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ACの私にとって、家庭は戦場と同じだった

近頃の私は、「人に甘えられない」という大きな課題に直面していて、だいぶ辛い時を過ごしていた。

このことについて、カウンセリングを受けた。

初めてカウンセラーの前で泣き、そのあともひとしきり泣き、気づいたことをシェアしたいと思う。

1.私は「甘え」をどう位置付けているのか?

「人に甘えるって、どういうこと?」

と聞かれて浮かんだのは、
・犬が飼い主にお腹を見せる感じかな?
・正しい甘え方がわからないぞ
・かわいく見せる感じ
・弱みを見せること

ということ。

どうやら私にとって「甘え」の解釈は、
「全面降伏」のようなものらしい。

さらに、
「人に甘えると、どうなるの?」という問いを受けて浮かんだことは、
・見下される
・マウントとられる
・甘くみられる
・スルーされたら傷つく
・拒否されたら傷つく

だった。

どうやら、「甘えると、傷つく」と思っているみたいだ。

私にとって

人に甘えること=全面降伏
人に甘えること=傷つくこと

なんだよね。

そりゃあ、甘えられないはずである。

この前提を改めて文字にしてみると、「かわいそう」と思う。

甘えるって本来、あったかいもの。
笑顔になるもの。
安心感を感じるもの。

一般的な目線で考えると、わかるのだ。
母に抱っこされる赤ちゃんのような安心感。
それが、「甘える」ということなんだろうなと。

私にとって甘えることは、その正反対の意味をもっているということが、改めてわかった。

2.ワーク中の心境

幼少期に親に甘えた、または甘えようとした場面を思い出して、その時の感情を感じるワークを行った。

基本的に、「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「お姉ちゃんなんだから○○してあげなさい」と言われて育ったので、甘える「隙」は、ほぼなかった。

だから「たくさん甘えた~!うふふ♡」
って感情は、感じたことがない。

そんな中でも、何度か甘えようとしたことがある。

思い出すのは、「そんなことできない」と拒否されたことと、
「今忙しいから」とスルーされたことばかり。

それを感じていると、まぁ、苦しい。
寂しい。
悲しい。

ドキドキして、炭酸のような泡がシュワシュワと胸の中から出てくる。

喉の詰まりを感じる。

これが、子供の私が感じていた感情なんだ。

ずいぶんと辛い思いをしてきたんだね。

この間、私はずっとぬいぐるみを抱いていた。

ぬいぐるみを小さな私だと思って抱っこしながら、たくさん言葉をかけてあげた。


子供の私は、
「うぇーん、そうだよー(泣)。悲しかったよーーー!」

と泣いていた。

大人の私も、ひとしきり泣いた。

3.家庭内は過酷な戦場だった

ワークを終えて、
「甘えることが、勝つか、負けるかってことにつながってるんだね」
とカウンセラーAさんは言った。

家庭って、甘えることが許される場、というのが自然だと思うんだけど。

私にとっては勝つか、負けるか…ってことは、
家庭は戦場のようなものだった、ということなんだろうと思う。

甘えることが「犬がお腹を見せること」と同等なのだから、
お腹をやられたら、一発アウトだと思ってるの。

それは突きつめれば、
「甘え=死」
ということ。

文字通り、サバイバル。

甘えることは、私の生存戦略として、やっちゃいけないことだった。

勝つか負けるか、っていうより、
生きるか、死ぬか。

だから大人になっても、
甘えようとすると、足がすくんで硬直するんだ。


はー、われながら、よくがんばった。

4.人生を再編集する

最後に、
「こうやって、乗り越えていかなきゃいけないことが、たくさんあるなぁ」とつぶやいた私に、
カウンセラーAさんは、こう言った。
「乗り越えるというより、再編集するんだよ」

人生を再編集するのかぁ。

ほどいて、編み直す。

再編集したら、そうとう分厚い本になりそうだ。

そしておそらく、本にしたらきっと、おもしろいと思う。

自分の人生が、分厚くておもしろい本になると思うと、編集作業の苦しさも乗り越えられそうだ。(←また乗り越えるって言ってるけど)


以上、今回のカウンセリングの所感でした。

お読みいただきありがとうございました。

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Miki Nanai/アート×心理学×スピリチュアル
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