小っちゃい頃からずっと。ことば遊びがスキだったんだ。
わたしはちっちゃい頃から「言葉遊び」が好きなこどもでした。例えば、一字違いの言葉や、入れ替えると意味の異なる言葉。「わたし」「たわし」「ゾウ」「ヒゾウ」など、一字違ったり言葉を入れ替えたりするだけで、なんで。全く意味の違う言葉になるのか。
言葉に興味を持った一番の原点はそこでした。
もちろん、「母国語だから」という理由もありました。
もっと深く知りたい、学びたい。
それと同時に、小学館の小説などをよく読んでました📖
今でもそういった言葉遊びを楽しみながら日々童心にかえってふざけながら遊んでます笑
例えば…
「石橋を叩いて渡る」から一文字引いて「石橋を叩いて割る」にして「慎重すぎて行動する前から疲れること」と自分勝手に定義してみたり、「灯台下暗し」を、もっと酷いバージョンで「灯台元が暗過ぎた」としてみる。
「探し物が見つからない」みたいに好き勝手に遊んでます、ハイ。
そんなことから、言葉に馴染んでいったわたしが最近、ぱったりnoteに顔出さなくなったのには理由がありました。
誰かに何かを届けたい。伝えたい。そういう心の渋滞が解けてきているからだと思います。
前まで、「どれだけ伝えても足りないわ!」「何日かけても多分、ムリ」それっくらい想いが滲み出、溢れていました。
そんなふうに言葉で遊ぶ習慣が身につき、福祉事業所で広報部として働く身になって、つくづく思ったこと。
「プライベートな文章と、公的な文章は書き分けないといけない」。
たったひとりに届けるために書く、私的な文章と区別しないといけなくなった。そのことが最初は嫌でたまらなかったです。「わたしらしさ」が欠けてしまう、どこにでもあるような文章しか書けなくなってしまう、ってね(^-^)💦
でも、「お仕事だから」できることもあるとわかってきたし、割り切って考えられるようにもなってきた。
常用漢字は使ってもいい。それ以外は開く(ひらがなやカタカナに直す)とか、リライト作業と言って話し言葉で書いてある原稿を全て書き言葉に変えることなどもお仕事内容として、あります。✒️
今のわたしにできること。決して多くはないはずで、捌ける仕事量もきっと限られている。
その中で今までだったら「何がなんでも自分1人でしないといけない」とか、「ひとに頼るのは仕事をする上で効率を考えずに動いてしまうから」と自分を追い詰めていきました。
でも、今では(今だから?)
ひとに頼るのはワルだとか甘えだとかなんとも思わなくなりました。自分が時間内に終われなかった仕事は、(自分個人の担当なら)明日に持ち越せばいいし、連携プレーで行う仕事なら誰かにお願いすればいい。
考えが変わりました。
言葉で自分を追い詰めること。
もう、卒業したいなぁって感じたんです。
答えのないことにそうやって悩んで、行き着く先は「自己否定」なんて…ツラすぎるから。
言葉が出てこない。
言いたいこともままならない。
こうやって書くことで整頓される思考回路も話すとなるとまとまらなくなる。
そんな自分を受け入れられるように最近やっと、なってきました。
自分らしくあってもいい。
心を解放しよう
これからもずっと。
気の向くままに
顔出したい時にマイペース更新になると思いますが、どうか、ご理解ください。
また、お会いしましょう。
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