アダルトチルドレン自認者は、ACであることを誇りに思っていいんだよ
先日、アダルトチルドレン(AC)自認者のための
カウンセラー講座に参加しました。
(写真は、その時のランチで食べたガパオライス)
1ターム12カ月(1年間)で学ぶ予定ですが、1回目に参加しただけで、いろいろ目から鱗。この内容を知るだけで、生きづらさを解消するための糸口になる人がたくさんいるのではないかと思うくらい、濃い内容でした。
アダルトチルドレンは病名ではない
世間の「アダルトチルドレン(AC)」に対する印象は、どのようなものだろう?
自認者の私でさえ、ちょっと前まで理解していなかったのだから、世間一般のイメージはバラバラのような気がする。
ACは、病名とか診断名ではない。
1980年代にアメリカのアルコール依存症治療の現場から生まれたことばで、日本には1990年代に入ってきた概念だ。
だから、精神科に行って「あなたはACです」と診断されることはない。
現在の日本では、ACとは、「子供時代に機能不全家族に育ち、大人になっても生きづらさを感じている人」のことをさす。
アダルトチルドレンの「孤独感」や「寂しさ」が引き起こすもの
ACは多くが、「寂しさ」を抱えている。
私自身も、物心がついた頃から、いつも「寂しい」と感じていた。
この寂しさの元は、何なのか?
ACが抱える「寂しさ」の元は、
ざっくりいえば、母親との関係の不安定さだ。
母親との関係の不安定さが「寂しさ」を生み、
その「寂しさ」を解消しようと、さまざまなものに「依存」する。
いつも相手(母親の愛)を探しているのに、
それが叶わないから、依存状態になる。
酒や薬、恋愛、ギャンブル…これらの依存は対象は違えど、根っこは同じなのだ。
めんどくさいけど、向き合う
はっきりいって、幼少期の母親との不安定な関係など、
まったく、全然、私のせいじゃないよね。
それなのに、こんなめんどくさい育ち方をして、
なんてめんどくさいんだ、ACって。
もっとぬくぬくと、愛されて育っている人はたくさんいるのに
ハズレくじひいた感がハンパない。
ただ、私はこう、とらえ直す。
すべての人は、幸せになるために生まれてきている。
だとしたらACは、めちゃくちゃ素晴らしく幸せになるために、あえて困難を課されたんだ。
ならば乗り越えてやろうじゃないの、その困難を。
それにしても、子供にとっての母親の存在の大きさに
改めて驚愕するよ。
逆をいえば、母親だけにその責任が課され過ぎているともいえる。
とにもかくにも
私たちは、通常とは異なる困難の中で
一生懸命生きてきた。
それだけでも、ホント、よくがんばった。
そして、自分がACであると自認しているということは、
そこまで自己探求をしたということであり、
これからの人生をよりよく生きたいと願う
「生きる力」があるということなんだ。
生きづらさを感じていても
ACの概念にたどりつかずに
いろんなことを見て見ぬふりをしている人が
たくさんいるのだから。
だから私は、こう思う。
ACは、自分がACであることに、誇りを持っていいんだよ。
普通の人より数十倍、学びの多い人生を歩いているんだからさ。