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2回目のカウンセリングを受けて
初回のカウンセリング後、1週間後に早くも2度目のカウンセリングを受けたので、アウトプットしたいと思う。
初回は、幼少期からのたまりにたまっていた思い出が、とどまることなくあふれてきた。
2回目の今回も、「まだまだ話していないことが、たくさんある」とばかりに、とどまることなく、誰にも話したことがないことをカウンセラーに話し続けた。
1.家の宗教問題
これはかなり複雑で、見回すと、親戚のほとんどが入信しているという状態だった。
幼い頃はそれが普通だと感じていたこと、中学に入って「日本国憲法では信教の自由が保障されている」ということを知り、だんだんと疑問を持ち始めたことなどを話した。
おそらく実家が新興宗教に入ってるACの人、多いのではないだろうか。
親の行き過ぎた宗教活動や視野の狭い信仰心は、私の生きづらさの中でも大きな部分を占めている。
そして最も大きな問題が、「幸せのために信仰しているのに、実際は誰も幸せになっていない」という点だ。
親たちは教団から、「苦しみの中で信仰を貫くことは、神/仏から課された苦難だから、甘んじて受け入れなさい」的な指導をされているから、それが善い行いだと錯覚する。
「目醒めよ!」って言葉があるけど、誰のことを言ってるんだろうね?
早く目覚めてそこから脱さないといけないのは、そっちのほうだよって話。
(ちなみにうちはこの教団ではありませんが、ことばをお借りしました)
少し話がそれたが、気がつけば自動的に入信していた宗教団体に関する想いでは、苦いものばかりだ。
これは私の中で強烈なものとして残っており、私のどちらかというとフラットなものの見方にかなり貢献している。
2.「おじさん」からのペドフィリア的視線
私はとにかく幼少期から大人びた子だった。
それはかなり早い段階で、自覚していた。
写真に写る自分が、他の子と違い子供らしさがないからだった。
そんな自分の姿を知りながら、「もっと大人にならなきゃ。早く大人にならなきゃ!」と思っていた。
そして世の中には、「大人びた子供」を好む大人がいる。
こういう人たちを「ペドフィリア」と呼ぶのかどうか、正確なところはわからない。
ただ、狙われやすい子供というものがあり、それは「群れから離れたシマウマ」のような子だという。
一人で行動している子。
不安そうな子。
ハツラツとした子供らしさがない子。
おかしなことをしても、声を上げそうもない子。
きっと、こう見られていたのだろう。
私はいわゆる、かなり年上の「おじさん」から目をつけれやすかった。
「おじさん」の視線をかわすスキルを、小学校時代にはもう身につけていた。
3.子どもの自立をつぶす「過干渉」との戦い
過干渉は、子供の成長に本当に大きな影を落とす。
過干渉の目的は何か?
親の役目とは本来、「子供が創意工夫して学び、自立して生きいく力を養えるよう促すこと」である。
できないことを見守り、助言し、「自分でできた」と感じられる方向に導くことだ。
しかし過干渉の親は、そこに目がいかない。
「テストで限りなく100点に近い点数を取ること」
「見栄えのいい提出物を期限内に提出すること」
「子供が学校からアホの烙印を押されないようにすること」
などをめざしてしまっているのだ。
だから、待てない。
子供の成長を待てない。
子供の失敗に「なぜ失敗するのか?」と問う。
子供は、子供でいることを許されない。
よって、できない子供を前に、手と口を出す。
「宿題を親がやってしまう」
「子供と一緒に料理やお菓子作りができない」
「うまくできない作業を奪い取る」
こうして子供の無力感が育っていく。
「あぁ私は、何をやってもできない子なんだ」と。
4.だからあなたは、それを強みに変えられた
上記の1~3を書けたのは、カウンセラーに事細かく話した後だから。
話した内容のまとめのような形で書くことができている。
この話をしている間、私はずっと怒っていた。憤慨していた。
カウンセラーに「ひどいですよね!?」と同意を求めていた。
ここ数年、自分は穏やかな人だ、フラットでオープンな人だと思っていたけど、まだ怒りの感情がこんなにあったことに驚いた。
これほど憤慨したのは何年ぶりだろうか。
カウンセラーは私の話を聞き、そして聞き返した。
「この経験から得た、あなたのポジティブな側面は、何?」と。
私はうーん、と考えながら、答えた。
「私が自ら宗教問題から離れられたのは、私の学校での学習と怒りの感情のおかげです」
「私が同調圧力に屈したくないと思うのは、宗教活動におけるマインドコントロールの雰囲気を察知するからです」
「私は孤高でしたが、孤高でいることは、集団による同調圧力やマインドコントロールにいち早く気づけるという利点があります」
↑
実際はこんなに理路整然と言ってないけど、まとめるとこういうこと。
「うん、だからあなたは、人に流されずに自分の考えをもつことができるし、それを表現することができる人なんだよ」
「それを強化していくと、ファシリテータとかできるよ」
あれ?
なんかものすごい怒って愚痴って、嘆いたんだけど。
あれ?
それでいいのか?
なんか長所になってない?
あはは。
それって長所じゃんw
こんなに簡単に捉え直しができちゃっていいんだろうか?
いや、そんな簡単なわけない。
でも、少なくともこれを書いているってことは、すでに私の中で「墓場まで持って行きたい恥ずべき事柄」ではなくなっているらしい。
実のところ、「こんなに簡単にポジティブ変換してたまるか!」
という疑いも、もっている。
簡単に騙されないぞ!的な?
うん。今後の自分の変化に、注目していきたいと思う。
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