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私がわたしを癒してあげよう
とってもおしゃべりな長男。
ずーーっと喋ってる。笑
寝かしつけの時間を20時半と決めていて
家族みんなで寝室に上がる。
(パパ拒否で戦力外になり寂しそうで無力な背中を見る日もあるけれど)夫も居てくれるので私も割と落ち着いて過ごすことができる。
そんな時間に、長男が
ぎゅーーっと抱きしめてほっぺにキスをして
「ママだいちゅきだよ」と言ってくれた。
人生で初めて「私今世界で一番幸せ者だ」と思った。凄く凄く嬉しかった。
今までプロポーズをしてもらったり、結婚式で沢山の人に祝福を受けたりしたけれど、こんなにも幸せを体感する出来事は初めてだった。
すごく心のコップが満たされる感じがした。
子どもと過ごす日々の中で、子どもに(叱るではなく)怒ってるしまった時にいつも思うことがあって、きっと私の中には癒すべきインナーチャイルドがあるということ。
でも、家庭環境にも恵まれて何不自由なく育って来た私のなにが満たされないのかずっとピンと来なかった。
長男が私の存在そのものを肯定して、大好きだよと抱きしめてくれた時、「私って甘えたかったんだな」と自覚した。
長女として生まれ両家の初孫となった私には、
少し歳の離れた兄弟やもっと離れた従兄弟たちが いて頼られる機会が多かった。
というよりも、頼りにしてもらえるように頑張ることが多かった。きっとそうすることで、私自身が存在価値を感じていたのだと思う。
そうしなければならないと思っていたのかも知れない。
未だにその感覚はあって、家族のためにできることは出来る限りしてあげたいと思っている。
家族に尽くす事自体は悪い事ではないと考えているし、私自身も沢山家族に助けてもらいながら生きている状況なので、単純に専業主婦で融通が利く私にできることがあれば力になりたいと思う部分もある。
そんな私の隣には、そうしないと私が必要とされてないように思い必死な私も居座っている。
夫は、割と私のことを認めてくれていると感じる。
もちろん喧嘩になることもあるけれど根本的には、
どんな私でも私のことを大切に思ってくれていると思う。背伸びすることなく、等身大の私のまま生活することができる。
夫の前ではありのままに過ごすことができる、安心する。
夫のために頑張りたいと思えないわけではないけれど、できない私でもいても大丈夫。
そんな気がする。
だから私は夫と結婚したんだなあと、腑に落ちた。
すっかり大人になった私は私自身が癒してあげなければいけない。
誰かの為に奔走することは悪いことじゃない。
私も大事にしつつ、
わたしがしたいように生きていくことも
私自身が許してあげたい。