要約 『人を動かす』 D・カーネギー
人を動かす
人を動かすということを考える上で重要なことは何だろうか。カーネギーはそれを、3つの観点から捉えて考える。すなわち、「何が人の行動を阻害するか」「何が人の行動の原動力か」「どうすれば人を動かすことができるか」だ。
人を変化させようとして取る行動のうちでも特に下策なのは、相手を批判するということだ。例えそれが、どんなに優れた論理的な批判であっても、それが批判という形をとった時点で、相手には伝わらない。自分を否定する考えを、人は受け入れられないのだ。
人の行動欲求は様々あるだろうが、多くの人に通底するのは、「自分が重要な人物であると認められたい」という欲求だ。自分にしか出来ない、他の誰でもない貴方、そういう認識を得た人は、誰に言われるまでもなく、自発的に行動を起こす。
人の根底にあるのが「重要感」であるということは前述の通りだが、現実世界における全ての行動が「重要感」を根源にしているかといえば、そうではないことも多い。では人の、枝葉末節の行動をコントロールしたいならばどうするべきか。そのためには、その時々における相手の欲求を知ることが必要だ。相手の欲求を知り、そしてそれを喚起するのだ。
[ 批判をしない ]
・偉大な心理学者B・F・スキナーは動物実験で、良いことをした時に褒美をやった場合と、間違った時に罰を与えた場合とを比べると、前者の方がはるかに物事をよく覚え訓練の効果が上がることを実証した。
・およそ人を扱う場合には相手を論理の動物だと思ってはいけない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかなければならない。
・人を批評したり、批判をしたりするのは、誰にでもできる。
[ 重要感を与える ]
・心理学者ジグムント・フロイトによると、人間のあらゆる行動は2つの動機から発する。すなわち、性の衝動と、偉くなりたいという願望とである。アメリカの哲学者デューイもこの話題について、「人間の持つ最も根強い衝動は、”重要人物たらんと欲する欲求”である」とのべる。
・無教養で貧乏な一食料品店の店員を発奮させ、法律の本を取り出させ勉強へと向かわせたのは、自己の重要感に対する欲求だった。この店員の名は、リンカーンである。
[ 相手の立場に身を置く ]
・人間の行動は、心の中の欲求から生まれる。だから人を動かす最善の法は、まず、相手の心の中に強い欲求を起こさせることである。
・人を説得して何かやらせようと思えば、口を開く前に、まず自分に尋ねてみることだ。「どうすれば、そうしたくなる気持ちを相手に起こさせることができるか?」
人に好かれる
人に好かれるために必要なものは何だろうか。ごちゃごちゃ考えるより、その道の達人に学んでみよう。我々が尊敬すべきこの道の達人とは、犬である。彼らは誰からも好かれ、愛されている。
犬は、人に好かれようとして行動しているのでは無い。ただ、相手に強い関心を持って行動した結果として、相手から好かれているのである。
ここから私たちが学ぶべきことは多い。なぜなら私たちは、相手の関心を引くために、相手の関心を引こうとするからだ。
相手が誰に関心を持つかは、相手が判断することだ。そして関心を持つ相手として選ばれるのは、自分に関心を持ってくれている人である。
相手に好かれたいならば、先ずは自分が、相手を好きになれば良い。
[ 誠実な関心を寄せる ]
・最も友を多く得ている達人、それは犬である。彼らには魂胆や下心は無い。彼らが愛されるという事実からは一つの真実が見える。それは、相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せる方が、はるかに多くの知己が得られるということだ。
・我々は、自分に関心を寄せてくれる人々に、関心を寄せる。
[ 聞き手にまわる ]
・どんな褒め言葉にも惑わされない人間でも、自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる。
・貴方の話し相手は、貴方のことに対してもつ興味の百倍もの興味を、自分自身のことに対して持っているのである。中国で百万人が餓死するよりも自分の歯痛の方が重要事であるし、アフリカで地震が40回起こったことよりも自分の首に出来たおできの方が大きな関心事なのである。
[ 関心のありかを見抜く ]
・ルーズヴェルトは、相手がカウボーイであろうと義勇騎兵隊員であろうと、その人に適した話題を豊富に持ち合わせていた。ではどうしてそういう芸当が出来たか。タネを明かせば簡単だ。ルーズヴェルトは、誰か訪ねてくる人があるとわかれば、その人の特に好きそうな話題について、前の晩に遅くまでかかって研究しておいたのである。
人を説得する
相手と意見が食い違った時、私たちはどう議論して相手を説得するべきだろうか。自らの考えを論理的に説明すれば良いか。相手の考えの欠陥を見抜けば良いか。
否、そもそも議論を避けることが最上の説得に繋がる。議論の根底の目的は何だろうか。それは、両者の意見を一致させることである。しかし議論という行為は、しばしばそれをもたらさない。相手の考えを傷つけてしまうからだ。
人を説得する上では、相手の意見を尊重することが何より大事である。その気持ちなくして、両者の合意はあり得ない。
また同時に、相手がこちらの意見を尊重するような気持ちを起こすように努力することも重要だ。自分が間違っているのであれば素直にそれを認め、相手が同情を求めているのならば同情してやり、そして相手の善感情を喚起するような言葉を投げかける。
[ 議論を避ける ]
・『デール、僕たちは目出度い席に招かれた客だよ。なぜあの男の間違いを証明しなきゃならんのだ。証明すれば相手に好かれるかね?相手の面子のことも考えてやるべきだよ』
・「議論したり反駁したりしているうちには、相手に勝つようなこともあるだろう。しかし、それは虚しい勝利だ。相手の好意は、絶対に勝ち得られないのだから」
[ 誤りを指摘しない ]
・我々は、あまり大した抵抗を感じないで自分の考え方を変える場合がよくある。ところが人から誤りを指摘されると、腹を立てて、意地をはる。信念を誰かに変えさせられそうになると、がむしゃらに反対する。
[ 誤りを認める ]
・自分に誤りがあるとわかれば、相手の言うことを先に自分で言ってしまうのだ。そうすれば、相手は何もいうことができなくなる。十中八九までに、相手は寛大になり、こちらの誤りを許す態度に出るだろう。
・どんな馬鹿でも過ちの言い逃れくらいはできる。事実、馬鹿は大抵これをやる。自己の過失を認めることは、その人間の値打ちを引き上げる。
[ 同情する ]
・「人間は一般に、同情を欲しがる。子供は傷口を見せたがる。大人も同様だ。傷口を見せ、災難や病気の話をする。不幸な自分に対して自己憐憫を感じたい気持ちは、程度の差こそあれ、誰にでもあるのだ」
[ 人の美しい心情に呼びかける ]
・「人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。これに対する例外は、比較的少ない。人を誤魔化すような人間でも、相手に心から信頼され、正直で公正な人物として扱われると、なかなか不正なことはできないものなのだ」
人を変える
相手を変えたいと思った時、たとえ十の利がこちらにあるとしても、すぐに相手を否定して正しい道を示すのは愚策である。相手を尊重しない意見は、相手に届くことはない。
指摘は少なからずの刺激を持っている。指摘をするに先んじて相手を褒めておくということは、指摘を受け入れる土壌を相手の中に作ることに等しい。
相手へ諫言する時は、その方法に気をつけなければいけない。言葉遣いも大事であるし、それを聞く相手の感情に対する想像力も大事だ。
特に、どんなに正しい意見であっても、それが相手の自尊心を傷つけることに直結するのならば、それを差し控えなければならない。私たちは、相手の自尊心を傷つける権利など持っていないのだから。
[ 先ず褒める ]
・先ず相手を褒めておくのは、歯科医が先ず局部麻酔をするのによく似ている。もちろん、あとでガリガリやられるが、麻酔はその痛みを消してくれる。
[ 遠回しに注意を与える ]
・相手を褒める会話であっても、その中に「しかし」という言葉が用いられた瞬間、今までの褒め言葉が本心だったのかと疑いたくなる。そうした失敗は、「しかし」を「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。
[ 顔を立てる ]
・フランス航空界のパイオニアで作家のサン=テグジュペリは、次のように書いている。
『相手の自己評価を傷つけ、自己嫌悪に陥らせるようなことを言ったり、したりする権利は私には無い。大切なことは、相手を私がどう評価するかではなくて、相手が自分自身をどう評価するかである。相手の人間としての尊厳を傷つけることは犯罪なのだ』
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