多重人格と言う感覚 / 解離性同一性障害
人格が多数居ると言う感覚はなかなか理解しがたいことだろうなと思い立ち、今回のコラムです。
解離性同一性障害(DID)、いわゆる多重人格とは、人格に同一性がみられない、つまり複数の人格が存在する障害です。
人格は、感情や記憶が隔離断絶され形成、各々に成長したものとされます。
人格さんたちは、それぞれに性格も好みも考え方も違い、外見からは態度や顔つきや声や言動行動が変わります。
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さて、当事者としてどのような感覚なのか、と言うお話です。
よく勘違いをされてしまうのが「自分が複数在る感覚」と言うもの。
いろんな顔(ペルソナ)を持つということや、もうひとりの自分が居ると言う感覚、これはそうではありません。
正確には、「他人と一緒に居る感覚」です。
例をあげます。
感情が衝動的な波に呑まれ大変混乱している最中、ふと「ん?おかしいぞ?これは私の考え方とは違う」と気付きます。
その瞬間に、それまで嵐のようだった感情が一瞬で消えます。
感情を抑える訳ではなく、勝手に消失するのです。
(私自身が抑鬱傾向にある時は何をしても抜け出せません)
これは、「私」と他の人格さんとが無自覚に混ざりあい、感情が混線している場合に起こります。
私のものではないと自覚した時点で、その感情がその人格さんのもとへ返る(分離する)わけです。
それまで過呼吸の発作を起こしていた私が、人格の交代を起こし、何事もなかったかのようにごく普段通りにすたすた歩きだしたりもします。
私の体感では、他の人格さんたちは別個の存在です。
私ではない誰かです。
会話は自問自答とは別のもので、都合の良い答えが返ってくるわけでもありません。
答えてくれない場合ももちろんあります。
私から見た人格さんが必ずしも正確であるとも限りません。
他者の事がわからないのと同じく、他の人格さんのことはわからないからです。
私は人格さんの紹介記事も書いていますが、あくまで私から見た人格さんの姿様子であって、また彼ら彼女らの自己申告の代筆であって、本当にそうであるかは誰にもわかりません。
現実の人間関係と同じです。
おそらく嘘を吐かれても私にはそれが本当であるかどうかわからないでしょう。
また、私個人の妄想や空想も彼らとは別のものであり、無関係です。
時折、妄想空想に耽っている所を「楽しそうなとこ悪いんだけどさぁ」と、横から口を挟まれ台無し気分にされたりもします。
私だってひとりでキャッキャうふふしたりだってしたいんですが。。
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人格の交代時について。
私の場合、通常運転時は、記憶は連続していて人格だけがするするといつの間にか代わります。
記憶は連続しているものの、別の人格さんの時のものは保持されにくいようです。
その時の人格さんに再度代われば思い出すので書き留めたり、記録人格に聞けば彼は把握しているので教えてもらえます。
私が私である時に、私ではない時の記憶を辿っても朧気で、別の場所に記憶があるような感覚です。
ついさっきまでパニック発作を起こしていても、それが何故だったのか、何を想っていたのか、私に代わった時点で過ぎ去った遠いことのように私にはわかりません。
交代している時は、私ではない誰かが自分として動いている感覚になります。
日常生活ではその交代した人格さんが私として振る舞うわけですが、各々性格が違うため「私」になった時に恥ずかしい思いをしたりもします。
同じ身体でそんな振る舞いはやめてくれと思うこともしばしば。
まぁ、その辺りはDIDの診断を受けて、さてどうしようってなった時に、彼らには彼らの自由の権利があるんだろうなと思ったので諦めました。
おかげでのびのびと放牧状態です。
診察時に与一さんだった時、私の振りをしてくれていたのですが主治医に見抜かれ、それで彼は彼として話し始めました。
慣れないものの、自分を隠す必要がなくなり安心したようでした。
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非常時、人格さんがパニックを起こしたり暴れたりした時は、「非常事態が起きている感覚」は私にも残ります。
記憶は連続しているため、直前の暴れたり悲鳴を上げたりしている様子はほとんどの場合理解しています。
またそういった時は混在していることも多く、そのため、一緒に話し合いをしたり対応することができます。
その人格さんの持つ記憶を辿ったり、気持ちを一緒に探ったり。
どうしたいのか、どうしたら解決できるのかを一緒に話し合います。
私は基本的に人格さんたちの考えや気持ちを否定しません。
彼ら彼女らには価値観の自由があって当然だと思っているし、話を聞くうちに「なるほどな」と納得できるだけの筋が通ってる。
そんな体験をしたならそんな感情を抱いてしまうのも自然なこと。
無理からぬことに偉そうなことを言えるほど私は傲慢にはなれない。
ただし、間違っている、誤解していると感じたことは素直にそうと告げます。
ただ、そういった感情や記憶に囚われ留まったまま苦しんでいる姿を見るのは辛いです。
人格が混じることが多々あるため私自身にもその感覚が伝わり非常に苦しくなります。
一緒に生きていく以上、できるだけ快適でありたいと思うし、その為には相互理解が必要だと思っています。
うまく補い合うように共存できるのが理想ですが、なかなか難しいことです。
私としても、彼ら彼女らが現状について、また私という存在について、どう思いどう感じているのかが気になるところです。
「私」ってなんだろうって思います。
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話し合いの時は、混在していることが多く、彼ら彼女らの話を私は一歩下がったような状態で聴いています。
彼ら彼女らの気持ちの吐露は、気持ちが伝わってくることもあり聴いていて苦しいものです。
口を吐いてでる言葉に、「私」には理解できないまま、身体から感情を実感できないまま涙だけがぽろぼろ溢れてくることもあります。
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交代時の肉体の感覚について。
例えば与一さんに代わった時、骨格や筋肉が男性的な体感に代わります。
目線も高くなったような錯覚が起きます。
実際に姿勢や身体の使い方が代わると言うのもあるかもしれませんが、DIDの不思議ですね。
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「私」である時、
他の人格さんが交代している間の私の記憶は、常にではありませんが、身体の外から自身の姿を俯瞰して見ているような映像として記憶が残ります。
言い換えると、「私」になった時に、「私」でない時(他の人格さんである時)の「私」が何処に居るのか、と言うことが後に記憶としてわかる感じです。
他の人格さんが出ている時の「私」の所在は、現在進行形ではよくわからず理解できません。
あくまで記憶として残ります。
これは他の人格さんも似たような状態の様です。
外(内海)から私に話しかける時、私の姿を俯瞰して観ているような状態にあるようです。
これもその人格さんの持つ記憶として残ります。
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「私」である時、
彼らの存在が私の周囲に居る感覚があります。
例えば、左側にハツハルさん、右側にシオン、右の一歩はなれた前に与一さん、そんな状態が体感としてあります。
また、他の人格さんに交代している時でも、別の人格さんと会話できます。
副人格さん同士で会話すると言うことです。
たとえばアオイくんである時に、隣(内海)に居るシオンやハツハルさんとしゃべったりしてる、と言うことです。
後に朧気ながら楽しそうな雰囲気を思い出し羨ましく感じる私です。。
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以上、長くなりましたが多重人格と言う感覚についてお話ししてみました。
あくまでも私の場合の感覚になりますが、言葉で綴るにはなかなか難しいものがありますね、。
うまく伝わると良いのですが、。
宜しければスキ、してくださいね。
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