今日もわたしは誰かに道をおしえてる
東京メトロ銀座線の渋谷駅の改札前。
わたしは「日本橋」への行き方を訊かれた。
外国人男性の方だった。
上京したばかりのわたしは、銀座線は渋谷から赤坂見附までしか乗ったことがなく、その先にある「日本橋」までの行き方を答えられなかったのである。
今のわたしならスムーズに答えられるのに。
あのとき、わたしに訊いてくれた外国人男性の方に申し訳ない。
すぐに答えられなかったことを、今でもたまに思い出す。
旅とわたし。
わたしの旅は、いつでもどこでも道を訊かれる。それは国内でも海外でも変わらなかった。そんなわたしの海外一人旅のおはなし。
20代最後。29歳のまだ暑い夏のおわりから、夜になると少し肌寒い秋になろうとしている頃。わたしはどうしても一人で海外に行ってみたかった。29歳のわたしの海外旅行経験は、一度だけ。
その一度きりの海外旅行は、ハタチの頃。専門学校の研修旅行という名目で、先生とクラスメイトと一緒の団体旅行だった。行き先は、イギリス・ロンドン。本当はロンドンより、フランス・パリに行きたかったわたし。この専門学校に入ったのも、研修旅行の行き先にパリがあったからだったのである。内心「なんでパリじゃないんだろう」って思っていたくせに、気づいたらロンドンの虜になっていた。
ロンドンが好きになった。また行きたいとも思った。でも、やっぱり行きたいのはパリだった。20代のフリーターのわたしが、パリに行くためにはどうしたらいいんだろう? どうしても行きたい。なんだか行かなきゃいけない気がしてたまらないのだ。
そこで、わたしはリゾートバイトを始めた。リゾートバイトは、住み込みのバイト。ホテルや旅館でバイトをする寮生活。寮費は無料で、おまけに賄いがついている。家賃や食費がかからないので、お金が貯められるというわけだ。
わたしは、5ヶ月間リゾートバイトでお金を貯めた。
3ヶ月目で「意外とお金が貯まっている」「わたしでも貯金ができるんだ」と思った。すぐに航空券を探すことにした。行き先は、もちろんパリである。
念願のパリに来ることができた。
なんでわたしは、こんなにもパリに来たかったんだろう。自分でもわからないくらいで、何が何でも来たかった街なのだ。10代のころに観た映画「ジャンヌ・ダルク」が忘れられないという記憶しか残っていないのに。
シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内へはバスで向かい、とりあえず市街地っぽいところで降ろしてもらう。とりあえず朝ごはんを食べ、ホステルに向かうことにした。初めてのパリ。メトロはかんたんだと聞いていたけど、いざ自分が切符を買う順番が近づくと不安である。
ちょうどわたしの前にいたご夫婦も、わたしとまったく同じ思いだったのかもしれない。後ろにいたわたしに「あなた買い方わかる?」と訊かれても、首を振るだけだった。「ちょっと待ってね、見てくるから」と奥さんが前のほうを見に行くのである。どうやらこういう風に買えばいいみたい、なんておしえてくれた。
海外一人旅。
英語もフランス語も喋れないわたし。
そんなわたしにも、なぜか優しい人がたくさん助けてくれた。わたしといえば、初めて一人で行く海外で「スリに遭わないように」「パスポートとお金ちゃんと持って行かなきゃ」「なるべくおしゃれしないで貧乏スタイルで旅しよう」なんて考えていたわけである。常にドキドキして怯えていた。
「ここに行きたいんだけど、君わかる?」
当然だが、道を訊かれてもわたしには何もわからないのである。パリも観光地で、フランスに住んでいる人ばかりではない。むしろ、こっちがおしえてほしいくらいなのだ。残念ながらわたしからおしえることは何もない。
しかし、「せっかくだからお茶でもしない?」と誘われる。
やはりここは愛の国・フランスだと認識した。お茶をしたところで、何を話せばいいかわからないし、そもそも何語で話せばいいんだろう。こちらも申し訳ないが、丁重にお断りした。
あっという間にパリ最終日。
パリではたくさんの美術館に行った。ルーブル美術館、オルセー美術館、ポンピドゥー・センター、オランジュリー美術館、もうひとつ迷い込んでしまった美術館。いまだにこの美術館がどこだかわからないでいる。
そして、わたしの旅はまだ続く。
パリからベネチアに入り、泊まる予定のホステルに向かった。ベネチアは水の都。水上バス・ヴァポレットが交通手段である。さっそくヴァポレットに乗りこみ、景色をみながらあっという間に目的地に到着。
しかし、到着したものの泊まるホステルが見当たらない。道は合っているはずなのに、どうしても見つけることができなかった。何度も同じ道を行ったり、きたり。
道にあった地図の看板をずっと眺めていた。見たところでイタリア語は読めないのだけど、なんとなくこっちなんだろうか。あ、それより明日はもうフライトがあるから早朝のヴァポレットの時間も確認しておきたい。ずっと看板とにらめっこをしているわたし。
そんなわたしの前を通りがかった、犬の散歩をしていた地元のおばさまが声をかけてくれた。
「あなた、どこに行きたいの? おしえてあげるわ」
英語で話しかけてくれた。うれしかった。うれしいのに、まともに英語が喋れないのに一人旅をしているわたしは「ここなんですけど、わかります?」とどうにか伝えることに成功。おばさまは、めちゃくちゃ丁寧におしえてくれた。どうやら、さっき通った道で合っているっぽい。本当は何言ってるのかわからないけど、こういうときってなんとなく通じ合えてる。(気がする)
無事にホステルにたどり着くことができた。
一泊二日の弾丸ベネチアからローマに渡って、ゆっくりしようと思ったわたし。パリでは観光することにとても必死だったのに、ローマではバチカン美術館へ行くこと以外は何も決めないで来てしまった。あえて決めずに、ぶらぶらしよう。そう思ったのである。
ある日の午後、ピスタチオのジェラートにハマり、ほかに美味しいものはないか探していたら、市場をみつけた。わたしは市場でフルーツを買い込んだ。バナナとりんごとオレンジ。
市場の帰りに公園でフルーツを食べることにした。さぞかし、ぼーっとしていたのだろう。公園なんかで一人でフルーツを食べている日本人はめずらしいと思ったのかもしれない。
「君は、どこに行きたいんだ?」
道がわからないから、公園でフルーツを食べて休憩をしているんだと思ったのだろう。公園の警備のおじさまが声をかけてくれた。
「えっ」
この日は、もうどこかで夜ごはんを食べて帰るつもりだった。どこか行きたいところがあったほうがいいのだろうか。いや、観光する予定ないし、行きたいお店も特にないし、どうしよう。とりあえず泊まっているホステルでもらったローマ地図を広げて、「ここに行きたいんです」と言ってみる。
おじさまも、優しくおしえてくれた。
旅先で出会って、道をおしえてくれた人はみんな優しかった。なかなか上手く伝えられることはできなかったけれど、それでも最後には「ありがとう」とたくさん言うことにしている。この受け取った優しさはどうすればいいんだろう。優しさをおしえてもらった人に返すことができないでいる。
わたしは日本に帰ってからも、道を訊かれ続けた。
そうだ。道を訊かれた人に優しく教えてあげればいいのか。海外で困った自分と同じように、日本に来て困っている人をよく見かける東京でわたしは誓った。日本人でさえ、このわかりにくい路線図や乗り換えや駅の出口。本当に迷路みたいな街・東京。
旅好きなのに、方向音痴のわたし。
方向音痴のわたしでもかならず着ける行き方で、優しく丁寧におしえてあげよう。
初めて行く旅先でも、かならず道を訊かれる。どうしてわたしに訊くんだろう。そんなに道を知っていそうなのか、どう見たってこの土地に住んでいないだろうという海外でも訊かれる。とりあえずわたしから言えることは、いきなり訊いても答えてくれそうな害のない顔だということである。
あまりに訊かれすぎて、いっしょにいた友達に「また訊かれてる!」と爆笑されることもある。だけど、わたしは誓ったのだ。道を訊かれたら優しく答えてあげるということを。わたしが海外一人旅でもらった優しさは、これから日本を旅する旅人たちにおしえていけばいいのである。
東京に住んで6年が過ぎた。
今日もまた羽田空港行きの乗り換え電車を訊かれる。
今度はうまくおしえることができたかもしれない。
どうか、その人が無事に旅先に着けますように。