【映画レビュー】シン・ウルトラマン①
※ネタバレありで書きますのでご注意下さい。
5/13の公開初日にシン・ウルトラマンを見てきました。平日ということもあり、座席を埋めるのは予想通り大人ばかり。しかも、かなりの大先輩なご年代の方も多く、さすが時代を越えたヒーロー。
個人的にはシン・ゴジラに頭をハンマーで殴られたかのごとく感動したので、同じハードルのまま見てはいけないと思いつつ、冷静にスクリーンのシートに座った。
現代風にリメイクされたウルトラマン
全体のイメージとしては、大人の鑑賞を意識して、現代風のリアリティで適度にコーティングした完成度の高い「ウルトラマンのリメイク」という感じ。
ウルトラQやウルトラマンのあたりの作品のキャラや音楽を使い、当時の匂いを残しつつ、現代風のカッコよさでまとめ上げている。
怪獣やウルトラマンというあまりにも規格外の未知の存在に対して、主人公が所属する禍特隊のメンバーが様々なモニタリング結果の報告や実態の推察を専門用語満載で話しまくる。言葉の意味はよーわからんがなんかそれっぽいというだけで、リアリティがあるように感じちゃう。
そして、戦闘シーンはかつての着ぐるみで描かれるのとは違いCGで作られたことで、ウルトラマンも怪獣も緩急も含めたダイナミックなアクションが展開されて、めちゃくちゃカッコいい。
特にカボラとの闘いのシーンが好き。核廃棄施設を守りながらの闘いのため、カボラのドリル攻撃を避けずに両手で受け止めるウルトラマンが手から火花を飛び散らせながら耐える場面が個人的No. 1シーンです。
個の外星人、群れの地球人
映画は後半、外星人(=宇宙人)たちとの闘いにスライドしていきます。
登場する外星人はウルトラマンも含めて、基本的には「個」として描かれる。
ザラブもメフィラスも、なんならゾーフィも。彼らは非常に高い知能を持っていて、悩みや迷いを持たないかのような完璧性を感じさせる。
ウルトラマンはこの中でも最も難しい立場に置かれるものの、常に自らの判断で迷いなく行動する。
地球人・神永新二(演:斎藤工)はウルトラマンと禍威獣の闘いに巻き込まれ、子供を庇ったことで命を落とす。ウルトラマンはそんな彼の行動から地球人に興味を持つことになる。
「個」として完璧な外星人たちから見て、自分以外の個体のために自らの命を危険に晒すことは極めて異質な思考と感じるのだろう。
そして、神永新二と一体化して禍特隊のメンバー、特に浅見弘子(演:長澤まさみ)との関わりの中で地球人の持つ特性にさらに興味を持つことになる。
掟破りの一体化
光の星の掟で地球人との一体化は禁じられているそうな。この映画は庵野さん脚本の特徴である早口セリフが多くて詳しい理由は聞き逃しましたが、確か外星人たちの条約に未締結の知的生命体との接触は禁じられるとかそんな感じだったと思います。
ストーリー上はこのように語られる掟破りの一体化ですが、そもそも「個」として完璧な外星人たちにとって、他者と繋がることはリスクだからじゃないでしょうか。
他者という自分と違う意志の元で行動を取る不確定要素と繋がれば、自分の安全性や計画性に支障が出る。
外星人たちはこのリスクを捨てて「個」としての進化を極限まで進めていった結果の生命体。
人間は表情を表すことで他の人間との感情の交流を行なってきたと言われていますが、ウルトラマンもザラブもメフィラスも顔の表情は一切変化しません。
ウルトラマンとザラブは口のようなものはありますが、退化していったのか全く動きませんし、メフィラスはもう口は跡形もなし。ウルトラマンはあの特徴的な「ジュワ!」とか「ヘアッ!」とかの声も一切出しません。なので、ピンチになってても本人は苦しいのかどうかも全くわからない。
また、黒目の動きが人間の感情表現に重要な要素となりますが、外星人たちにはこの動きもありません。
ネロンガやガボラは少なくとも口はあって吠えてるのでまだ感情に近いものは読み取れます。
外星人たちは他者との感情的交流を排した進化系なんです。
メフィラスなんかはそれまで欲しがっていた地球人の事も、ゾーフィが現れた瞬間に厄介事からはオサラバという感じで、去っていきます。この判断の速さも感情に支配されず理性・論理的に判断する外星人らしさなんでしょう。
そんな彼らにとって、他者との一体化は自らのためにもさけるべき行為。その禁を破ってしまったウルトラマンに何が起きたのか。
ここまで書いて疲れてしまったので、続きはまた今度。