⑩会えぬまま亡くなった父への想いと、葬儀に行かないと決断した話し。
これまでのお話しはこちらです↓
絶対にまた父と会えると信じていた私は、父の死の知らせを聞いた時、神様から裏切られたような気持ちになった。
なぜ?なぜ?なぜ?
なぜーーーーーーー!!!って
心の中で叫んだ。
信じていれば叶うと思って、どんな酷い目にあってもがんばってきたのに、全てウソじゃないか。
「私が助けるから、待ってて。」と父に約束していたのに、もうその約束が叶えられることも無くなった。
父は、いつまで待っても現れない娘をどう思って死んでいったたのだろう。
この時は、色々な感情が渦巻いて何をどうしていいかも分からなかった。
そして、数時間後、携帯へ兄から電話があったが出なかった。留守電にメッセージを残していたので聞いてみると、父が亡くなったことと、亡くなったことへの言い訳や、葬儀の日程を残していた。
今まで、父を隠しどこに居るかも教えず、探そうとすると警察まで呼んで阻止してきた兄夫婦。
なのに、父が亡くなった途端に「葬儀に来て欲しい。」と言ってきた。
生きている時に会えば都合が悪いけど、亡くなってからだといいんだ。
この人達は何を言ってるんだろう。
同じ人間のすることか、と憤りを感じた。
そして、肉親であろうと、もう二度と関わりたくない、今まで歩み寄り理解し精一杯努力してきた。
もういいでしょ、お父さん、お母さん、もう、私にはこれ以上できないよ、って空に向かって懇願した。
でも、その時、父が言い残した「兄をなんとかして欲しい。今のままではダメだ、頼む」という言葉が胸をよぎった。
父は、母が亡くなる前からの兄の態度や自分に対する関わりを肌で感じ、これまでの自分の育て方を悔いていたのだ。
兄を託したまま、私と会うこともなく亡くなってしまった父の言葉、「兄を頼む」というのは遺言になってしまった。
正直、荷が重かったけど、その遺言を無視することは出来ない。
父の葬儀。肉親であれば当然出席するべきだろう。
でも、私は父の葬儀には行かないと決めた。
行けば兄夫婦に黙っていることは出来ない。葬儀の場で揉めることはしたくないし、平静を取り繕って兄夫婦と親族席に並ぶなど、その時の私にはどうしても出来なかった。
兄夫婦は体裁を気にし、葬儀に来るよう何度も留守電にメッセージを残していた。
どの面さげて、どの口が言うか〜!
そんなにしつこく来いと言うならなんで?
生きてる時に合わせてくれなかったんだろうと、
私の頭の中は、その言葉がぐるぐる回っていた。
こんな人達にまともに常識的に接してもどうにもならない、と私は悟った。
そして、私は父の遺言を実行することを固く誓い、全てを終わらせてから父の墓前に行こうと決めた。
こんな行動をすると…
世間一般では「最後のお別れくらいちゃんとしなさいよ」「親の葬式行かないなんて考えられない」と思う人もいるだろう。
常識、価値観、当たり前だという同調意識だ。
人と人との繋がりでもうそんなものはいらない。古い価値観に囚われて逃げ出せなくて、そこにしがみつくようなことはしない。
常識にどっぷり浸かっている人から反感を買うかもしれないが。でも、その時の私は、周りの人の批判や世間一般の常識などどうでも良かった。
私が父を想う気持ちはそんなものでは計れない。
誰かに分かってもらったり理解してもらうものでもない。
また、その時の私の心の中は様々な気持ちがぐちゃぐちゃになっていて
父と会えなかった無念さ。
会えると信じていた思いがうちくだかれた衝撃。
探してあげられなくて、父に顔向けできないという申し訳なさ。兄夫婦のひどい仕打ちに対する苦しみ。
様々な想いを抱えていた。
そして、そこからまた私は新たな決意をすることになる。
続きは次の章にて。
◆オマケ◆
最近、ふとした折に職場の同僚にこの話してら、
笑顔で「作り話しでしょう〜」って言われてしまった(~_~;)いやいや、ぜ〜んぶ本当にあったことです。