朝のお見送り時に思うこと/母の祈り
朝7時半に出勤する息子の背中を追って、姿が見えなくなるまでお見送りをしている。私も出勤の支度や弁当作りで忙しいのに。
「もしかしたらこの背中を見るのが、最後になるかもしれない」「姿を見ずに送り出して、帰ってこれなかったら悔いが残る」という思いが、心のどこかにかさぶたのようにあるからだ。
主人に「みっともないからやめろ」とよく言われるけれど…
この一瞬の幸せが永遠には続かない(可能性がある)と、心に蓋をしても気付いているから…
1.日航ジャンボ機墜落事故
1985年8月12日、日本航空ジャンボジェット機が御巣鷹山に墜落し、520名の犠牲者が出た。その中にたった一人で搭乗していたお子さんがいて、子供を送り出したお母様のエピソードを聞く機会があった。
時は35年以上流れ、数年前になって初めて。
子供を産み仕事をしながら育て、母として過ごしてきた私は、その話を聞き胸が張り裂けそうだった。
さよならも言えず、さよならも言ってもらえず苦しんだ日々。
長い長い月日が流れ、そのお母様は詩を書き、絵本を作られたそうだ。
~そういう永遠の別れが、突然やってくることもある。
2.ポケモンジェットに子供二人を乗せた小学生時代
遠方に住む主人の両親は、お盆と年末孫たちが来るのを毎年とても楽しみにしていた。
だけど私はとても仕事が忙しく、週末たまった掃除や洗濯などの家事もしたいし、主人と私は後から遅れて合流する、ということにした。
ある夏のお盆の頃、ポケモンジェットに二人の子供を搭乗させ、義父母に飛行場に迎えに来てもらう、という無謀なことをやってみた。
搭乗時担当のスチュワーデスの方に子供たちを引き渡すと、先導し色々面倒を見てくれ、向こうの両親に引き渡すまで責任をもってやってくれた。
この計画を伝えた時に、実の母からは「よくそんなことをやる勇気があるね。」と言われた記憶がある。
年に二回お決まりの帰省にもう大分慣れており、私も疲れていたのだろう、時間に余裕が欲しかったのかもしれない。
ハラハラしたけれど、難なくスムーズに義父母の元へ子供たちは到着し、連絡を受けて心底ホッとした。
案外そんなものなのだけれど、墜落事故などに巻き込まれる可能性もないわけではない。その時は上記のお母さんのことは知らなかった。
今振り返ると、よくやったな、大事な子供たちの命の危険を顧みず、という気持ちになる。
妹のことがあったにもかかわらず…
3.妹の交通事故死
妹は、小学校2年時の学校帰りに、車に轢かれ死亡した。
当日の朝、「おなかが痛いから、学校行きたくない」と言っていたにもかかわらず、「大丈夫行ってらっしゃい」と送り出した、と後に母から聞いた。
その日の朝、妹が自分で爪切りをしていたのも私は見ている。
「夜爪を切ると、親の死に目に会えない」という言い伝えが頭をよぎった。
朝ではあったけれど。
小さな掌で爪切りを握っていた姿を今でも覚えている…
4.当たり前の幸せに気づかない日常の中で、一瞬祈る
そんな体験を子供の時にしているからだろう。
当たり前の幸せは、ある日突然崩れる可能性がある、ということを体験的に知っている。
子供たちが夫と三人で先に帰省する時も、リュックを背負う後姿をじっと見つめていた。その映像もカラーで頭の中に蘇り、子供たちは「行ってきます」と、階段を下りていくのだ。
もしかしたら、これが見納めになるかも、と思いながら。
だからいまだに、朝の見送りはやめられない。
子供たちが妹の年を超えてからもずっと…
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