人とのおしゃべりが楽しいと思えた今日。

人それぞれ得手不得手がある。


得意な事は能動的にどんどんやっちゃう。

わたしはお絵かき、漫画描き、工作。

雑誌に作品を投稿して、批評してもらったり、コミケに作品を出してお客さん?の反応をみたり、美術部に入って石膏像のデッサンを始めたら、壁にぶち当たって思うように描けなくなって、でもそれでもめちゃめちゃ上手い先輩に憧れて、描くことは止めるに止められず、展覧会に出品してみたり、絵ではないけど、1人で東京のクリエーターのイベントに参加してみたり、東京にある、とある教室に通うべく、コツコツ貯金して見学に行って、入会したいと伝えたら、一年待ちになるよと言われしぶしぶ独学し、その取り組んでいるジャンルの雑誌を見つけ、批評してもらえるコーナーがあったので投稿してみたり。

一番良かった経験は高校生の時。美術部の先生の勧めで、冬休みに東京の美術予備校かな?に、友達と行ったこと。

上手い人がうじゃうじゃいた。下手な人もうじゃうじゃいた。

石膏デッサンを1日中やった。描き終えたら上手い順番から並べられて、全員の前で講師に批評される。批評される事に対して耐性ができる。

視野が広がった。ゆえに、自分のレベルを思い知らされ、落胆し苦悩しもがき苦しむ日々が長いこと続いた。それでもアルバイトで稼いだお金で、油彩の画材一式、買った。高校卒業したら、結局絵に関する学校へ行くことになった。あんなに苦しかったのにやっぱり、描いていた。数年に一度くらい、自分の絵で自分が感動できる瞬間がある。自分で自分を納得させられる絵が描けたとき、なんともいえない気持ちになる。あの感動よ、もう一度!と、思って描き続けていた気がする。


ここ、ここ。

今日はこの部分に気が付いた。


わたしは人とのコミュニケーションが不得手。

言葉での表現方法がわからない事に劣等感を持ち、自己否定にもつながり、傷付く事が怖くなってますます人を避ける。

人とのコミュニケーションで、感動した経験値が多分圧倒的に少なかった。


何年も通っている美容室。毎回緊張するけれど、今日はちょっと違った。

毎回担当してくださる美容師さんと他愛のない会話が出来た。それどころか、他の美容師さんとも少しばかり会話が出来た。

楽しく、嬉しい気持ちになった。

そうか、だから人は会話するんだ。

あと、会話中に、あ、今この人はこの事を話したかったから、わたしにこういう質問をしたのか、じゃあ、次はこういう風に受け答えしてあげたら、より、会話が盛り上がるんだろうな、ってことまで気付いた。そうか、そうか。

雑談が苦手だったわたし。会話の中身は特に重要じゃなくて。

おはよう、こんにちは、という言葉自体に意味は無くて(?)、声を掛け合い、目を合わせ、にこっとするときに発生する「🧡」が、嬉しく、楽しく、安心するから。

なのかな。

「🧡」のやりとりなんだね。言葉じゃなくてね。


不得意(という思い込みかも知れない)による、圧倒的な経験値不足。


ただ、それだけだったのかもしれない。


何年たっても心開いて会話してくれないお客さんが、今日はしゃべってくれた!と、美容師さんがちょっと嬉しいって思ってくれていたら、わたしもめちゃめちゃ嬉しいな。


20201215   いろいろなないろ

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