第10話 神はバズなり
「こんばんわー……
あたしは今、大衆居酒屋『ヤマタノオロチ』に来ていまーす……」
スマホに顔を近づけ、できる限りの小声で話す。もちろん、アングルには最新の注意を払っておかなければならない。今日は顔がアップになる事を見越して、メイクもいつもよりしっかりめだ。
あれからあたしは何度か配信をしてみたけれど、あのアイス配信ほどの手応えはなく、登録者は徐々に減ってきていた。何故か大食い配信者として有名になってしまったものの、元々のあたしは大食いなんかできないからだ。
そんな訳で思いついたのが、今回の「神撮ってみた」企画である。
布袋に着想を得たこの企画は、タイトルのインパクトがポイントだ。当の神がなんだかやさぐれたおじさんなのはともかく、普段あまり見られないものが見られそうなタイトルであれば、興味を持ってくれる人はいるはずだ。
一番端のカウンター席で極力目立たないようにしながら、あたしは後ろを振り返る。テーブル席には、この店の常連であるという恵比寿、大黒天、そして何故か妖怪のぬらりひょんがいた。彼らはスマホを囲みながら、何事かぶつぶつと話している。
「ウーロンハイですー」
完全に気配を消した居酒屋の店員が彼らのテーブルにジョッキを置き、空いた皿を回収して戻ってくる。この店員は、何を隠そうあたしのお兄ちゃんであり、今回の企画の協力者だ。お兄ちゃんは厨房に戻る手前、一瞬こちらへ来てあたしのスマホを覗き込んだ。
「調子どう?人来てる?」
「ちょっと、お兄ちゃん、そこ映っちゃうから!」
お兄ちゃんのエプロンを引っ張って、顔の端が映り込んでいた彼を退ける。「なんだよ」と言いながら離れていったお兄ちゃんは、厨房で食器を片付け、そのまま戻ってきた。あたしはお兄ちゃんが画角に入らないように画面を見せると、小声で話を続ける。
「まだ全然だよ、配信始めたばっかりだもん」
「でも来てる人いるじゃん。さすが有名配信者」
「うるさいなあ。それより食器洗わなくていいの」
お兄ちゃんはあたしをからかうだけからかうと、笑いながら厨房へ戻っていった。あたしは気を取り直して、再び小声でスマホに話しかける。
「今、あたしの後ろには神様が2人います。
しかも、それだけじゃありません。
なんと!あの超有名妖怪が一緒にいるんです!」
体で背後を隠しながら、できるだけ勿体つけて恵比寿達を映すのを後に引っ張る。あんまり遅くすると人がいなくなってしまうかもしれないけど、メインディッシュはできるだけ人の多いタイミングで出したい。
[超大物妖怪誰だろう]
[妖怪が神と一緒にいていいのかよ]
タイトルに無かった妖怪の話が出たことで、コメント欄に少し勢いがついた。居酒屋にいそうな妖怪を予想する視聴者達は、いい感じに焦らされてきている。
コメントの中に待つ事への苛立ちを見せる視聴者が現れ始めたので、あたしは次のステップへ進めることにした。
「さて、皆さん気になって仕方がないと思いますので、
いよいよ映しちゃおうと思います!
今回撮っちゃう神様は、この方達です……!」
あたしはそっと体をずらし、できるだけゆっくりとカメラを恵比寿達の方に向けた。神でもなければ着られないような派手な柄の服が、じわじわと画面に映り込んでいく。
[誰?]
[誰?]
[ぬらりひょん?]
恵比寿達を見たコメント欄は、一気にはてなマークで溢れた。
頭の形が特徴的なぬらりひょんはシルエットで分かる人も多いらしく、さすがは妖怪のリーダーといったところ。けれど、つまみをつまんで釣竿が体に隠れている恵比寿と、机の向こう側にいるせいで米俵が見えない大黒天は、遠目では確かに誰か分からない。ちょっとタイミングが悪かったか。
「あちらにいる神様、皆さん誰だか分かりますか?
ヒントは、あの釣竿!釣竿を持っている神様と言えば〜〜〜……?」
[海幸彦?]
[ポセイドン……は槍か]
[いや恵比寿でしょ]
当然、すぐに答えを言ったりはしない。ボケに走った答えを拾ってツッコミを入れたり、いい線を言ってる答えを拾って惜しがったりする時間が、配信者の腕の見せ所なのだ。
あたしはたっぷりたっぷり時間を稼いで、コメントが途切れてきたあたりでようやく答えを明かした。
「正解は、なんと!七福神のメンバー、恵比寿さんです!
一緒にいるのは同じく七福神の大黒天さんと、妖怪のぬらりひょんさん!
どうして妖怪と神様が一緒にいるんでしょうか……?」
彼らの机を映しながらひそひそ声で話を続けるが、恵比寿達はスマホを囲んだままで一向に動きがない。彼らの素性を明かしてしまった以上、何もしてくれないとこのままではネタがなくなってしまう。
しかしあたしはこんな事態を予想して、ちゃんと手を打っておいたのだ。
「それにしても、結構飲んでるみたいですね。
神様って、何を飲むんでしょうか?」
事前に決めておいた合言葉を言うと、厨房のお兄ちゃんが反応する。お兄ちゃんはするりと厨房から抜け出ると、今度はカメラに映らないように、黙ってそっとあたしに一枚の紙を渡してくれた。
書かれているのは、恵比寿達の注文内容だ。
「えーっと、ウーロンハイ、緑茶ハイ、玄米緑茶ハイ……
お茶ハイばっかりですね!おつまみは色々頼んでるみたいです」
あたしはまだ高校生だからお酒の事はよく分からないけど、あんまり可愛げのない名前が並んでいるというのは分かる。コメント欄の反応も、予想通りといった感じだ。
さらにあたしは時間稼ぎの策として、事前に店長のヤマタノオロチさんと店員のスサノオさんにインタビューしておいた、お店のメニューのプレゼンを始めた。話だけ聞いていると美味しそうなのだけど、何故か名前に全部「ヘビ」が付いている。
そうして時間を稼いでいると、背後で動きがあった。互いに愚痴っているような様子だった3人なのだけど、だんだんとぬらりひょんを慰めるような状態になっていっているのだ。
……いや、慰めているかどうかは分からないが、とりあえずぬらりひょんが話の中心になっているのは分かる。
ややあって、恵比寿に無茶振りされたらしく、ぬらりひょんが急に立ち上がって歌い出した。アドリブなのか、時折詰まりながら歌っているその様に、あたしは慌ててスマホを構え、拡大してセンターに映るようにする。歌詞はよくわからなくなってしまっているけど、歌自体は意外とうまい。
コメント欄も、いきなり歌い始めたぬらりひょんに興味を示しているようだ。中には一体どこから見つけてきたのか、ぬらりひょんが上げているという歌ってみた動画を引っ張り出してきた人もいる。最近の妖怪は動画投稿までするのか。
歌い終えた瞬間に恵比寿達からブーイングを受けるぬらりひょんを横目に、忘れられないようにあたしもしっかりコメントを挟んでいく。
「ぬらりひょん、結構歌上手なんですね!これは意外な特技かも……!」
コメント欄は賛否両論だけど、あたしに同調するようにして、すぐ近くから拍手の音が聞こえてきた。見れば、店長のヤマタノオロチさんが泣きながら拍手を送っているのだ。
「いやあ感動しちゃったよ」
ヤマタノオロチさんがぬらりひょんにそう声をかけたので、あたしは慌ててカウンターの端に寄り、振り返る恵比寿達の視線を避けた。巨大なヤマタノオロチさんの圧のお陰で、どうやら気付かれずに済んだようだ。
けれど、恵比寿達の注目がカウンターの方に集まってしまったおかげで、彼らにカメラを向ける事ができなくなってしまった。急に神達を映さなくなったことで、コメント欄に困惑が広がる。このままでは事故配信になってしまうが、かといって恵比寿達に気付かれかねないこの状況でスマホに向かって話すわけにもいかない。
お兄ちゃんの方を見ると、こっそりこちらに向かって手招きをしていた。厨房に来い、と言いたいのだろうが、あたしみたいな全く従業員に見えない子供が厨房に入って行ったら、それもそれで目立つに決まっている。お兄ちゃんも焦っているようだ。今この姿勢でバレていないのなら、このままおとなしくしていた方が絶対にいい。
あたしは困ってしまい、思わず空を仰いだ。
……もちろん居酒屋の中なので空は見えないし、巨大なヤマタノオロチさんが視界の大部分を占領している。滝のような勢いで泣き続ける彼はそのうち脱水症状に陥るんじゃないかと心配になるほどだが、流石にそれは本人も自覚しているようで、よく見ると一本の首だけずっと何かを飲んでいた。
感極まりながらぬらりひょんに感想を述べるヤマタノオロチさんを見て、ふとひらめいたあたしは、そっとスマホを持ち上げた。自分の腕で軽く隠しながら、カウンター越しに恐る恐るカメラをヤマタノオロチさんに向ける。ぬらりひょんを拡大した時のままになっていたので、ズームを戻すと、だんだんとヤマタノオロチさんの全身が画面の中に現れる。
涙を流す8つの首が画角に入った瞬間、コメント欄は一気にざわめいた。
[ヤマタノオロチ?!]
[店名まんまじゃん]
[最初からこっち出してよ]
ヤマタノオロチさんの想像以上の人気っぷりに、あたしは思わず驚いた。言われてみれば、確かに恵比寿達よりヤマタノオロチさんの方がよっぽど見た目のインパクトは強い。こっちをメインにすれば良かったと後悔するも、驚きはそれだけでは終わらなかった。
何の話題になったのか、スサノオさんが前に出て、カメラの画角の中に入ってきたのだ。その瞬間、またもコメント欄が加速する。
[ラッパーのスサノオじゃね?]
[なんでスサノオとヤマタノオロチが一緒にいんだよ]
[スサノオ、アルバイトなのか……切ないな……]
スサノオさんは恵比寿達と少しやりとりをすると、ヤマタノオロチさんと共に厨房に引っ込んでしまう。恵比寿達も座席の方に向きを戻したので、あたしはようやく顔を上げてまっすぐ座ることができた。
「ふう〜、ごめんなさい!ちょっと見つかりそうになっちゃって……
ギリギリセーフでした!
妖怪に見つかったら祟られちゃうかもしれないですもんね〜」
一度自分を映して手を振ってから、恵比寿達の方にカメラを戻す。ぬらりひょんは恵比寿と大黒天にからかわれているようで、やっぱり妖怪というのは神には敵わないのかもしれない。
それよりも、コメント欄ではヤマタノオロチとスサノオの方が人気だった。彼らの再来を望む声も多く、もはや恵比寿達は見向きもされていないレベルだ。
けれど、酔っ払っている恵比寿達ならともかく、ヤマタノオロチさんやスサノオさんに普通にスマホを向けたら気付かれてしまうだろう。あたしは今回、お兄ちゃんに向こう2か月の風呂掃除と引き換えに頼み込んで見学として連れてきてもらったので、撮影許可は取っていないのだ。
ここは、お兄ちゃんになんとかしてもらおうか。そう思って厨房にいるはずのお兄ちゃんの方を見る。
お兄ちゃんは、自分のスマホを見ながら顔を青くして震えていた。
あたしの気配に気が付いたのか、お兄ちゃんが顔を上げ、あたしと目が合う。お兄ちゃんは口を開くと、声に出さずにあたしに訴えてきた。
「や ば い ぞ」
その言葉の意味を考える間もなく、異常は起こった。
あたしの手の中で、スマホが激しく振動を始める。不規則に中断を挟みながらも、振動が止まることはなく、10秒以上経っても強い震えは続いている。何か変な所を触ってしまったのかと思って、慌てて電源ボタンを押したり、音量を下げようとしたりしても止まらない。
急速にバッテリーを消耗したのか、スマホはみるみるうちに熱くなって、あたしは思わずスマホをカウンターに置いてしまった。が、そうすると今度は震えたスマホがカウンターとぶつかり、ガガガと激しい震動音が鳴る。
上から感じるヤマタノオロチさんの視線に取り繕った笑みを返しつつ、振動そのものをオフにすれば良いとようやく気が付いたあたしは、あつあつのスマホに四苦八苦しながらも、なんとかスマホを黙らせた。
「な、なにごと……」
呆然としながら放送画面に目を戻すと、今度はコメント欄がバグっていた。いや、バグみたいな速度でコメントが流れているのだ。
流れが早すぎて、もはや読む事すらままならない。強制的に流されるコメントに逆らってスクロールを続け、なんとかいくつかの短いコメントを判読することができたけど……。
[ツゲッターから来ました]
[神スタグラムから来ました]
[HIKAJINさんの紹介を見ました]
その文字列に、あたしは自分の目を疑った。
けれど、同じ内容で同じ文字列を含んだコメントは後からいくつも流れてくる。それを確認したあたしはようやく気が付いた。さっきの止まらない振動は、大量のフォロー通知を示すものだったのだ。
あまりの事に固まってしまったあたしを、お兄ちゃんが後ろから肩を掴んで揺さぶる。
「おい、おい!放送画面何も映ってないぞ!まずいって!」
「あ、そ、そうだ!」
あたしはスマホを持ち上げ、急いで恵比寿達の方に向ける。
恵比寿と大黒天は、塩の容器を持ってぬらりひょんに迫っていた。ぬらりひょんは激しい拒否を示しているが、2人が引き下がる様子はない。いかにも面白そうなシーンにあたしは思わず前のめりになるが、実況のために口を開こうとしたところで、配信画面の前にポップアップの警告が表示された。
- バッテリー残量が残り僅かです -
じわりと指先に伝わるスマホの熱が、バッテリーの限界が近い事を告げている。ただでさえ容量を使う映像配信を、このまま続ければあっという間にバッテリーは切れてしまうだろう。居酒屋のカウンター席に電源が取れる場所はなく、モバイルバッテリーも今日は持ってきていない。
何もなしに配信がいきなり落ちることだけは避けたい。この状態から配信を切るのは明らかに不自然な事は分かっているけど、それでも一刻も早く、あたしの手で放送を終わらせなければ。
あたしは精一杯可能な限り悲しそうな顔をして、カメラを自分側に向けなおした。
「ごめんなさい!時間の関係で、今日の配信はここまでになります!」
コメント欄は驚きと困惑に包まれるが、下げたら上げるのが人気維持の鉄則だ。あたしはすかさずフォローを挟み込む。
「近いうちに、”神撮ってみた”の第二弾をやろうと思っています!
今度は今回よりも機材をしっかり整えて挑むつもりですので、
チャンネル登録、通知設定よろしくお願いします!」
思わぬ次回予告に、視聴者は期待の声を上げる。良い所で配信が終わってしまうことに対する苦情が無くなる訳ではないが、視聴者全員に認めてもらおうというのは最初から無理な話だ。
あたしは言う事を言い切ると、「それでは!」とやや強引に配信を切った。電池残量は残り数パーセントで、かなり危なかった事が分かる。相変わらずスマホは大量の通知を受け取り続けていて、今また目の前で1パーセントバッテリーが減った。
とにもかくにも、配信を終えた事であたしは胸を撫で下ろした。厨房から不安げな様子でこちらを見ていたお兄ちゃんも、あたしの様子が落ち着いたのを見て安堵した表情になる。思いもかけない出来事の連続に、有名配信者になるのがどれだけ大変な事か、あたしは痛感することになった。
それにしても、あのHIKAJINさんに見つけてもらえたなんて。
通知の量といい、視聴者とコメントの増加といい、影響力のある人に拡散してもらえれば、配信者としては成功と言っても過言ではないはずだ。あとは、この幸運をうまく広げていくだけ。
皿洗いがひと段落着いたのか、厨房から出てきたお兄ちゃんに、あたしはつい興奮して話しかける。
「ねえ、あのHIKAJINさんだよ?!すごくない?!」
「俺もびっくりした。ドッキリとかじゃないよな……」
「ねえ、次はお店に許可取って、
インタビューとかさせてもらえないかな?!」
「一応聞いてはみるけど、そういうのはもっと満を辞して、
って感じでやった方がいいんじゃないの?」
口では否定気味に言いつつも、お兄ちゃんもあたしと一緒に企画を考えるのが楽しいようで、にやついているのが抑えられていない。あたし達はあれやこれやと次の放送をどうするか考えていたが、お兄ちゃんはバイト中であった事に気がつき、「ヤベッ」と小声で呟きながら慌てて立ち上がる。
けれど振り返ったお兄ちゃんは、そのまま固まってしまった。
「お兄ちゃん?」
見れば、固まっているのはお兄ちゃんだけではない。厨房のヤマタノオロチさんも、お盆を持ったスサノオさんも、お兄ちゃんと同じ方を向いて固まっている。
あたしは口を閉ざした瞬間、居酒屋の中が静かになっているのに気が付いた。……さっきまでは、あんなに賑やかだったのに。
あたしは恐る恐る、後ろを振り返る。
白い塩の線が孤を描くようにして、地面に転がった塩の容器。ついさっきまで飲み食いされていたおつまみが、お酒が、テーブルにそのまま置きっぱなしになっている。
にも関わらず、恵比寿達がいたはずのテーブルには、誰もいなくなっていた。
店内の全員の視線がテーブルに集まる中、スサノオさんが静かにお盆を置くと、テーブルに歩み寄り、膝を突いて塩を拾う。確かめるように塩の容器を確認した彼は、冷静な口調で言った。
「……どうやら、浄化されて消えてしまったみたいっす」
「そんな……」
無意識に、悲しみが口からこぼれ出す。
まさか、こんな唐突な別れになるなんて。神撮ってみたはまだ一回目で、話題になるのはこれからという時だったのに。彼らがいなくなってしまったら、インタビューも、コラボももう、何もできない。
目の前が暗くなってゆくあたしを引き戻そうとするかのように、どこかから猫の鳴き声が聞こえる。ラッキーが、あたしを心配しているのだろうか。けれどその声も、鼓膜を少し震わせるだけで、あたしの心には届かない。
あたしはただただ、悲劇を前に呆然とすることしかできなかった。
※この物語はフィクションです。
実在の人物や団体や神仏や妖怪などとは一切関係ありません。
★福芽が配信したのが見れる『なならき』本編第10話はこちら