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香りの記憶、音の記憶

普通ならば世間一般で爽やかと称されるハーブの香り。それらをまるで燃えるようだと感じたのは、チェコの首都・プラハでのこと。

街中に咲くラベンダー、アパートの窓を飾るゼラニウム。
石の香りはヴィート教会で、ワックスのかけられた図書館の床の香りはストラホフ修道院で覚えた。
中央図書館にハイドンの協奏曲の自筆譜が見たいと言って乗り込んだときの、楽譜や本のインクの匂い。

チェコ・フィルハーモニーの本拠地であるコンサートホール"ルドルフィヌム"は、チェコ・フィルのコンサートマスターであるシュパチェクくんの心臓に直に届くような音色と共に、座席のビロードの香りを思い出す。
ブダペストを流れるドナウは雄大で美しいけれど匂いはなくて、でもヴルタヴァの景色は、きらめく陽の光と水の匂いと共に、今も鮮明に思い出せる。

プラハで私に刻まれた音や香りは、沢山あります。

私が講師として指導に携わっている東京ジュニアオーケストラソサエティ、春の定期演奏会が終演しました。
子供たち、そしてソリストの藤原秀章くんが奏でていたドヴォルザークの音色に、ふと「燃えるような」土や草花の香りが滾る瞬間がありました。

土や草花の香りが「燃える」とは、一体なんなのか。

ヨーロッパの夕陽は原色なのだ、全ての色が鮮やかなのだと練習中に先生方が話していましたが、彼の地の短い春と夏は、色だけでなく五感を刺激する全てが鮮やかです。

生命力にあふれた自然は、ちょっと大きな都市にいても感じることができます。

家の外窓にはゼラニウムが咲き、街路にはローズマリーやラベンダー、アーモンドの花が咲き乱れます。
広い公園には高木の葉が青々と繁っていますが、秋の間に落ちた葉は土に還り、凍った冬を越して、水を含んだ土が乾いていく季節になると、あたたかくやさしい土そのものの香りがするのです。

その情景を全てひっくるめて「燃えるような」香りとして記憶に焼き付いている。そして、記憶の中で五感が凝縮されると、実際よりも鮮やかに思い出が蘇ってくるのですね。

演奏の最中に「思い出すと懐かしくて仕方ないものごと」が自分の心に押し寄せたとき、あの時の燃えるような香りもそこにありました。
子供たちが奏でる音と、ドヴォルザーク自身が国に持っていた感情とが共鳴し合って、私の記憶を呼び起こしたのでしょう。

ヨーロッパから遠い日本で集った子供たちが、昔の人が楽譜に残した想いに寄り添い、その情景を音にしてみせるという何とも不思議で美しい瞬間に、今回もまた立ち会ったのでした。

高校国語の授業で、不要と判断されたものがなくなったと聞きました。ある意味クラシック音楽も、現代に残されている歴史的な記述をいかに読み解き解釈実践をするかという意味では、削られたカリキュラムと似たところがあるかと思います。

自分の持っている文化と、違った文化を持つ他人、その間にはとても繊細な「なにか」が横たわっています。私はその「なにか」を踏み荒らさない人間でありたいと常々思っていますが(実践できているかは別)、文化史を学ぶことはそれに大きく貢献してくれたように感じます。
無駄こそが人生そのもので、大事で、楽しいのだということも、学びによって分かったような気がします。

25年前に立ち上がったtjosに、不思議なご縁で関わるようになり、この活動を通して今は参加している子供たちから「文化の継承とその価値」を教わっているのですが、子供たちの心にも、大人同様に何か大切なものが伝わっていたのなら、これほど嬉しいことはありません。

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