私という感覚。
人格さんたちは私の某かから形作られ存在してる。
それは定説を信じるなら、また自身の感覚を信じるなら、記憶であったり感情であったり。
だけど私はそれらを、自分のものとは感じることができない。
彼ら彼女らを、自身の一面であると体感できない。
人格交代が起きれば、私は私じゃなくなる。
その時の私が何処に居るのか、よくわからない。
眠っている、と表現する人も居る。
私は、、どうだろう。
あとで"その時"の記憶が俯瞰して思い出されることがあるから、起きてることもあるのかもしれない。
たとえば。
今の大方の精神医学から見て、私の体感が異常なものであり、彼ら彼女らも私であるといわれたら、。
よくわからない、理解が追い付かない。
私はおそらく壊れる。
もうずっと、自分の中に誰かが居る感覚で生きてきた。
それが何かもわからないまま。
それでも私は私だと思ってた。
私が私であると言う定義はなんだろう。
何をもってして、そうだと言えるのだろう。
もうこの感覚は既に私の一部だし、(矛盾した表現のようになるけれど)私自身だ。
他の誰かと共存している感覚。
この感覚そのものが私なのかもしれない。
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