医師を志した理由
「医学部の学生です。」そう伝えた時に、よく聞きかえされるのは、「どうしてお医者さんになろうと思ったの?」というもの。私は、その時に備えて、3パターンほど答えを用意している。そのどれも嘘ではなくて、医師を目指す理由の1つになったことは間違いない。
1つには、脳科学が注目を集め始めた時期で、流行にのってしまった
1つには、関わりのあったお医者さんに憧れて
1つには、医師になったら世界を変えられると思っていた
これらの理由からその場に最も適切そうなものを選んで、もっともっと真面目に、そして実体験を添え、何回も話してきた。それが、医学を学ぶ中でこれまで誰にも話していなかった、自分でも言葉にしていなかった別の理由にも気がつくようになった。
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初めて身近な人の死を経験したのは、小学校のとき。祖父の死だった。亡くなった後の数ヶ月間、寝る前になると毎日大泣きしていたという。「人はみんな死んじゃうの」そう母になんども尋ねたそうだ。少女の涙は、祖父の死というより、「人が死を迎えること」に対する衝撃からだった。死を初めて意識した。そこに存在している、ということ以外何もわからなかった。死んだらどうなるの?どうしたら死ぬの?いつ死ぬの?なんでもうそこにはいないのに、みんなで祈るの?そんな質問にずっと付き合ってくれた母は優しかった。少女は納得しなかったようだけど。
少し大きくなってから、祖父の闘病の記録、病理解剖の報告書、そして当時の母の日記を見ることになった。祖父は大学関係者だったため、入院先も本人希望の大学病院とし、治療は信頼していた先生に相談し、本人の望んだ通りに行ったことがわかった。
自分の最期を望み通りに過ごすには医療関係の仕事につくしかないなあ。
少女はそう思ったのだった。
そして、医学部生として病院での実習を終えた今でも、その気づきは間違っていなかったなと思うことがある。
それではまずいよね。きっと。