こっそりリストに追加して覗きに行くのは変わりません。
身の丈に合ったTwitterの使い方がしたい
Twitterを再開した2月から1ヶ月経った時点ではこんな記事を投稿していました。
今のところ疲れを感じていないし、元気をもらえていると言ったな。
・・・あれは嘘だ。
いえ、嘘とまでは言いませんが、3ヶ月以上経って考えが変わってきたというべきでしょうか。
なんというか、今の私に合っていない情報が多すぎると感じたんですね。
強い言葉があるツイートは、「こうしなきゃ」「もっとああしろよ」「なんでできないんだよお前は」と、まるで自分のことを言われているかのように感じてしまうことが多いなぁと。
「こういう人いやだよね」って書かれていると「お前のことなんだけどな」って言われているかのように感じることもある。
ポジティブなツイートを目にする機会を多くしたら、自分もポジティブに近付けるかと思ったら、そんなことはありませんでした。むしろ、発信者みたいにポジティブになれない自分がイヤになったし、かえって苦しくなるだけだった。
数日前ぐらいには、「楽しい」という言葉を目にしただけで苦しくなるほどのノイローゼに陥っていました。
「考えすぎ」という人もいるかもしれないけど、必要以上に自分事で考えてしまうのが私であることがわかりました。良くも悪くも自責傾向が強いようです。
しかも、情報量も身の丈に合っていなくて、タイムラインが流れるのも早かった。フォローしてる人全員を追うことができないので、「そもそも"フォロー"とは?」と一人で哲学を始めている自分がそこにいました。
「・・・人間関係を見直す時かな、これは。」
収入を増やす前に、支出を減らすべきであるように。身の丈に合っていないなら、フォロワーを『増やす』ことを考えるよりも前に、まず、フォローを『減らす』ことを考えよう。
昨年かそのぐらいまでの私だったら、アカウントごと消去していたでしょう。すべてを無に還して、新しくなったようで変わらない自分を生きようとしていたでしょう。
ですが、今回は違います。
私が積み重ねてきたものはあえて残したまま、自分の中と外がどう変わるかを見ます。
始めた当初の静寂にもう一度自分を還すことで、自分の中になにを見て、なにを思うのか。それは安堵なのか。喜びなのか。平穏なのか。寂しさなのか。あるいは、求めていた形なのか。
そして、この実験の中で、誰が去るのか。誰が残るのか。誰の情報を見たいと思っているのか。私が本当は誰を大切に思っているのか。
上辺だけの関係ではなく、自分にとって本当に必要な関係を見直したい。
それを確かめるための、大事な期間。
フォローを外すことはリスクが伴う行為です。
その覚悟を負った上でやっています。
この機会に清算されていく関係もあるでしょう。
「もともとお前との関係やめたいと思ってたし、いい機会だからフォロー外すわ」
こう思う人も一定数いるかもしれません。気持ちはよく分かります。
「最初は良くても、考えが合わなくなっていった」ということは生きていればあることです。でも、それでいいんです。
無理につながっていようとしたらお互いにとって一番良くないので、これをフォロー解除のチャンスとして、外していただいても一向に構いません。
しかし、こんな実験をやろうとする異端児な私を前にしてもなお「いいよいいよ。待ってるから。」と言ってくださる方がいれば、これほど嬉しいことはありません。
そういう関係こそ、私は大切にしていきたい。
フォロー数0の状態、あるいは少ない状態が落ち着きすぎて戻さない可能性もなきにしもあらずですが、必ずしもフォローに至らなくても、それは「嫌い」の意思表示ではありません。
こっそり非公開のリストに追加して、また前と変わらず絡みに行くと思いますので、仲良くしてやってくださいませ。
ちなみに、私の嫌いは「二度と顔見せるな」という意思表示の『ブロック』なので、そうでない限りは大丈夫と思っていただいて差し支えありません。その点だけは誤解のないように。
実は0にかなり近付いている今の時点で...
1日で100近くもフォロー数を減らすとスパム扱いされる可能性がある関係上、今日はもうストップしていますが、実は今の時点でかなり0に近付きました。
そして、この時点で既に実感していることなのですが・・・
今のタイムライン、ものすごく平和です。
流れがとてもゆるやかになりました。
流れてくる情報が絞られて、さらに、情報を噛んで消化する十分な時間がある。
多くの情報が瞬く間に流れて消費されていくのではない、10分、20分と時間をかけて穏やかに流れていく波。
そう、これだよ・・・
これでいいんだよ・・・!
「私の求めていたものは安寧(あんねい)だったのか」と、0に辿り着く前に結論を出してしまいそうですが。
・・・ここからが、さらに辛くなってくるところです。
(この段階に至るまでも十分キツかったんですけど)
私が断腸の思いでフォロー解除したとしても、相手が「お、ラッキー。じゃあ解除しよ」とあっさり解除されるかもしれないリスクを、今の私は背負っています。
最後は手で数えられるぐらいの人たちしか残らないかもしれません。
しかし、フォロー数が400、500、1000、3000と膨らんだ人たちにはもはやできないことを、あともう少しで実現できるところまで来ています。
0に辿り着いた先になにを見て、なにを感じるのか。
目的地に近付くにつれて、みぞおちのあたりに強張りを感じ始めている試みですが、少しずつ進めてみたいと思います。
追記 (2020年5月25日):
フォロー数15~20まで抑えた時点での所感を記事にしました。