楽しむから、楽しい [ 星野高校文化祭にて ]
人生には、二つの道しかない。一つは、奇跡などまったく存在しないかのように生きること。もう一つは、すべてが奇跡であるかのように生きることだ。
アインシュタイン
僕が国語の先生をしていた学校で文化祭をやっていると聞き、用事もなかったのでふらりと立ち寄ってみた。
駅前のバス停、車窓からの眺め、学校の外観、何もかもが懐かしい。
思い出は美化されるというけれど、こんなにも美しくなってくれるのならば、いっそ全てのことを過去にしてしまいたい。
そんなことを、思ったり。
バスに運ばれ生徒に誘われ、感慨にふけるのもそこそこに校内へ。
教員時代から思っていたけれども、この学校の文化祭はちょっと、規模がすごい。来場者数は二日で延べ一万人を越えるというし、講堂での催しものは4階席まで埋まるという盛況ぶり(そもそも4階まであるのが恐ろしい)。
とはいえそれで何かの魅力が損なわれるということはない。むしろ、だ。
大変な賑やかさは、その場の空気に明色をつけるかのよう。そこら中に飛び交う笑い声は、校舎にお祭りの匂いを染み込ませるかのよう。
こういう雰囲気は、作ろうと思って作れるものではないことを僕は知ってる。
若さゆえ? …いや、きっとそれだけではないのだろう。
「最近楽しいことなくてさー」
社会人である僕らの間では、よくそんな会話がされる。それも当然だ。仕事に追われる日々を過ごしながら、その外で楽しいことを見つけてそれに取り組むというのは、なかなか容易なことではない。
楽しいことがどこかにあって、それを探し、そして楽しむ。
楽しむとはそういうことだと、僕らの誰しもが思っているし、僕もそう思っている。そう思っていた。
けれども、それが全てではないよ、と、むしろそれは違うよ、と、今日、この学校の生徒に教えてもらった気がする。
彼らは、何も楽しいことに取り組んでいるわけではないのだ。
自分の作品を展示したり、活動の発表をしたり、物品を販売することは、充実感こそあれ、全部が全部楽しい内容であるかと言えばそんなことはないだろう。大変なことも苦労も、きっとそこにはたくさんある。
ただ、彼らはそれを楽しんでいるのだ。
楽しいから楽しいのではなく、楽しむから楽しいのだ。
僕が色々なところを歩いていると、様々な生徒の姿が目に入った。
種種の楽しみがそこにはあるように見えたが、印象的だったのはとある部活の受付をしていた女生徒たちだ。
そこで行われなければいけない業務は、「いらっしゃいませ」の声をかけることと、パンフレットを来場者に渡すこと、それだけだ。
しかし彼女らはそれを、とても楽しんでいたように見えた。
お客さんに合わせて声色を変えてみたり、色々な業界の受付口調を真似てみたり、来場者に声をかけてみたり。
そうしている彼女たちは、少なくとも僕が横目で見ていた時間中ずっと、笑顔を絶やすことはなかった。
多分僕なら、受付なんて外れ業務だと思って、担当時間中は不愛想に時間の過ぎるのを待つだけだっただろう。楽しいことはこれじゃない、なんて考えながら。
けれども彼女たちはそうしなかった。楽しいことはこれじゃない、なんて思う前に、これを楽しもうと思ったのだ。
人として何か大事なものを、今日この学校の生徒に教えてもらった気がする。
大人顔負け。
そう、子供を前にして大人が口にするときは、子供の一面の優れていることを認めながらも、大人はどこか余裕を持っている。まあ本質的には大人の方がずっとすごいけどね、と内心には思っていることと思う。
しかし、どうだろう。僕らに彼らのような素敵な心持ちが、あるだろうか。無から有を生み出すような彼らの創造性を、僕らは持ち合わせているだろうか。
子供ながらに凄い、なんていう言葉は失礼だろう。
彼らは、僕らが(少なくとも僕が)持っていないものを持っている。
一人の人間として、尊敬を覚える。そして、感謝も。
大事なことを教えてくれてありがとう。
横道にそれたことをつらつらと書いてしまってけれども、純粋に、僕はこの学校祭を楽しむことができた。書道部の書画、美術部の絵画、図書部の読み聞かせ、バトン部の舞踏。上げればきりがないが、どれも魅力的な芸術であり活動であった。
僕は楽しもうと思ってここに訪れ、そして楽しむことができた。これは簡単なようだけれども、そう簡単なことではない。そんな場を作り出せたのは生徒と、そして先生の協力あってだろう。
自ら楽しみ、そして相手を楽しませる。それはとても素敵なことだ。
声をかけてくれた多くの生徒や、先生についての思い出も語りたいけれども、どうも紙面が伸びそうなのでここまでにする。機会があれば、いずれまた書こう。
星野の皆さん、楽しい時間をどうもありがとうございました。
メガネな元先生も、君たちのように楽しみ、そして楽しませられるような人になれるように、頑張ります。
ここから先は
¥ 100
思考の剝片を綴っています。 応援していただけると、剥がれ落ちるスピードが上がること請負いです。