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【映画レビュー】シン・ウルトラマン②
前回の続きです。
シン・ウルトラマンの鑑賞レビューをネタバレ全開で綴りますので、未鑑賞の方はご注意下さい。
繋がることの代償
ウルトラマンが神永と一体化し、神永からの変身時にベータシステムを使うが、そのシステムを応用することで地球人を巨大化させることができる(メフィラスはこのデモとして浅見を巨大化させる)。
この事実により多数の外星人が地球人を巨大化させて生物兵器として利用しようとすると考えたゾーフィは地球人を滅ぼすこととする。
ゾーフィは最終兵器・ゼットンを起動。ゼットンは宇宙空間に待機して、一兆度のビーム(?)、もしくは火球(?)を発射する準備を進める。
一兆度の熱となるとそれだけで太陽系を燃やし尽くすことができる。地球人は太陽系ごと消滅させられてしまう。
このゾーフィの裁定にウルトラマンは異議を唱え、ゼットンに立ち向かう。しかし、ゼットンの反撃を受けて敗北。地球に墜落する。
メフィラスのように逃げてしまえば、こんなに傷つくことはなかったのに。
他者との繋がりは、自分以外のために動く動機を生む。自分の意志で決めたこととはいえ、それが情であれ、しがらみであれ、自分が傷つくことや何かを失うことを伴う行動になるかもしれない。
新たな進化の道・ウルトラマン
僕ら地球人は「個」としての進化と「群」としての進化の狭間にいる。本作のウルトラマンと同じかもしれない。
ずっと集団としての行動を強いられ、「群」としての生きづらさから徐々に解放されていく過程で、逆に「個」としての生きづらさがチラつき始めている。
ジェンダー平等、SDGs、LGBT、ポリティカルコレクトネス。マイノリティであっても社会的弱者であっで「個」として平等であり、尊重されるべき。
それぞれの考えは正しいが、それらが共存する世界における最適解を導き出すにはまだまだ僕らは未熟。だから、悲しいことにまだまだ争いはなくならない。
争いとは別に核家族化、離婚増加、生涯未婚率の上昇、そこにさらにソーシャルディスタンスやリモートワークと「個」に向かう流れは強くなっていく。
ちょうど今日見ていた動画でトランスジェンダーの平等を条例で認めようとしたところで既存の社会との接合がとても難しい例が議論されてました。
地球人が「個」に近づきつつあるなか、禍特隊のメンバーたちは「仲間」や「バディ」という言葉を使い、その不確実な関係性を迷うことなく信じて行動していく。
ザラブからベータカプセルを守るためウルトラマンは浅見にベータカプセルを託す。浅見はきちんとした説明もなく、ウルトラマンの意図を読み取り、彼の元にベータカプセルを届ける。
禍特隊メンバーは自分たちの立場が危うくなるのも顧みず、ウルトラマンの作戦に同意してメフィラスの隠したベータシステムを回収する。
他者という不確定要素を信じて行動することで、「個」では解決できないことをやってのける。この不思議な相互作用がウルトラマンの興味を引いたのかな。
最終的にはウルトラマンだけでは倒せなかったゼットンも地球人との協力で打ち勝つことができた。
ウルトラマンは自分の行動の結果としてゼットンの標的となってしまった地球に対する責任を果たそうとしたに過ぎないのかもしれない。
本来なら地球人にとってはいい迷惑な話。きっちり責任果たしてくれればそれでいいはず。しかし、最終決戦に向かうウルトラマンに浅見は「帰ってくるように」と伝える。
繋がりを捨てなかったウルトラマンと地球人。最後は神永と分離して光の星に帰ることになったウルトラマンだが、神永を無事に帰したことで地球人との「繋がり」は残ったと思う。
その「繋がり」によって多数の外星人が地球を狙う可能性が出てきた。これはシン・ウルトラセブンに続くのか。ウルトラマンが残した「繋がり」をセブンに引き継がれるとおもしろいな。